読書感想 『顔に取り憑かれた脳』 中野珠美「〝自分の顔〟という特殊性」
ラジオで本を紹介するコーナーがある。
それは、あらゆる番組を数えたら、現在でも想像以上に多いのかもしれず、もしかしたら耳で聴くことと、本に関する情報は相性がいいのかもしれない、とも思った。
さらには、ポッドキャストでも本の紹介をしている。
この『聴く講談社現代新書』は、新書の概略と、その冒頭を朗読してくれる。
こうして、その一部だけでも内容がわかるし、それも著者の書いた文章そのものを紹介してくれることになるし、今は本1冊を耳で聞けるシステムもあるから珍しいことではないのかもしれないが、改めて体験すると思ったよりも届く力が強いと思った。
同時に、タイトルや概略で面白そうだと思っていたのに、冒頭の文章で急に興味を失ったり、その朗読で魅力的だと感じたのに、実際に読むと、全体では印象がだんだん下がってくることもあった。
この書籍は、冒頭から興味を持たせてくれた。
『顔に取り憑かれた脳』 中野珠美
著者の肩書きは、大阪大学大学院情報科学研究科 教授。情報通信研究機構(NICT)・脳情報通信融合研究センター(CiNet)主任研究員とあり、情報の専門家だった。普段生活していて、特に「顔の情報」は日常的に接しすぎて、当たり前のようになっていた。
だけど、この著書にもあるように、多くの人が当たり前のように鏡や写真で「自分の顔」に接することができるようになったのは、人類の歴史を考えれば、それほど昔のことではなかった。さらには、自撮りが日常的になったのは、本当にごく最近のことになるから、これほど「顔の映像」が日常にあふれるようになったのも、実は21世紀に入ってからではないだろか。
それでも、もともと人間は顔に対しての興味が高い。
生まれた直後から、人間が「人の顔」に特に反応することは、発達心理学の分野などでも広く知られることだったし、実際に子育てをしている人にとっては実感として感じていることかもしれない。
高度な能力と誤作動
それでも、人間の能力に関しては、時代が進み、研究が進歩するほど、新たに分かってくることも少なくないようだ。
それは、能力を選択するような現象とも言えるのかもしれないし、このことは知覚搾取と言われているが、恥ずかしながら、こうしたことも明確に知らなかった。ただ、能力が少なくなっていくと思うと不思議な感じはする。
そして、鏡に映っている自分の姿を、まさに自分だと認識できる動物は本当に少ないことは普段は意識していない。
その上で、顔を覚える人間の能力の高さも改めて知った。
そう考えると、とても繊細で高度な機能を脳がしていることになるのだろうけれど、それがわかるのは皮肉なことだが、その認識作業がうまくいかなくなった時のようだ。
そして、ここから、その誤作動についての話になるが、ここまでとても精密な能力だから、そのせいで少しでも不調になったら、そうなってしまうのか----といった気持ちにもなる。
こうしたことを知ると、幻視と言われる現象で、他の人には見えないものが見える、と主張されると怖さも出てきてしまうと思うのだけど、もともと持っている顔に見えやすい能力の誤作動と考えられれば、ほんの少しでも対応への気持ちが楽になるかもしれないとも思った。
同時に、レビー小体型認知症の方が普段暮らしている居住空間に、顔に見えやすいものがあれば、殺風景にならない程度にモノを置かないという工夫もできるかもしれない、などとも考えた。
こうしたことも何も知らずに直面してしまうと、もしそれが家族であれば当然ながらかなりの衝撃を受けるかもしれない。それでも、鏡に映る姿が自分であることを認識する能力がかなり高度な作業ということを知り、その誤作動として現れていると思えれば、ほんの少しでも気持ちが楽になるかもしれない。などと以前は、家族の介護に関わり、今も介護者の心理的支援に携わっている人間としては思ってしまった。
「自分の顔」の特別さ
そして、冒頭の自分の顔への依存性についても、著者は、現代ならではの特徴も指摘している。
例えば、今はSNSにあげるとしても、その自分の顔には加工を加える方が一般的になっているが、それも自分の顔と、他人の顔では認識が違っていることが実験によって明らかにされている。
だから、インターネット上には、当人以外は「加工しすぎでは」という写真があふれているのだろうけれど、それは自分の顔の変化が依存性を生み出すような生理的な刺激があるからのようだ。
(『霊長類において動機付け行動に関わる投射経路の機能を解明』)
V T Aは、脳の腹側被蓋野であり、辺縁系や大脳皮質へドーパミンを供給する部位になるのだけど、それは、もっと俗な表現で言えば「気持ちよくなる」ということだから、そこには当然、依存性が生じるはずだし、意志で逆らうのは難しいのはわかる気がする。
しかも、自分の顔が美しくなることで得られる快感は、うっとりするというよりは、自分の価値が上がるといった社会的な気持ち良さらしい、ということは科学的に明らかになっているようだった。
つまり、自分の顔がより好まれるようになれば、社会で生きやすくなる、といった捉え方なのかもしれないと思うと、大げさかもしれないが、自分も含めて、人類の存在への切なさのような気持ちが湧いてくる。
そして、自分の顔の特別さは、時代の流れによって、より強まってきたということのようだ。
今はSNSによって、その依存性は加速されているのだろう。
素顔の意味
この傾向は強まることはあっても、顔への興味が薄くなっていくことはないのかもしれない。
さらにはその「顔」は、現代の映像では加工が前提であるのだから、素顔の意味についても、この著書では改めて現代ならではの分析や解釈にまでつながっていくのだけれど、個人的には自分が体験したこともない平安時代の貴族のことも連想してしまった。
それほど詳しくはないのだけど、その時代には特に身分が高いと言われる女性ほど、建物の奥に住んでいて、しかもそばにいる人にも、扇などで顔を隠しているから、素顔を見ることがほとんどできない。
だからこそ、最初は和歌をおくりあって、直接会うまでは、どんな顔をしているのか、といった想像がふくらんでいく。もしも、好意的な印象が大きくなっていれば、実際に会った時も、すでに自分自身の視点に少しバイアスがかかっているに違いないのだけれど、それでも素顔の顔の価値と意味は、特別なものに違いなかっただろうと思う。
そういう意味では、現代も、素顔というものは、すでに再び、特別な存在になっているのかもしれない。
------ 毎日のように自撮りをしてSNSにアップしている人で、そのことに少し疲れを感じている場合は、特に読んでもらいたい作品ですが、「加工された顔」があふれている現代に生きている人であれば、そのことに特に関心がないとしても、これからも社会と関わっていこうとするのならば、手に取ってもらいたい新書です。
「顔に取り憑かれている脳」というタイトルは、あおり文句ではないかという警戒心がありましたが、読後は、確かにそうかもしれない、という納得感がありました。
(こちらは↓、電子書籍版です)。
(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
#推薦図書 #読書感想文 #顔に取り憑かれた脳 #中野珠美 #顔 #自分の顔
#写真加工 #SNS #自信 #ドーパミン #ナルシシズム #依存性 #毎日投稿
#鏡 #写真 #自撮り