現代の「未来のリーダー」って、どんな人だろう?
学習塾の看板には、今も「未来のリーダー」という言葉があるし、出世という表現は現役だし、出世観音、というのは、昔からあったけれど、「出世」というのは、元々は、どんなことだったのだろう。
昔ほど、誰もが知る存在ではなくなったかもしれないが、金太郎伝説の金太郎は、(と書いて、最近はケイタイのCMで出ているから、再び知名度が上がったかもしれない)山に住んで、熊を相手に相撲をとっていた、どこの誰だかわからないような男子だったのが、最後は、武士になるという話で、それは「出世」をしたというハッピーエンドだったはずだ。
そのころは、リーダーは「将軍」で、その地位を将軍家の血筋で、しかも有力な家系以外の人間が望んだとすれば、それだけで、「死罪」とは言わなくても、何かしらのおとがめがあったと思うので、その頃は「リーダー」的な望みを抱ける人は、本当にごく一部だったはずだ。
身分が固定されていたら、自分の身分以上になるという思考自体がないから、もしかしたら、今から思うよりは不自由に思っていなかった可能性もあるけれど、「私も、未来のリーダー」になる、といった発想自体が、それほど古いものではない、と思う。
博士か大臣
こうした政治家を揶揄するような記事の中で、この「末は博士か大臣か」という言葉が紹介されているのだけど、子どもの未来が、「博士か大臣」というのは、随分と狭い将来の目標、というような見方もできるように思う。
大臣は、政治家として「偉く」なるということなのだろうけど、元々は、明治の政府になった時に、それまでの江戸幕府とは差別化をはかるために、「奉行」ではなく、武士の政治ではない平安時代までにさかのぼって「大臣」という名称を採用した、という話をどこかで読んだことがある。
さらには、「博士」は学問を極める、というような価値観だとすれば、「末は博士か大臣か」の言葉では、「出世」するとすれば「政治家」になるか、「博士」になるか、に限定されている。
権力か、学問だから、スポーツとか、芸能とかは除外されているし、実業家も一つの出世ルートだとは思うが、そんなようなことも謳われていない。
だから、「大臣」になって、権力の中にいくか。「博士」になって、いま存在する学問を極めるか。それが出世であれば、大きく世の中を動かすような場所に行く発想を、最初から封じているようにさえ思える。
この本↑を読んでから、こうした一般的に言われている「目標」のようなものに、以前よりも疑り深くなったけれど、「末は博士か大臣か」も、元々、実は、狭い目標であった上に、今では、あまり「目標」ですら、なくなったのかもしれない。
というよりは、こうした希望を持つことさえも難しくなっている可能性もある。
小学生がなりたい職業
他にも、発表されているランキングはあるが、小学生進研ゼミでもあるし、調査したのが13000名を超える人数なので、この3年連続「ユーチューバー」という結果は、説得力があるように思えた。
確かに、男子だと、このランキングには、今も「プロ野球選手」(3位)、「サッカー選手」(4位)が入っているけれど、ベスト10に入っていて、比較的、堅実な職業としては、「学校や幼稚園の先生」「パティシエ」などで、全体では、あまり組織に属する仕事を希望する小学生は少ないような印象がある。
かつての価値観で言えば、「博士」であることが多い「研究者」は男子の5位にランクインしているが、「政治家」は入っていない。どちらにしても「未来のリーダー」と呼ばれるような立場を目指す小学生は、少ないように思う。
親がなって欲しい職業
その一方で、親が「子どもになって欲しい職業」だと、当然かもしれないが、見事に違いがある。
このアンケートはランドセルを購入した親や子どもに聞いているのだけど、子どものなりたい職業は、ベネッセとは違う。
実は、それほど詳細には検討していないものの、子どものなりたい職業ランキングは、比較的、ばらつきがあって、特に、このクラレのランキングで、男子の1位は警察官など、どうしてなのか?を考えたくなる結果ではあるものの、親のなって欲しい職業は、どうやら、どのランキングも「会社員」や「公務員」が上位になっている。
それは、親にとっては、「安定」を願う気持ちという分析もされているが、その傾向はもう何十年も変わらないし(もしかしたら、もっと長く)、現在の「会社員」の人口の多さを考えると、親の願いの方が現実化している、と言えるかもしれない
未来のリーダー
ただ、ここまでのランキングのどこにも「末は博士か大臣か」といったレベルの「未来のリーダー」はいない気がするけれど、マーケティングもしているはずの学習塾が、そんなに大きくはずれたアピールはしないはずだだった。
だから、この「未来のリーダー」の、こちらの印象が無知で、単にズレているだけかもしれない、と思えるのは、ビジネスパーソン向けのこうした記事があったからだった。
ここでの「リーダー」というのは、会社組織の中での部長職や課長、もしかしたら部下がいたら、すべてを「リーダー」と呼んでいるような印象さえあって、だから、学習塾の表現した「未来のリーダー」というのは、親が望んでいる職業の「会社員」になって、「部長」くらいに出世して欲しい、といった「目標」を「未来のリーダー」といった名称にしているような気がしてきた。
そして、実際には、そうした「目標」であっても、「将来の部長職の君たちへ」と書くよりは、「未来のリーダー」というあいまいさを含んだ表現の方が、なんとなく希望が持てるという理由で、こうした言葉が選ばれているのかもしれない。
そう思うと、なんだか未来は曇っているように思えてくる。
親ガチャ
「親ガチャ」という言葉は、大学の入試も取り上げられるほど一般的になった。
子どもは親を選べないから、生まれる場所で、当たりやハズレがある、という意味合いらしく、それは、かなり本当だと思うし、これだけ使われるようになったのは、「階級の固定化」がリアルに進行しているせいだとも思う。
この社会にしてしまった責任は、大人である自分にもあるが、ただ、この「階級の固定化」を、年齢が若いほど、シリアスに感じている可能性は高い。
この社会の傾向と、「なりたい職業」は関係があるのだろうか。
親が「子どもに就いてほしくない職業」
子どもに「なって欲しい職業」について、その理由として「安定」が挙げられているので、「就いてほしくない職業」は、その逆の「不安定」だったり、「危険」や「大変さ」がある仕事が上位に入っていて、その仕事の見られ方についての「本音」に近い部分が表れているようにも思える。
2位が「芸能人」で、3位が「自衛隊」。
公務員なので「安定」があると思われる自衛隊も、今は「危険」という印象が上回っているようだ。
4位が「政治家」で、5位が「介護士」
表面上は「立派な仕事」と言われていても、実際は、こう見られているのかと思ってしまう。
6位「医師」、7位「看護師」も大変そう、という理由が多いようだ。
このランキングだと、ベネッセの「小学生のなりたい仕事ランキング」3年連続で1位が「YouTuber」なので、かなりの違いがあるように思う。
どうして、このギャップが生まれてしまうのだろうか。
なりたい仕事の理由
「親ガチャ」という言葉が広まったように「階級の固定化」が進んでいて、情報が手に入りやすくなった現在では、おそらくは小学生でも、生まれた家庭で、将来はかなり決まるのではないか、という思いが、昔より強くなっているように思う。
かなり昔の小学生だった自分の記憶でも、社宅に住んでいると、同じ会社であっても、親の学歴によって、出世のスピードなどに露骨な差があるのを感じていたくらいだったから、今の方が、もっと深刻な違いがあるのを思うと、「3年連続YouTuberが1位」も、ただ身近な有名人で、華やかそうで、馴染みがあるから、という理由だけではない可能性がある。
YouTuberとして成功するかどうかは分からないし、将来は、もっと成功の確率が減っているのも、ここ何年かのYouTube界を見ていても、小学生にとっても、おそらくは想像がついているのではないだろうか。
だけど、同時に、「親ガチャ」によって、だいたいの未来が見えてしまっているし、ブラック企業という言葉もよく聞くから会社員であることさえ大変そうだから、いくら頑張っても、明るい未来はないとわかってしまっているのかもしれない。
そうであれば、始まるのには手軽で、起業のように元手がたくさんかかるわけでもなく、少なくとも、表面上は楽しそうに見えるし、別にYouTube界の「未来のリーダー」を目指さなくても、日々が楽しく過ごせる手段として、YouTubeの動画を投稿するのが仕事になったらいいな、といった、切実でささやかな夢としての「なりたい仕事はYouTuber」という可能性はないだろうか。
さらには、大きそうな企業でもリストラがあったり、吸収合併されることも少なくないから、どこかの組織にすべてを預けるのも不安だから、ベスト10に入った職業を一つだけではなく、YouTuberも含む複数の仕事をして、リスクを減らしたいというような発想もあるのかもしれない。
ここ10年ほどの厳しくなる一方の社会情勢を見ていると、そんなことを考えてしまった。
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