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考察 君たちはどう生きるか

皆さん、どうもこんにちわ✋

今回は今月初旬にビデオ発売、レンタル開始された

君たちはどう生きるか

の話をしようと思う。

丁度一年ぶりに鑑賞したが、とても考察のし甲斐のある作品だなと、改めて感じました。
まとめると、あの巨匠がついに自分のことを語った。
そんな作品だったんじゃないですかね。

巨匠が自身のことをテーマにして映画にするという例では、スピルバーグ監督のフェイブルマンズがよく似ていません?

何気にジブリに凄さって、宮崎駿のイマジネーションの洪水をちゃんと辻褄合わせできるところにあるかもしれない。
編集の凄さと言うか、なんというか。


まぁ、では考察を始めたいと思う。

まず、感じたことは劇中に登場する若返ったキリコさんは、本来は宮崎駿の妄想の世界での母の姿ではないかと言うこと。

おそらく、この作品の大きなテーマはサギ男と出会い、塔に入って、想像の世界の素晴らしさを知るという、物語として最初に考えたのだと思う。

だから、塔の中に入ってからの物語は後付けであって、あまり深く考えて作られたものではないのではないだろうか。

そして、宮崎駿にとって妄想の世界とは、漫画の世界であり、そこに描かれていたのは、病に陥る前の母の姿だったらしい。

元気はつらつとしていた頃の母に会いたい。
それが幼き日の宮崎少年の夢だった。
らしい。

そう考えると、元気はつらつとした女性として、若かりし日のトキコさんは、宮崎駿が理想とした母の姿に重なる気がするのだ。
後半に登場する、幼き姿の母は、あくまでもつじつま合わせの代役だと思う。

子供がロリになった母を求めるとは考えにくい。
この幼少の母という存在は、本当は理想の母であるものを、トキコさんが若返った姿だと、論点逸らしをしたことへのフィードバックとして追加されたキャラだと私は思う。

実家が軍需産業を経営し、豊かな生活を送り、不自由ない生活を送っていたが、そこに母はいなかった。
そして、そのストレスをぶつける先が漫画という創作の海に潜ることだった。

これが、君たちはどう生きるかの大きなストーリーの枠組みではないだろうか。

そして、物語後半、大叔父による継ぐ継がないの話が出てきたとき、ここで映画のテーマは180度転換したと思う。

ここから、自身の母と創作の海を巡る物語から、スタジオジブリの崩壊黙示録が始まるわけである。
おそらく、この大叔父は現在の宮崎駿自身を投影した姿で、積み重ねている石はこれまで作ってきたジブリ作品である。

絶妙なバランスで保たれていたジブリと言う会社も、後継者がNOと言ったことで、いとも簡単に壊れてしまう。
ジブリと言う会社のもろさを風刺した場面である。

ここで、もう宮崎駿の関心は自身の幼少期を描くという段階から完全に離れてしまう。

自身が監督引退をして何がジブリで起こったのかを風刺するのが、後半の物語のテーマであると思う。

逃げていくインコたちは、ジブリのもとを去っていった者たちの姿を描いている。

つまり、この映画は創作の世界を知り始めた自分と、創作の世界を終わらせた自分が交錯する物語であり、それこそが君たちはどう生きるかの神髄なのではないかと思う。


ということで、これは頭が痛くなるくらい難解で、人によって様々な解釈が取れる不思議な映画だと思います。

観てない方はぜひご鑑賞を👍

ではでは👋

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