断食と内面への旅
断食体験を書こうと思いながらnoteをなかなか開けずにいました。
実体験が大きいと消化に時間がかかるものだなぁと感じていましたが、今日で2月が終わります。この本当に大きな出来事があったわたしの2月が終わる前に、記事に纏めたいと思い今机に向かっています。
ここ数年、自分の誕生日をドイツで迎えるのが苦痛でした。
3年前の2020年に、元夫のDは百合の花束をくれましたが、全く受け取れる心情ではありませんでした。別居が始まって7か月、もう夫婦の修復は無理だと悟ってもいました。
でも要らないとは言えず、どうしたものか....と、そして最も角が立たずに拒否する方法を思いつきました。
「嬉しいけれど、猫に百合の花は毒なんだよ」
前年の秋から3匹のメインクーンと一緒に暮らし始めていました。
そりゃあダメだね!と、彼は慌てて撤収し、
花束は義母の家へ行くことになりました。
猫達に助けられたお誕生日でした。
それ以降はメッセージだけで、何も贈られることは無く、それはそれで侘しい誕生日風景に感じられました。
去年はしみじみ「日本にいたいなぁ...」と感じていたのをハッキリ憶えています。
今年はnoterのおぬきのりこさんのライブが2月10日にあると伺い、ぜひ行きたくって来日を思い切ることができました。
自分の誕生日だけでは来日する理由として弱かったので、ライブのお話がなければおそらく今年もドイツで普通の日のように過ごしたと思います。
思うに人生の歯車は、一見すると関係ないように見える出来事が、ある一点に吸い寄せられるよう集まって、新しい何かが生まれるのかも知れません。
断食をしたいと思ったのは20年くらい前からで、
「いつか断食道場へ行きたいな」と漠然と思っていましたが纏まった時間を作ることは難しく、その機会は来ないまま月日は流れました。
昨年から、自分の食に対するとらえ方を変えなければ、体重コントロールが難しいことを実感していました。
この機会にやはり断食道場へ行った方がいい!
心身共にスッキリを望んでいる自分がいました。
断食サナトリウムへ
断食は全くの初めてなのに、伊豆にあるサナトリウムでのスタンダードな断食「9泊10日プラン」をやってみることにしました。
断食道場は関東だけでも沢山ありますが、だいたいは4,5日長くて1週間程度(回復期を含めて)でした。
そのサナトリウムは歴史も長く、医師が常駐しているという点と長期の断食が出来ることに惹かれました。
“断食前日は油ものを控えてください”とだけの注意を守り、帰国した翌日にホテルで朝ごはんをしっかり食べて、お昼には蕎麦、15時にサナトリウムに到着しました。
夕方に人参ジュース(林檎が一割)を3杯(540㏄、240Kcal)飲み、ここから断食が始まりました。
2/1夜~2/7までが、固形物を食べない断食期間でした。
一日のスケジュールは、
最初は、7日までずっと固形物を食べなくて大丈夫なのか・・・とかなり不安感を抱きました。
特に、ドイツから着いて早々でまだ時差ぼけもあったので、なるべく部屋で大人しくして過ごしました。小説を読んだり、PCで映画を観たり。
時差ボケのせいか、断食のせいなのか眠気がすごくて合間によく眠りました。
サナトリウムでは朝に30分のストレッチや瞑想のアクティビティがあり(無料)、それに参加したり、少し慣れたら散歩で8キロくらい歩いたりしました。
予想外に断食していても元気で、空腹感はありましたが、その時は生姜湯に黒糖を3杯も入れて飲めば全く問題なく過ごせました。
到着の翌日、医師の診察を受け血液検査もしてもらいました。
(結果は中性脂肪がやや高いだけで問題ナシでしたが、やっぱりね...中性脂肪...太り過ぎだな、と自覚。)
その時に先生とお話したことが色々と衝撃でした。
「一日何食食べるの?」と問われて3食です、と答えると、
「そりゃあ多いよ!ボクは1週間に6食だよ」
と聞いて仰天しました。
基本は1日1食で、週1で断食、それでも週3回は10キロのジョギングとゴルフもされるとのこと。
糖分を摂ることに抵抗が有りましたが、黒糖なら大丈夫!と太鼓判を押されました。
それも「自分が美味しいと感じる量が必要量だから」という言葉にも安心しました。
断食の効果
シーズンオフで人は少なかったのですが、このサナトリウムで出会う人々はほぼリピーターの面々でした。
30年来定期的に通っている方や、84歳の老婦人はコロナ前は2か月に1回通っておられたそうで、内服している薬はゼロ、白内障にはなったけれど老眼にはなっていないと、カフェでお茶した時に普通に裸眼でメニューを読まれていました。
断食をして3日目に、近くの山の麓まで行きリフトで頂上へ上がったときに、やけに遠くまで良く見えることに気が付きました。
断食期間中は視力が上がるそうで、ただ普通食になったら元に戻る、と5年このサナトリウムに通っている利用者さんに教えて貰いました。
あとは睡眠がすごく深くなることにも驚きました。
目が覚めるときに深い水底からグーっと上がってくる浮上感を感じ、自分がとても深く眠っていたことに気が付きました。
ただ夜中にふと目が覚めることが多く、これは回復食が始まって無くなったので、やはり空腹のせいで断眠されていたのだと思います。
ただ断眠があっても、睡眠が深いせいか日中は爽快感がありました。
話には聞いていましたが、食物を摂取してそれを「消化・吸収するエネルギー」というのはとても大きいことを身を持って理解しました。
断食をする=固形物を断つことは、そのエネルギーを他に回せるということです。
今回、断食をして一番影響があったのは精神面でした。初めは、断食で痩せて食への取り組みが変わればいいな、という思いがありましたが、精神面にどれほどの影響があるかは未知でした。
消化のエネルギーが必要なくなり、口に入るものが制限されると、精神が研ぎ澄まされ自己の内側へ意識が向かうのを感じました。
食欲は人間の三大欲求の一つで、生きることの根幹に関わることです。
長年、幼少期のころから寂しさや欠乏感を埋めるために食べていたと思います。
なにか口に入れていると安心しましたし、ストレスが掛かった時に、それを発散させる手段として食べていました。
早食いは21歳の時、新人看護師として手術室で働くようになって以来の癖でしたし、ながら食いが止められませんでした。
本当は、自分が何を食べているのか、意識して感謝して食べれるようになりたいのに・・・と思ってはいましたが、長年の食習慣を変えれませんでした。
今回断食して、一度リセットされることで自分を見つめることができました。
2/10に都内に借りたアパートで襲ってきた感情の嵐はやはり断食後の感覚があったからなのだと思います。
実は断食体験のあとに、ヒプノセラピーも受ける予定を組んでいました。
もうじき元夫との修羅場の日々から4年が経ちます。一昨年の夏に義母が亡くなったことが引き潮のように私の内面をかき回し、去年は精神的になかなかしんどく起伏がある時間が続きました。
それが昨秋くらいから、徐々に心が落ち着いていき、何かが終わっていく感覚がありました。
その証拠に少しずつDに対してわだかまりなく向き合えるようになっていました。
同時に、自分についてどうしても知りたいことが出てきました。
長らく抱えてきた寂しさや欠乏感や、そしてうまく自分に向けられた愛情を受け取れないこと。
追い求めても得られないものを自分は追っているなぁと気が付きました。
それをしている限り、自分が望む形の幸せを得られないのではないか。。
しかしどうしてそうなってしまうのか・・・と自分で解明しようと掘り尽くしましたが限界を感じました。
自分では手の届かないもっと深い所を覗くために、ヒプノセラピーを受けたいと思いました。
親友が数年前に伴侶を亡くし、その時にヒプノセラピーを受けていたことを思い出し紹介してもらいました。
それはまさに肉体から精神の旅でした。
ヒプノセラピーの経験はまた次回に譲りたいと思いますが、自分の過去の姿が上手く視えたのも断食を経験していたからだと思います。
超えられたかもしれないこと
まだ東京にいるときにDからメッセージで、
“最寄りの駅までICE(ドイツの新幹線)で帰ってくるなら迎えに行くよ”とありました。
別居して以降はじめての申し出に驚きました。
到着直前、列車の中からプラットフォームで待つ彼等を目にしました。
この光景を最後に見てからどのくらい時間が流れたかも思い出さないほど、それは久しい光景でした。
子供達が駆け寄ってくれて1人ずつハグしました。
後ろにDがいて、3人の子どもをハグした流れで躊躇わずにDにもハグしました。
何も言いませんでしたが、彼の驚きが受け止めたハグから伝わって来ました。
側から見たら仲の良い家族に見えたことでしょう。
以前は見た目と実情の違いに胸が引き裂かれそうになっていましたが、この時は
「わたし達の家族の形はこうなのだ」
と思えました。
たとえ夫婦関係で修羅場を味わい、壊れてしまった関係でも新たに違う形として。
それで良い...と心から思えました。
長い間受け入れらないことがありました。
わたし達は同じ船に乗っていて、いろいろなことを乗り越えてきたはずなのに、気が付いたら彼はとっくに下船して、違う船に乗っていたのです。
なぜ私に一言でもいい、降りる前に、
ごめん、もう一緒の船に乗れなくなった
この船から降りたいんだ...
と、伝えることをしてくれなかったんだろう
気が付いたらいないなんてあんまりだ
サヨナラのない別れが私を苛みました。
人生でかけがえのない絆を結んだ相手なのに、なぜ、さよならもなかったのだろう。
自分はそんなにも取るに足らない相手だったのだろうか・・・。
答えが出ない日々でした。
本当なら顔も見たくない、声も聴きたくないひとでした。でも子供の親でいる限り、ドイツに残ると決めた以上、仕方がない...と。
表面上は良好な関係を築きつつ反吐が出る思いでした。
彼がした、不倫以外のことが、理解もできずどうしても乗り越えられませんでした。
そんな中でnoteに綴りはじめ、気持ちがひとつひとつ消化され浄化されていくのが解りました。
断食が終わったあの日の夜の涙は、最後の壁を超えるためのものだったと思います。
今のわたしの内側には、引き絞られるような痛みはもうありません。
サヨナラがなかった事に苦しんできましたが、
わたしはきっと向こうの船に乗っている彼に「わたしからのサヨナラ」が出来たのかも知れません。
この2月の帰国で多くのことが在りました。
人生にはすぐに理解出来なくても後からその意味が解ることがある。
多くの人や自然や生き物の助けが有って、
そして巡る人生の輪が確かに存在することを感じました。
断食、その後
断食中の体重変化は−3キロでしたが、その後も食欲のコントロールがつくようになりました。
ドイツに戻ってからも、人参ジュースを作り食べる量は減ったままです。
だいたい1日1.5食に抑えられており、断食前から体重は−5.5キロくらいです。
あまり肉を食べたいと思わなくなったことと、自分にとっての適量を満足して食べれる様になりました。
これからも無理なく “感謝をしながら食べる”
という事を続けていきたいと思います。
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長い記事を読んでくださって有難うございます。
明日から3月。
この記事を書くのは少し難しく、どう書けば伝わるだろうか...と躊躇っていましたが、書き切れて安心しました。
またこれから新しい気持ちで歩いていきたいと思います。
皆さまの帆走がわたしをここまで連れて来てくれました。noteの皆さまへの感謝は尽きません。
これからも書きたいことを自分らしく綴っていきたいと思います。