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読書感想 『愛と家事』 太田明日香 「時代が動かない場所から」
読んでいて思い出したのが、「82年生まれ、キム・ジヨン」(リンクあり)だった。
安直な比較は、両作家に失礼だとは思う。ただ、偶然だけど、この「愛と家事」の著者も1982年生まれで、二十歳になった時は、すでに21世紀にも関わらず、作品の登場人物の経験の数々が、もっと昔のことのように感じ、そして、同時に、そう簡単に時代は変わらない、という事実も突きつけられる、ということが似ているように思えた。
それは、私のような昭和生まれの男性には、こうした作品を語る資格はないと思いながらも、同時に、そうしたためらいなども超えて、伝える意味はあると思わせてくれる著書だった。
「愛と家事」 太田明日香
題名からは、内容が推測しにくいのだけど、基本的には著者の自伝といってもいい。
それは個人史でもありながら、比較的、特殊な場所に生まれ、そこで育って、そのままそこに留まらず、違う時間の流れ方に「脱出」したことで、そのギャップによって、より苦しんでしまうことになってしまった人の記録でもあると思う。
だからこそ、時代のことが、より見えるということもあると感じた。
(そんな風に、俯瞰した視線で語るのは失礼なのだけど、読んでいるときは、著者の視点とともに進めるから、その苦しみも、伝わってくると思う)。
その生地についての描写も、著者よりも、はるかに年上の私でさえ、あまり記憶にないような、失礼ながら「時代が止まった場所」のように感じた。
その表現が淡々としながら正確で、どこかフィクションのようにも感じる光景が目の前に浮かんでくるので、長くなるけれど、引用したい。
その集落は川をさかのぼった源流に近い山の中にある。家が七軒、うち二軒は完全な空き家だ。谷間にある集落を川が縫うように流れていて、その周囲にぽつんぽつんと家がある。
訪れる人はほとんどおらず、郵便配達のほかは週に一回、漁師が漁村から山を越えて軽トラで魚を売りにきた。山の向こうは海で、晴れた日にはときどき船の汽笛のような音が聞こえた。
昭和三〇年代頃までは炭焼きをする人が多かった。電気やガスが普及して炭の需要が減ると、食えなくなって何人かが山を降りた。さらには貯水池を作ることになり、予定地に住んでいた人たちも別の土地をもらって、山を降りた。残ったのが、六軒だった。
わたしの母のその集落のいちばん奥にあるうちで昭和三一年に生まれ、一八年そこで育ち、西宮の看護学校に行ったあと、戻って来た。二五歳のときに一つ年下のいとこである父と昭和五六年にお見合い結婚し、子どもを二人産んだ。
女性軽視と外の世界
こうした土地では、当然のように「女性軽視」のような思想が根付いていて、しかも、そのことが常識になっているから、異論をさしはさむような人もいない。
親の世代や親戚は、まだ、男は家を継いで女は嫁に行く、一人娘だった場合に例外的に婿養子を取るという感じで、恋愛結婚した人は少なく、結婚というのは家という組織を継続するための手段のように思っていた。
「女のくせに」「女だてらに」と祖母はよく言った。フェミニストなど周りにはいなかった。テレビや新聞で見聞きする世界との落差にくらくらした。そういう世界は自分とは無縁のものだと思っていた。
外の情報に接することはできる。まるで、冷戦時代の東欧諸国のエピソードのようだけれど、生まれた場所という環境は、自分では選べないが、この「土地」の時代の進み方が、残酷なほど「外」と違うことは知っていたはずだった。
だから、諦めようとしたことで、気持ちの安定を図ろうとしていたのかもしれないが、それでも、そこから脱出しよういう気持ちは、ずっとあったのかもしれない。
著者は、学問の分野で優秀だったはずだ。その経緯の詳細は、書かれていないが、奈良女子大に進学するのだから、学力によって、その土地を離れた事になる。ただ、女子大であること、教育に定評があること。国立大であること、東京や大阪などの大都市でないことなど、もしかしたら、親の賛意を得るための、考え抜いた選択だったのかもしれない、と思うと、そこから、すでに苦難が始まっていたようにも思う。
もしかしたら、著者のいた、こうした環境は、21世紀の今でも、日本のあちこちに、思った以上に多く存在するのかもしれない。
進学とカルチャーショック
「外の世界」で生活するようになると、それまでテレビや新聞で見聞きするだけだった、フェミニズムを当たり前の前提として育ってきた同級生の存在にショックを受ける。
そうした発想に、学んで近づく努力をすると同時に、自分が育ってきた環境を否定されるかのような思いで、フェミニズムへの反発も持った。同時に、大学の中の矛盾のようなものにまで気がついてしまうのは、「時代が止まった場所」から来たからこそ、より見えた可能性もある。
そうした大きな変化の中でも、矛盾するかのような両義的な発想を、どちらも手放さないところに、著者の特徴があり、そのことで独特の思考の深さにつながっていき、机上の空論にならないのだと思う。
その一方で、そのことで著者は、より苦しくもなるが、それらを率直に、おそらくは振り返るにも負担がかかりそうなことまで、こうして記録してくれているから、読者として、貴重な体験や思考の流れにまで、触れることができる。
結婚と離婚
結婚してからも、一度生じた違和感への感受性の発動は止まらなくなっていた。
さらに結婚すると、今まで正しいと思ってがんばって合わせてきた社会や世間に対して、大きな違和感をもつようになった。結婚するのは個人なのに、どうして嫁というだけで、ちょっと下に見られるのか、結婚したらしたで実際にだれが家事をするのか、だれが家計を握るのか、少ない収入でやりくりできないことは全部わたしのせいで、外では夫を立てろと言われ続けて、うまく夫を操縦できないのもわたしのせいにされるのはなぜか、そしてそれに不満をもらすと、そんな夫を選んだわたしが責められる……夫婦関係がうまくいかない理由を全部わたしが悪いことにされて、理不尽だと思い始めた。
昔の残酷な「言い伝え」を思い出した。「女には学問させるな」。それは、知恵の力をつけさせないため、という暴力的な思考であり、支配的な発想だと思う。学問を知らなければ、余計な苦しさに気がつかないから、といった間違った優しさもあるだろうけれど、もしかしたら、著者の生地でも、少し前まで言われていたことかもしれない、とも思えた。
離婚と自省
それから、離婚に至るまでの、文字通り心身を削るような経験を、おそらくは気持ちを消耗させつつ振り返り、自らの過ちと思われることや、矛盾する思いまで記録してくれたことで、伝わることに、より豊かさが加わっているように感じる。
男性である私には、本当に理解できないし、分からないとは思うものの、フェミニズムについても、自然に考えさせてくれた。
もっとも葛藤のベースとなっている母親との関係にも、誠実に向き合い続け、さらには、現在の再婚した穏やかな生活に至るまで、率直な気持ちを正確に書き続けている。
著者は、40歳前で、著書自体も、128ページと薄めといってもいい本なのだけど、とても長い「歴史」を読んだ感触まであった。
思った以上に、幅広い方に伝わる本だと感じました。
もし、このnoteの記事で、少しでも興味を持ってもらったら、どんな方にでも、オススメできる書籍だと思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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