『8月の記事振り返り』---「過去4年の記事の中から3つ選びました」
8月も、もうすぐ終わりになります。
まだ暑いのですが、9月が近づくと夏の終わりを意識します。
いつも読んでくださっている方がいるおかげで、こうして書き続けることができています。ありがとうございます。
今回、初めて目に留めて下さった方も、ありがとうございます。
もし、少しでも興味を持っていただいたら、今回の記事からでも、読んでくださると、ありがたく思います。
ところで、noteの記事は、時間が経てば経つほど、目に触れる機会が減っていくようです。
それは仕方がないことだとも思いますが、昔の記事であっても、今読んでも(自分自身で少し評価が甘くなっているのかもしれませんが)、そんなに古くなっていない内容もあると思い、こうして過去の記事を時々紹介するようにしています。
今回は、2020年8月、2021年8月、2023年8月の記事から、1つずつ選びました。
未読の方で、少しでも興味を持ってもらい、読んでいただければ、うれしいです。
よろしくお願いいたします。
おちまこと
「コロナ禍」での、「リーダーの条件」を考える。
人によっては、すでにコロナ禍は終わったというような気持ちでいらっしゃるかもしれませんが、重症化リスクの家族がいたり、高齢者関係の仕事をされている方にとっては、まだ終息とは言えないと思います。
3年前に、コロナ禍のリーダーについて書いた記事ですが、この「リーダーの条件」は、今も日本の状況を考えても、一部を除いて、最低限満たして欲しいような要素なのは、変わらないような気がします。
もし、よろしかったら、読んでいただき、ご意見などをくだされば、とてもありがたく思います。
「過酷な状況」を生き抜いた人が、時として、「異常なほど苛烈」になってしまう理由を考える。
これは、今でも変わらないことのように思いますが、過酷な環境で生まれ育ち、社会的に成功を収め、いろいろな意味で力を手に入れた人が、自分と似たような厳しい環境の中に生きている人に対して、必要以上に苛烈に接してしまう姿を見ることがあります。
同時に、同じような厳しい環境の中で生まれ育って成功をし、その後、苦しい環境にいる人に対して、優しい人もいます。
そうした違いに対して、ある意味では不遜かもしれませんが、改めて考えてみました。今でも、実は重要なことのように思います。
「常識」を支えているのは、誰なのだろうか?
常識は変えられない。
今も、そんな考えが多数のような気がします。
常識は関係ない。
その一方で、そうした言動も思ったよりもよく見聞きします。
それでも気がついたら、「自己責任論」のように新しい常識が根づいていくこともあります。
常識について、改めて考えてみました。この時に書いたことは、今もまだ課題のままのように思います。
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