【展覧会感想】 『大地に耳をすます 気配と手ざわり』 2024.7.20~10.9. 東京都美術館---「自然の中でつくり続ける、ということ」。
東京都美術館の建物の構造が、今も具体的にイメージしづらい。
最近でいえば、デ・キリコ展や、印象派展を開催していて、それはメディアなどでも宣伝をしていて広く知られていると思うのだけど、それと並行して、といっても会期も同じと言うわけではなくて、違う展覧会を開催している。
それも、こじんまり、というのではなく、美術館の入り口を入り、左に曲がり、かなり奥まった場所に地下に向かって、広い展示スペースが広がっている、という印象で、ここ何年かでも、そちらで行われている展覧会に来る方が多かったように思う。
今回も、そうした企画だった。
『大地に耳をすます 気配と手ざわり』
https://www.tobikan.jp/daichinimimi/
ギャラリーA・B・Cと表示されているけれど、今もどれがAなのか、Bなのかを正確に把握しているわけではない。印象としては、奥まった場所のガラスの自動ドアの中に受付があり、そこで入場料を支払い、そこから地下へ降りていく、というちょっと違う世界になるというものだ。そこは、企画した側の狙いのようなものがかなり明確な場所だと思う。
今回も、そうやって降りていくと、北の大地が広がっていた。
川村喜一。
写真をベースとした作品が並ぶ。
2017年から北海道の知床に住み、そこで撮影をしているというプロフィールを知る。
失礼ながら、これまで全く知らない作家だったのだけど、そこにあるのは、動物や自然を外からではなく、その隣に暮らしているような気配が確かにあるような写真だった。それも、劇的なものというよりは日常的な印象が伝わってくるし、冷房のせいもあるかもしれないが、ここにいると気温が下がっていくような気がしていた。
その場所だから存在するような自然物を使ったインスタレーションもさりげなくあって、狩猟免許も所得したということも説明されていたので、その場所との距離が近く、だから鑑賞者にまで、その空気感が静かに、だけど確かに伝わってきた気がした。
次の展示室へ向かう。
ふるさかはるか。
2017年から、青森で、そこに生きる人たちへ取材して作品を制作しているとプロフィールにあった。
木版画が並ぶ。それは形が不思議だと思ったら、木の幹の形をそのまま使っているような作品だったりする。その色味なども際立つというよりは、溶け込むような印象であまり前に出てこない感じがしたのだけど、会場に流れる制作風景を記録した映像で、その理由が少しわかった気がしたのは、色も自然からもらって、それを使っているからだった。
こうして、その土地で時間と手間をかけた作品からは、そうした制作過程を見たせいもあるのだろうけれど、そこにある樹木や、植物や、硬めの空気感のようなものまで、その展示会場にまで連れてきてくれたようには思えた。
場所の変化
展示室がかわる。
作品も違う。
ミロコマチコ。
色が増えて、急に空気が変わる。
2019年から奄美大島に移住し、生活をしながら作品を制作している、のを会場の説明で知る。
生き物や植物の数が多く、絵画では、その画面の中にみっしりと生きているように描かれている。
映像は、ライブペインティングを、おそらく暮らしている奄美大島の屋外でおこなっている様子が映されていて、そのときの作品も、その映像のすぐそばにあったのだけど、映像の中で自然光の中にある絵画とは、かなり印象が違ってきているから、外に設置にした、この作品を見たいというような気持ちにもなる。
チラシなどのメインビジュアルになっているのも、ミロコマチコの作品だった。
色とかたちの力があふれていて、天井が高い展示室に合っているようだった。
南に住んでいるせいもあるだろうし、そのプロフィールに引っ張られ過ぎているとは感じながらも、やっぱり少し体感気温は上がっていたと思う。
災害のあと
倉科光子。
この人の作品は別の場所でも見ている。東日本大震災の津波の被害にあった場所に行き、そこの植物を描き続けている絵画は、年数が増えていくと、だんだん植物の種類が増えたり、少しずつ広がっていく感じも出ていて、そのことだけで多くの意味までが伝わってくる。
今回は、10数点をゆっくり見ることができて、それはすごく丁寧に細やかに描いているのは前提としても、その場所に生きている植物を描くことの意味の重さのようなものまで、画面にあるように思う。
他にも、いろいろな連想も誘うけれど、何しろ、一回、何も無くなってしまったような場所に、また植物が育っていく変化の記録としても貴重なもののはずだ。
そこには、確かに時間も描かれているのだろう。
今回、この作家のプロフィールを初めて詳細に知ったのは、会場のパネルのおかげだった。若いときに手描き友禅を学び、植物画を描き始めたのが作家が40歳の頃。さらに、植物について学びたいと東京農大にも通学し、東日本大震災の後、津波の被害にあった場所に生えた植物をテーマに描き続けている。
美大を卒業し、そのまま制作を続けているのではなく、いろいろな経過があったことが、作品を底支えしているようにも思うが、そうして背景ばかりを強調するのは作者に失礼だろうし、作品を見る目を濁らせてしまう可能性もある。
ただ、災害の後、そこに生えてくる植物の力を、あますところなく描こうとしているから、細かくなるのではないか。と習作まで展示されているので、少しわかったような気がした。
寒さ
最後の展示室には、一見、抽象画が並んでいるのかと思った。
榎本裕一。
北海道・根室にもアトリエを構えているという。画面は白と黒。よく見ると、木立ちが描かれているのがわかったり、だから、ただ通り過ぎると、白と黒のかたちだけが印象に残りそうだけど、よく見ると、さまざまものがやっと見えてくる。
という光景は、想像しかできないけれど、もしかしたら冬の根室では雪と氷に覆われた状況を、比較的、正確に表そうとした作品なのかも、といった思いにもなったのは、やはり、ここでも体感としては寒さを感じたからだった。
外の気温が高いせいか、作品保護のためもあるのか、冷房が効いていて、2時間近くは鑑賞していたせいか、半袖のTシャツでは寒く、カーディガンとウインドブレーカー、さらに足元にはレッグウォーマーをして、それで落ち着いて作品を見続けることができて、それは一緒に見にいった妻も同様の格好になっていた。
他の観客の方々は、そんな厚着をしていなかったから、自分たちが寒がりで、体が弱いのだと改めて思った。
過去の展覧会
見てよかった。
このギャラリーA・B・Cを使った展覧会は、狙いがあって、そして伝わり方も強く、だから作品に触れたあとの印象も残りやすい。
だから、それぞれの作品についても、妻と、いろいろと感想を話せた。
展示室を出て、ロッカーのそばのイスに座って、話をし、しばらく休んでから、今度はミュージアムショップにも寄った。
今日は休日なので、通勤ラッシュの前に帰らなければ、という焦りはなく、ゆっくりと見ていた。今回の展覧会のポストカードをショップの奥で見つけ、何枚か購入し、妻の希望したハンカチと共にレジに持って行ったら、そのそばで魅力的な手ぬぐいがあった。スタッフの方に聞いたら、すぐそばに販売していて、でも、値段などを見て、諦めた。
その作家の名前で、去年、この美術館で展覧会をやっていたことを思い出す。
https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_tamanaaraki.html
(『うえののそこから「はじまり、はじまり」』 荒木珠奈 展)
ショップでそのときの図録を見て、すごくよかったので、確かに、そうした展覧会が開催されていたことを知っていたはずなのに、どうしてこなかったのだろう、と後悔のような気持ちになった。
そんな気持ちに意味はないのかもしれないが、でも、時々ある。
見ることができなかった展覧会は、ただ写真の中だけにあって、それでも、その美術館で図録と共に想像するから、ちょっとだけ、見たような感じに近づけるかも、などとも思うが、やっぱり無理がある発想でもあったと思う。
それからロッカーに戻り、荷物を出して、美術館を出た。
すぐには体があたたまらず、ウインドブレーカーを着たまま、少し上野公園を歩いていると、急に暑くなって、上着を脱いだ。
楽しい1日だった。
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