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小津安二郎の『麦秋』~大家族がバラバラに、移り変わる人生の哀歓~

(C)松竹株式会社

同工異曲の家族の映画を作り続けた小津安二郎の作品群は、しばしば混乱する。どの作品がどの話だったか、分からなくなるのだ。整理のために、書いていなかった作品のレビューを残しておく。かつて観た記憶を辿りながら再見した4Kデジタル修復版の本作、改めていろいろと発見があった。

この『麦秋』は登場人物の多い大家族ものである。『晩春』と同じく北鎌倉に住まいを構える間宮家。老夫婦の菅井一郎と東山千栄子、息子夫婦の笠智衆と三宅邦子、さらに二人息子のヤンチャな兄弟がいて、笠智衆の妹の原節子も同居している。最初は大和から来ていた笠智衆の伯父の高堂国典もいるから、部屋の出入りやら人物が重ならないような配置やら、巧みに動かして人物を描いている。『晩春』で父と娘だった笠智衆と原節子は、今回は兄と妹である。原節子演じる紀子三部作の一つ(『晩春』、『麦秋』、『東京物語』)と言われている。

二人の間には、戦死した兄がいるのだが、その不在の兄の友達だったのが近所に住んでいる二本柳寛であり、妻に先立たれて小さな娘が一人いる。その母が杉村春子だ。戦後6年しかまだ経っていないこの映画には、明るいコメディ的な要素もありながら、戦争の影が描かれている。小津安二郎は、戦争を直接的に描いていないが、戦地へ行って帰ってこなかったこの映画の兄や『東京物語』の未亡人となった原節子の夫など、家族の不在を通して戦争の影、「死」の気配を画面に漂わせている。この映画のラストの老夫婦が眺める故郷の大和の麦畑もまた、人生そのもののままならない諦念であると同時に、多くの「死者」たちへの鎮魂も含まれている。二本柳寛が火野葦平の「麦と兵隊」を読んでいた時に、戦地から兄は彼に「麦の穂」が入った手紙を送っていて、原節子はその話を聞いて、「その手紙をちょうだい」と言うのだった。「麦」は亡き兄の象徴でもあるのだ。

それにしてもこの時代の若い女性たちへの「結婚」のプレッシャーは凄い。28歳を過ぎて結婚しなければ「人にあらず」というような強迫感で家族みんなが原節子に迫ってくる。なかでも兄の笠智衆の迫り方は凄い。原節子の勤務先の専務(佐野周二)からの縁談話、40歳初婚で地位も家柄も立派な男ということで乗り気になって(この男は一度も出て来ない)、「良いご縁談だそうじゃないか」と笑顔で推し進め、28歳と40歳という年齢差に東山千栄子がちょっと「なんだかかわいそうな気がして」などと言うと、怒り出してしまうほどだ。妻の三宅邦子と原節子が縁談の話をしていたのを隣りの部屋で聞いていた笠智衆がこっそり襖を開ける場面が笑える。「紀子のやつ、へそ曲がりだから、うまく聞くんだぞ」と言ってまた襖を閉める場面は、コメディそのものだ。このこっそり隠れる=隠す動作は、三宅邦子と原節子と二本柳寛が夜にケーキを食べるシーンでも繰り返される。トイレに起きてきた寝ぼけた子供に分からないように、3人がこっそり皆でケーキを机の下に隠すのである。そんなコメディ的な同時重複アクション、反復は何度も描かれる。原節子と淡島千景が話していると、何かを探しに来る淡島千景の母(高橋豊子)のボケたような動作の繰り返し、耳が遠いことを確かめようとする兄弟と高堂国典じいちゃんのやり取りも面白い。高堂国典が、原節子に何度も歳を聞いたり、キャラメルを子供たちにもらって紙のまま食べちゃうシーンもとぼけていて笑える。

原節子の仲良し同級生たち4人組が、既婚者2人と未婚者2人に分かれて言い合う場面がある。未婚組の原節子と淡島千景は「ねぇ」「ねぇ」とお互い何度も顔を見合わせて相槌を打ちながら、台詞を繰り返す場面もある。この未婚の仲良し二人組は、「あんたは惚れちゃったのよ」と言いながら机のまわりで追っかけこする場面があったり、原節子の縁談相手を覗き行こうと淡島千景が引っ張っていく女学生時代のようなドタバタも繰り広げられる。学生時代に仲良かった同級生が、結婚を機にバラバラになっていく寂しい感じは、就職を機に仲良し同級生の関係が崩れる『青春の夢いまいづこ』と同じ構図である。さらに言えば、父親の笠智衆に怒られて、夜になっても家に帰ってこない兄弟をみんなで探すシーンは、『お早よう』でも繰り返している。

この映画は、家族みんなに40歳男との縁談話を受けるよう期待されていた原節子が、突然、昔から馴染みのあるバツイチ、子持ちの二本柳寛の嫁になることを自分だけで決めてしまうところが山場である。秋田行きが決まって意気消沈する杉村春子が、「あなたみたいな方がお嫁さんになってくれたら、どんなにいいだろう」と叶わぬ思いを吐露したところで、「わたしで良かったら…」と言い出すことに観客もびっくりする。そんな原節子と二本柳寛の二人がくっつきそうな前振りはほとんどなかったのだから。大喜びする杉村春子が「紀子さん、アンパン食べない?」と言い出すのも唐突で面白いが、その喜びと正反対に間宮家の人々が沈んでいくのが対照的だ。怒って唖然とする笠智衆、2階へと上がって行ってしまう老夫婦。もっと裕福な家庭に嫁いだ方が紀子は幸せになるのに…。なにも金に困りそうで、小さな娘もいる再婚男と結婚しなくても・・・という家族の思い通りにならない娘に、みんながため息をつくのだ。原節子が帰ってくると、今まで相談していた家族みんな居間からいなくなり、原節子は一人お茶漬けを食べる。

その後で近くの海岸の砂浜で話をする原節子と三宅邦子のシーンがいい。ここで珍しくクレーンショットが使われている。二人が海へ歩いて行く後ろ姿をクレーンアップして映すのだ。三宅邦子だけが、原節子を理解しようし、同性同士の苦労と共感を描いている。この映画は、大家族が解体してバラバになっていく物語であることが、最後の大家族の記念写真でより明確化される。もう集まらないであろう大家族の最後の記念写真。その消えゆくものへの郷愁と次の時代へと移り変わっていく家族の姿がここにはある。

それと同時に、この『麦秋』は女性の「結婚」をめぐるそれぞれの価値観の違いの物語でもある。決して家族が進める縁談より家族に反対される大恋愛を選び取った進歩的な女性の話ではないが、大切な安心していられる存在が身近にあったということに気づく女性の話であり、ささやかな自由意志を大事にした女性の価値観の変化が見られる。原節子にはひょっとしたら戦争で亡くなった兄への憧憬もあるのかもしれない。若々しい原節子の跳ねるような弾んだ感じが最もよく表れている映画だろう。沈んだ表情の多い『晩春』よりもこの『麦秋』の方が断然いい。

老夫婦の菅井一郎と東山千栄子は、『東京物語』の笠智衆と東山千栄子とも重なっており、博物館に二人で行った後に空に浮かぶ風船を二人で眺める場面や、菅井一郎が線路を通り過ぎる列車を線路のそばで腰掛けてため息をつく場面などもいい。ラストの大和での麦畑の花嫁行列、夫婦の「私たちはいいほうだよ。欲を言えば切りがないが」と言い、諦念とともにしみじみした人生を肯定する感じが味わいがある。バラバラになる寂しさと家族の移り変わり、時代の変化を描き、麦畑と山といった大きな自然が映し出されて終わる。

この作品でちょっと気になったのは、シーンの最後に何回か使われるドーリー(移動撮影)である。移動撮影は、人の歩きなどの動きに合わせて行われることが多いが、この映画では役者の台詞のやり取りが終わった後で、カメラがゆっくりと無人の廊下をドーリーインしたり、歌舞伎の誰もいない客席を横移動してみたり、大学病院の部屋から出て行った後に横に動いたり、親子喧嘩した後の割れたパンにカメラが前へ近づいたりするのだ。小津映画にあっては、モノや不在の廊下や部屋のフィックス・ショットはしばしば見られるのだが、この映画は無人の空間をカメラが少し動くのだ。それが最後の麦畑の横移動ショットまで続いているのだ。これは何を意図しているのだろう?音楽が付けられていることもあるが、気持ちの余韻のようなものだろうか。後期の小津作品ではあまり見られなかった移動ショットが、『麦秋』では何回かあったことを付記しておく。

<追記>
『麦秋』における移動撮影について、何か書いている人はいないかとネットで検索していたら、これは「山中貞雄の死者の視線」ではないかという人がいて驚いた。『小津安二郎』(平山周吉著・新潮社)という評伝が最近出て話題になっていたが、移動するカメラが「死者・山中の視線」であり、戦争で死んだ次兄が手紙で送ってきた「麦の穂」は、山中貞雄を表象しているというのだ。

歩兵だった山中が体験した中国戦線を「麦の穂」で表象し、山中の傑作『河内山宗俊』で世に出た原節子を「麦の穂」を受け取る人として描くことで、死者の山中を悼む。(移動するカメラは戦死した28歳の若き映画監督への「手の込んだ追悼」だった? 日中戦争が名監督・小津安二郎に与えた“大きな影響”週刊文春オンライン より #週刊文春 https://bunshun.jp/articles/-/63151)

そういう考え方もあるのかもしれない。いずれにせよ、山中貞雄も含めた戦争の死者たちへの鎮魂と人生の有為転変がこの映画には込められていることは間違いなさそうだ。


1951年製作/124分/日本
配給:松竹

監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
製作:山本武
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:伊藤宣二
録音:妹尾芳三郎
照明:高下逸男
編集:浜村義康
キャスト:菅井一郎、東山千栄子、笠智衆、三宅邦子、原節子、淡島千景、佐野周二、二本柳寛、杉村春子、村瀬禪、城澤勇夫、高堂国典、高橋豊子、宮内精二、井川邦子、志賀真津子、伊藤和代、山本多美、谷よしの、寺田佳世子、長谷部朋香、山田英子、田代芳子、谷崎純

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