とても久しぶりに「美術館」に行き、「初めての店」で食事をし、気持ちが少し救われた話。
コロナ禍になり、特に今年(2021)の夏は感染者数が増大し、東京都内に住んでいると、とても怖くなり、外出を控える日々が続いた。
これまで、特に介護をしている19年の間は、気持ち的に辛い時には、アートを見に行って、それ以上、気持ちが沈み込むことを避けられてきた。
でも、この2年くらいは、見に行きたい展覧会や企画や作品があっても、毎日の新規感染者数の数を見て、家族には気管支の持病があるので、とにかく感染しないことを優先する日々だった。
無力感
外へ出ないようにしているので、介護が終わったのだけど、仕事や、やろうとしていることも増やせず、経済的には厳しく、ただ不安が増える時間が長くなっていた。
それで、思った以上に気持ちが萎縮したせいか、外を見て、小雨が降っていたりすると、「何をやっているのだろう」と、生きている意味みたいなものを考えることも多くなっていた。気持ちは沈み気味なのが日常になっていた。その一方で、何かしらの努力や工夫も、その量も質も足りないせいもあって、成果が上がらず、無力感だけが強くなっていた。
そんな時に、テレビを見ていて、展覧会の情報に触れた。
横尾忠則の展覧会
これまで何度も、横尾忠則の個展を見てきたし、随分と長い年月、第一線で作品を作り続けて、発表してきたから、こちらで勝手にある程度のイメージが出来ていたのだけど、最も新しい作品群が、今までとはまた違った印象なのが、テレビ画面を通じても分かった。
それで、それまで、外出を減らす気持ちが続いていたから、全く行く気がなかったのに、行こうと思ったのは、85歳になって、また違う作品を生み出す凄さを確かめたかったのと、大規模な個展は最後になるのではないか、とも感じ、ここを逃してはいけないと思ってしまったからだ。
妻と相談して、一緒に行くことになった。
二人で、アートを見に行くのは、本当に久しぶりだった。
コロナ禍のために、入場制限の可能性もあるので、サイトから予約をした。
やっぱり楽しみになった。
展覧会に行く前に、録画していた「横尾忠則」の番組を見るかどうか迷った。あまり情報に触れない方が、新鮮に見られるのかとも思ったが、妻と相談して、でも、見ることにした。
生きている意味
85歳の今でも新作を描き続けている。
それも、突発性難聴になり、あまり聞こえず、腱鞘炎で手首が痛み、その上、絵には飽きてる、と言いながらも、その条件を含んだ上での作品を制作し続けていた。
さらには、生きていることには意味がない。だから、いかに遊ぶか、みたいなことを、静かに語っていた。
どこかで「生きることに意味はない」と思いきれないような自分の気持ちもあったが、その一方で、意味はないと思えたほうが、楽かもしれないと思った。その上で、思うように生きる、といったことを見せてくれているように思えた。
東浩紀も、おそらくは同じようなことを言っている。
ひとは無から生まれ、無に帰るのであり、生きることには意味がないが、しかしだからこそひとは生きているのだと……。
そうしたことを、自然に身につけるように考えたりすることができる人がいる、というのは、自分にはまだ難しいと思える半面、そうした人の存在自体が、なんだか有難いことでもあるように思える。
地下鉄での会話
会期終了の週に、電車に乗って、東京都現代美術館に向かう。
地下鉄に乗り換えて、座席に座って、そこの窓も開ける。
妻は、電車に乗ること自体が、久しぶりで、二人で一緒に出かけるのは、本当に何ヶ月ぶりかで、それは、やっぱり少しずつうれしくもなってくる。
何しろ、混んでいる電車を避けたかったので、平日の午後12時のチケットを予約した。電車もそれほど混んでなかったから、妻と並んで座っていたら、向かいの席に座っていた女性が、妻に近寄ってきて、「お聞きしてもいいですか」と話を始めた。突然だったので、少し驚いたが、どうやら目的の駅に向かうには、これでいいのか?という内容だった。
私も話に加わった。駅員に聞いたら、この駅に行くなら、来た電車、どれに乗っても着きますよ。と言われたらしい。ここには違う路線が二つ走っていて、途中までは一緒だけど、それからは別の目的地へ進み、この人が行きたい駅には、残念ながら、この電車では着かない。
駅員がてきとうに教えていたとしたら、嫌だったけれど、この電車では着かないことを、まずは伝える。あとは、最終的な目的の駅を聞いて、この電車で、どこで乗り換えたらいいのかを考えたら、ちょっと分かりにくいけれど、ルートはあった。
それで、そのことを伝えたら、御礼を言われたけど、妻は、さらにその駅で降りてから、どこへ乗り換えたらいいのかを、メモに書いて、渡したら、さらに丁寧に頭を下げられた。ちょっと分かりにくいので、気をつけてください、と声をかけて、その駅で降りていくのを見送って、その次の駅で乗り換え、美術館の最寄りの駅へ着く。
清澄白河駅。この駅ができたことで、美術館へのアクセスが以前よりも良くなった。そして、この街は、ブルーボトルコーヒーができてから、急にオシャレな方向へ進んでいった。
積極的なスズメ
午後12時からの予約なので、昼食時間が微妙になったが、少しだけ食べてから、展覧会を見ようということになり、途中の駅の構内で「ナチュラルローソン」があったので、妻はメロンパン。私は、パッケージにひかれて、ホイップクリーム入りアンパンを買った。
清澄白河駅から、歩く。美術館まで、約10分。
いろいろな店があって、途中で、少し寄ったりして、妻は楽しそうで、それが私もうれしかった。その一方で、買ったパンを食べる時間を考えると、12時から12時30分までの予約した入場時刻に間に合うだろうか、と秘かに焦っていて、こういう時まで焦る自分が、せこくて、ちょっと嫌になる。
天気が良くて、よかった。
歩いていても、気持ちがいい。いくつかの角を曲がって、美術館が見える。そばの交番の名前は、「現代美術館前」になっていて、かっこいいね、と妻と話しながら、通り過ぎる。
午後12時少し前。
美術館の隣には公園が広がり、ベンチもある。そこで、美術館の建物に近いベンチに座り、二人で、パンを食べ、ポットに入れてきたコーヒーを飲む。
足元にスズメが寄ってくる。さわれば、届きそうな距離。こんなに近くにくるスズメはあまり見た記憶がない。常に警戒を怠らず、人間とは、もう少し距離をとっている鳥。というイメージだった。
妻はメロンパンなので、かけらが落ちがちで、そこに素早くやってきて、くちばしでつかんでから、少し遠くへ行き、また戻ってくるを繰り返している。二匹いて、片方が明らかに大きくて、パンをつかむ回数が多いので、妻は、あまり食べていない方の小さい方へ向けて、パンのかけらを投げ始める。
そのうちに、二人で食べ終わり、袋に残っているパンのかけらを、地面にまいたら、スズメはずっとついばんでいた。
人間のそばで、あんなに積極的なスズメは、ほとんど見た記憶がなかった。
横尾忠則
美術館に入ると、チケット販売の場所はそれほど人がいなくて、予約して、プリントアウトして持ってきた紙を渡したら、入場券を渡された。
横尾忠則の個展は、1階から始まっていた。
昔の作品から、並んでいる。それは、50年以上前のもので、まだ画家と宣言する前のデザイナーの頃のポスターは、今もかっこよく見える。そして、画家になってからも、その時に描きたいものを書いているらしく、同じ傾向の作品が集中的に並ぶ。
だから、何度か横尾忠則の個展を見ているが、その時によって、確かに横尾作品の共通点はあるけれど、かなり印象が違う。
会場には思ったより人がいて、この美術館で、これまで見てきた展覧会は、基本的にはゆったりと見られることが多かったので、意外だったし、人が来ていることが少しうれしかったかけれど、時々、「密」になりそうで、ちょっと怖かった。
1階の会場にたくさんの作品が並び、さらに3階にも続く。
個人的に「Y字路」シリーズを描き始めた2000年代の頃は、とても身近な感じもしたし、こういうテーマを表現するのは、すごいと思ったが、考えたら、このシリーズを描き始めた時には、横尾忠則は、60歳を超えていたはずだ。それも、最初は写実的だったのが、横尾の幻想が混じり始めるのだけど、どちらもよかった。
そばで、年配の男性が、やや上から目線で、一緒にいる女性に「このY路地」と語っているのを聞いて、「Y字路!」と思うが、ただ考えたら、そんなに違わないのかもしれない、とも後で思う。
最後の会場には、現在の作品が並ぶ。
明るい色調。大きな絵画。画面には人がたくさんいる。何かにぎやかな感じがする。
ここまでもそうだけど、いつも生者と死者が、あまり区別されずに、作品には登場していて、だから、この世だけでなく、あの世のことまで感じたり、考えたりしていたことに、改めて気づく。
最後の部屋には、自画像と、突発性難聴になった時も作品になっていた。自分にはない経験なのに、すごくリアルに感じた。
どこまで理解しているのか分からないけれど、今も新作で、しかも、これまでとは違った新しさもあるけれど、それは、作者本人にとっては、さまざまな不自由なことも含めての条件を生かしていて、そして、同じ時代に生きている人が描いていると思えた。
生きていることに意味はない。だから、生きたいように生きればいい。そんなことを、いつの間にか少し思っていた。
来てよかった。横尾忠則は、大御所でもなく、古い作家でもなく、今も現役で、生きている人だった。
映像作品
最初は、「横尾忠則」を見て、「モヤさま」に出てきたハンバーガー屋が、道をはさんで、この美術館の、ほぼ正面にあるのを知り、そこで食事をしてから、また「次の展覧会を見られたら、見よう」という話を妻としていたのだけど、トイレに行ったり、少し座ったりしているうちに、続けて見ようということになった。
このアニュアルのシリーズは、第1回の1999年から毎年のように見てきて、約20年がたったのだけど、去年、コロナ禍で出かけるのをためらっているうちに見損なってしまったが、また見始めることができた、と思った。
「海、リビングルーム、頭蓋骨」
全て映像作品。3人の作家。
潘逸舟が海。小杉大介はリビングルーム。マヤ・ワタナベは頭蓋骨。
本当に、ある意味では、その通りの映像だったが、もっと時間があれば、もっと見ていたい作品だった。そして、それは、こういう場所でないと、見られないような映像だった。
ちょっと残念だけど、これからハンバーガーを食べて、帰りに、夕方のラッシュの時間の前に帰るには、短めで切り上げ、さらには、常設展も諦めるしかなかった。
それでも、ここまで、これだけの作品を見ることができて、明らかに気持ちが変わっていた、と思う。
ハンバーガー
美術館を出たのが、午後2時半くらい。
それで、ハンバーガー屋に入る。
完成までに3000日かけた、というノボリが出ている。
その中で、極上肉づくしバーガーを注文する。税込1706円。
妻は、パインバーガー。税込1274円。
特に、肉づくしバーガーは、持って食べるのが難しく、最初は、肉の部分だけを食べて、少し肉の量を減らしてから、ハンバーガーとして食べた。食べたことがないようなバーガーで、何しろ肉を食べている感じがすごかった。
「グルメバーガー」という言葉になじみができてから、以前は高くて食べなかったようなハンバーガーも、食べるようになったのは、実際においしい経験をしてきているからだった。
帰りは、ラッシュの前には、なんとか帰れて、自宅の最寄りの駅には、午後5時前に着いた。
近所の天然酵母のパン屋さんで、パンを買って、妻は軽食としての夕食を作ってくれた。昼のハンバーガーが重めで、あまりたくさん食べれなかったからだ。
アートと新しい経験の意味
介護で辛い時に、アートをとても見たくなり、それで、底の底の底まで気持ちが落ちることがかろうじて、防がれていたことを、久しぶりに思い出した。
やっぱり、こんなコロナ禍でも、時々は、アートに触れないと、気持ちがよどんで、本当に腐ってしまうかもしれない。そして、入ったことのない店に入って、食べたことがないものを食べるような、そんな初めての経験をしないと、気持ちは変わらないと思った。
そのあと、少しだけ、生きていることの意味を考えないようになったし、何しろ楽しく生きるためには、どうしたらいいか、をわずかでも考えるようになったから、やっぱり、少し救われたのだとも思っている。
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