【書評】『科学はなぜわかりにくいのか ー現代科学の方法論を理解する 知の扉』を読んで【基礎教養部】
今回私が読んだ本は『科学はなぜわかりにくいのか ー現代科学の方法論を理解する 知の扉』です。
この本について書く前に、私の科学観について書いていこうと思います。
私にとって科学とは、自然の世界を数学に置き換えることです。自然は、それぞれ異なる性質を持っています。この特徴である「質」を正確に捉えることは非常に難しいことです。ではどうすれば、楽にできるのでしょうか。切り捨てて「量的」だけにすればいいのです。数値化することで扱いやすいものにするということです。ただし、質的な側面を切り捨てていることは忘れてはいけません。まとめると、「科学は、合理的な側面と共に物事の本質や
性質、個性を無視する側面を持つ」と私は思っています。
以前読んだ『学問としての教育学』には、教育が科学的になりたいという内容を読みました。この本は、教育に携わる人にも人気らしく、それが私には不思議でしょうがなかったです。教育を実践する者は、目の前にいる子どもらを見ることを重要だと考え、この本を書いたような学者は、二流学問を科学的にすることで一流学問にしたいと考えています。両者とも見ているものが違うというのに、教育という単語でなぜか通じ合っているのが理解ができませんでした。ただ、世間を見ると、科学とは正しいものだとして、科学的○○といってような内容が人気です。このようなことは非常に問題だと思うので、今回の本はぜひ読んでもらいたいなと思います。
では、今回の本で気になったところを見ていこうと思います。
これが個人的には一番大切だと思いました。”今のところ”“その分野で”正しいとされているものだということを言っているに過ぎないということです。それにもかかわらず、世の中には科学的に正しい○○とあたかも本当に正しいものだという顔をして売られているものなどが人気になっています。また、教育に絡めて考えると社会学からみた教育であったり、心理学からみた教育などが全部教育としてひとくくりとされているのも問題だと思います。つまり、社会学の分野で正しいとされているもの、心理学の分野で正しいとされているものが、ひとくくりに”教育学の分野で正しい”とされているということです。教育が根っこにないものが、あたかも教育を根っこにしているような教育社会学、教育心理学といった名前を掲げ、教育として今のところ正しいとしていることが非常に問題だなと感じています。
科学は、その分野の方法論に従って、徐々に前進していこうとするのに対し、社会はその分野の方法論など知ったこっちゃないということです。目の前の人が助けられるのか、明日どのようなことが起きるのか。そういうことに興味があるのであって、百億年後の銀河系の運命であったり、化学物質によってどんな影響が細胞に生じるかなどは全くもってどうでもいい。今の社会は、基本的に資本主義で動いています。資本主義において大切なのは、金です。社会の要請に応じることができるものには需要があるため、金に結びつきます。科学は金の種にはなりますが、直接的に実にはならないので、応用系は人気で、我々一般人の科学のイメージの大半もこの応用系になっているのだと思います。つまり、基礎系は人気がなく”役に立たない”とレッテルが張られてしまっているということです。両者とも大切なことにもかかわらず、現実問題として直接的に金にならないため、予算の問題などが生じてしまうのは非常に問題だなと思います。
教育においても、科学リテラシーは大事だとされ(PISA調査の結果を受けて)、学校教育において授業を改善し、児童・生徒の科学技術に関する興味や関心を高めることが将来にわたって最も有効な方策であると考えられています。個人的な経験に基づいたものですが、児童・生徒に科学リテラシーを身に着けさせることは非常に困難なことであり、授業改善ごときでどうにかなるようなものではないと思っています。わかりやすくする方法としてよく使う手法に身近なものを扱っていくというものがあります。そこで仮説にすぎないというものを展開しようとすると非常に危険(共生などの面から)な状態に児童・生徒をおくことになるため、それ相応の能力があるものが行わなければならなくなります。
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