日常にある意外なことたち
日常生活には思いがけないことが時々起こります。
この1ヶ月中に起こったことを、noteに書いて皆さまと共有出来たら良いなぁと思いました。
noteを始める前は、生活の中で小さなハプニングがあっても日常に埋もれてしまい、すぐ忘れていましたが、今ではとりあえず証拠写真を撮っておこう!
そしてnoteで報告しよう...と思うように。
※トップ画像は昨日の朝、我が家のハンターが生け捕った小鳥です。救出しました。
こちらは4月30日(土)の出来事です....
ベランダの扉を開くつもりでしたが、
“スカッ”とバーが手から外れ、そのまま後ろに倒れそうに...猫トイレの上に思いっきり尻餅をつき、屋根が木っ端微塵になりました。。
凄い音と、自分の悲鳴と、尻の痛み。
最近小学5年生の長男が、思いついて川柳を作るのですが、新作がコレです。
「ボクすごい?のび太みたいに、ボクの少ない才能の一つだね」
と自慢と自虐(?)も交えて彼のベッドの中で披露してくれました。
「のび太の才能は“あやとり”と“射撃”と“すぐ寝れることもだね”、ボクそんなにないなぁ...」
とも(笑)。
※毎夜、寝る前に自分のベッドでベタベタしたいと言ってくれますが、こういう時間もそろそろ終わるだろうし面倒くさがっていてはいけないなぁと思うこの頃。
5/16(月)
ガソリンスタンドで給油口を開いたら、なんと卵が!!
なぜ卵が入っているのか、全くもって謎です。
一応、子供達にも聞いてみましたが彼らの仕業でもなく...。
ちょうど給油したのが、翌日のマフィン作りのため卵が足りなくて買いに行く途中でした。
「ママー、マフィンこの卵で作ったら?もう買いに行かなくてもいいんじゃないー?」
という子どもらに、
「こんな得体の知れない卵、毒入りかも知れへんやん!!そんな卵でマフィン作ったら、私捕まるわ!」
見出し
「生徒が毒殺、犯人は日本から来た母親」
「こんなんになるやん!?」
と、思いっきり関西弁でツッコミました。
※日独バイリンガルで育てるにあたり、子どもには私の母語である関西弁で話したい...と初めから思っており実行しています。
母国語=日本語
母語=関西弁(神戸弁)
より素に近い自分は、やはり母語を話している時の自分かも知れない?と考えたからです。
✳︎✳︎✳︎
18歳で地元を離れ、岩手、東京で生活した時期もあったので、完璧に関西弁を出さずに(隠して)喋ることも出来ますが、ある頃から“もっと関西弁で素直に話したい” と思うようになりました。
自分がいよいよルーツから離れた所に暮らすようになったからかも知れません、逆説的ですね。
ちなみに90年代半ば頃に岩手で関西弁 or 関西のイントネーションで少しでも話すと道でジロジロ見られ、会う人会う人に、
「アッ!関西の人でしょう!」
「どうして岩手へ来たの??」
もう、それは毎度毎度尋ねられました。
それが嫌で出来るだけ、関西アクセスを出さないように...がキッカケでした。
因みに縁もゆかりもない岩手の看護学校へ行ったのは「津軽三味線」。
高校生の時にドキュメンタリーで見た、盲目の若者が弾く津軽三味線の音色に衝撃を受け「こんな音を産み出す東北に住んでみたい!」
と思ったのでした。
行きたかった看護短大が岩手にあったので、その旨を担任に言うと職員室で、
「みき!お前なんで岩手やねん!?」
「そんな行きたいんやったら旅行でええやろぉ?」
とびっくりされましたが、
先生、旅行で行くのと住むのでは違います!
私は住みたいんです!
と職員室で熱く語った高3の自分が、今書いていて甦ってきました。
5/3(火)
初めて双子卵に当たりました。
双子卵の確率は1〜2%だそうで、縁起物とも言われるようです。
全く同じ、この日!
東京の義妹からバースデーカードが届きました。
私の誕生日は2月で、およそ2か月以上前に東京で投函した手紙がやっとというか遂に届きました。
手紙などの封書は、このご時世でも1週間以内に日本から届きます。
母が出した私宛の手紙は5日で届いていたので、ずっと届かない義妹からの手紙...🇯🇵⇆🇩🇪間で郵便物が紛失してしまうなんて滅多にないので気になっていました。
それがこの日に届いたのは、双子卵の幸運のおかげでしょうか?
✳︎✳︎✳︎
次回からは少し重いテーマのものを書いていこうと思っています。
内容は重いですが、私は真面目も不真面目も、職業柄下ネタもエロ話も大丈夫な人間です(言い訳)。
そういう人間の書くものに、これからもお付き合い頂けたらとても嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします🍀
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