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読書感想  『何者かになりたい』 熊代亨 「穏やかな結論の重要性」

 主人公の一人が「何者かになりたい」と思いつめるところから始まるドラマがある。

 何者かになりたい、と決意して動き始めれば、何者にでもなれる可能性は出てくるけれど、何者にもなれないかもしれない。

 そんな危うい未来も含めての決意だと表現されていた。

 さらに、その「何者にもなっていない」過程の描き方が、全く先の見えない状態に居続ける感じがリアルで、おそらく共感できる人が多いのだろうとも思えた。

 こうしたことがドラマになっているということは、この「何者かになりたい」は、現代の普遍的なテーマだと思うのだけど、でも、どうして「何者かになりたい」のだろう。

『何者かになりたい』 熊代亨

 著者は、精神科医であることで、人と社会を考える機会と時間が多いことを生かしながらも、専門業界の方ではなく、一般社会への視点を忘れない印象がある。

 この書籍は、まず「何者かになれる」と思われている手段についての検討から始まる。例えば、誰からも「すごいですねえ」と言われやすいのは、「立派な肩書き」のはずだ。

しかし、有名大学の卒業者や医者の世界を見ていると、アチーブメントや肩書が強い効果を発揮するのは他人に対してであって、自分自身に対しては、そうとも限らない様子が見てとれます。

 有名大学も、医者の世界も、実際に所属することになると、そこには自分以外に明らかに「優秀」な人たちがいて、そこで自分は「何者」でもなく「凡人」であることを思い知るから、という理由が続けられる。

 さらに、誰からも認められるような「大きな目標」を達成したら、確実に「何者かになれる」のではないか、と、まだ達成していない人間は思いがちでもある。

そうした大きなアチーブメントがあなたに何者かになった手ごたえを与えてくれるのは、短い時間でしかありません。 

たくさんの人に認められたりビッグなことを達成したりして、そこが出発点となってなにかを成し遂げ続けられるなら、それが「自分が何者かである手応え」に変わっていくことはあり得ます。でも、それはひとつのアチーブメントによって得られるものではありません。もっと長い時間をかけ、もっと長い道のりを経て、自分の人生に活動が定着していって得られるものです。  

人とのつながり

 それに、現代ではSNSで、大勢に注目されて、「何者かになれる」ように見えるルートもある。もちろん、それも当然だけど万能ではない。

特殊な例外を除いて、いや、まず例外なく、アカウントに人が集まれば集まるほど、そのアカウントは視聴者に期待される「キャラクター」へ、自分自身を編集し、切り貼りした「コンテンツ」へと変わっていきます。自分が言いたいことをぐっと堪えなければならなくなり、フォロワーや視聴者が期待していることを言わなければならなくなっていくのです。

 こうした指摘や分析は、これから「何者かになる」目標を持っている人のやる気を削ぐのでなく、読み進めると、「何者かになりたい」と努力をしたあげく、かえって自分を見失うようなことにならないための「親切」な話ではないだろうか、と思えてくる。

「チヤホヤされているときは、自分が何者かを忘れていられる」点には、どうかお気をつけてください。自分が何者でもないと悩んでいる人、とくに若い人が、チヤホヤされたりスポットライトを浴びたりして快感を覚え、悩みを忘れてしまった結果、「これこそが解決策」と早合点をしてしまうことがあります。

 だけど、それは、当然のように短い時間だけで去ってしまうし、「チヤホヤされること」だけを追い求めてしまうようになったら、やはり危うい。

肩書きやアチーブメントや人気は、上手に用いれば公私両面であなたを助けてくれますし、他人はそれらを見てあなたが何者かを勝手にあれこれ言うでしょう。でも、そういう他人目線に心奪われ、「それらがあれば、自分は何者かになれる」と信じ込み過ぎるのは危険です。

 同時に、集団に属している時の、気持ち良さのようなものにも、著者は警鐘を控えめに鳴らしている。

盛り上がったバーベキューのような集まりにとけこんでいるとき、私たちは「何者かになりたい」という願いからも「自分は何者でもない」という悩みからも遠ざかります。少なくとも、一人で考え事をしているときに比べれば遠ざかると言えるでしょう。 

現在のSNSでは、本当は独りぼっちだとしても、インフルエンサーを一方的にフォローしているだけで「集まっている自分たち」や「おれら・わたしら」を実感することができます。 

お金や時間を消費し、いったん自分自身の問題を棚上げできたとしても、あとに何も残らない。この点から、オンラインサロンの効能からホストクラブやキャバクラの効能とあまり変わらない、と言わざるを得ません。 

  では、どうすればいいのか。

あなたが「何者かである」と実感できる手ごたえを本当に与えてくれる人や対象をどこまで見極められるのか、「集まっている自分たち」や「おれら・わたしら」を共有でき、長くつきあっていける望ましい集団を見つけたときに、ちゃんとそれを掴んでいられるのかが問われるところなのだと思います。 

 一言で鮮やかに言い切っているわけではないし、考えたら、かなり難しいし、手間もかかることだとわかる。だけど、こうした当たり前に思える「人とのつながり」を大事にする、という基本なことを思い出させてくれる。

解決策

 そして、第3章になって、その解決策が提示される。

「何者かになりたい」と願う人の解決策をワンフレーズで言い切ってしまうと、「アイデンティティと呼べるものを獲得しなさい」となります。「『自分はこういう人間である』と言えるもの、自分自身のイメージを形づくる構成要素になりそうなものをとにかく手に入れましょう」と言い換えることもできます。

 そして、そのワンフレーズのために、どんな方法が有効なのか。著者は、「たった一つの冴えたやり方」や「一発逆転」のような目をひくことは語らない。地道とも思えるような、少し頑張れば誰にでも始められるようなことを述べ、鮮やかな解決策は、提示しない。

「あれもこれも」と選ぶ以前に、まず手元にあるものを手放さないこと、今の自分でも手が届くものを大切にすることを、さしあたりの指針としてお勧めしたいです。

趣味や好きな食べ物、大事にしている品物などもあったほうが「自分は何者でもない」という事態を軽減させてくれます。(中略)アイデンティティの小さな構成要素にはなり得ます。 

 その上で、本来ならば否定されるような不良仲間などネガティブな人間関係や、アイデンティティの確立に失敗した状態でもある「アイデンティティ拡散」についても、長い目から見た評価をしている。

私がアイデンティティ拡散や負のアイデンティティをむやみに否定してくないのは、私自身も私の知人も、アイデンティティ拡散と呼ばれそうな時期を通過し、負のアイデンティティと他人に言われてもおかしくい境遇を通り抜けてきたからです。「自分は何者でもない」と悩むなかで、世界を憎む物語をアイデンティティだと感じたり、イレギュラーな集団の一員になったりすることで、どうにか思い詰めずに済んだ人は過去の私も含めて結構いたはずです。

負のアイデンティティをずっと抱え続けることは難しく、あまりに長ければ人生を歪ませてしまうおそれもあります。しかし、だからといって自分自身の構成要素と感じるものを他人の言葉で簡単に捨ててしまっていいかといったら、私はそうではないと思います。

 そして、今すぐにでも答えを欲しい、という人にとっては物足りなくも思える可能性はあるが、でも、基本的には、「何者かになる」には時間がかかる、という基本的なことを繰り返し伝えているように思えてくる。

少し誤解を含んだ言い方になるかもしれませんが、あなたが好きでしようがないものが定まっていくこと、あなたがどうしても手放したくない人や居場所が増えていくことが、おおむねアイデンティティの確立であり、あなたが「何者かになっていく」ことだと言い換えられるかもしれません。 

穏やかな結論

「アイディンティティ確立」に対して、現代特有の、様々な関係性が、どのような影響があるのか。

 恋愛関係。
 パパ活やママ活。
 援助交際。
 恋愛工学。

「交換可能な住まい」「誰がやっても構わない仕事」「どうでもいい人間関係」「1か月も経たないうちにおわってしまう趣味や取り組み」など、これらは失っても痛くもかゆくもない反面、あなたのアイデンティティの獲得・確立には役立ちません。

 そして、親子関係の難しさ。

アイデンティティを含めた子どもの心理発達の問題は、それが過去を振り返ることしかできない点も含め、だいたい厄介なものです。なかでも私が厄介と感じるのは、自分の家庭や環境に問題があっても、子ども自身はそれにタイムリーには気づけないという点です。

 さらに、中年期、高齢者のことにまで触れているから、約210ページで、人生全般について話されることになる。

「何者か」にはきっとなれるし、ならずにはいられないとも言えます。
 だから、本当はそれほど悲観する必要はありません。たとえいつか失われるものだとしても、何者かになろうとする、何者かでいようとする、それでいいのではないでしょうか。
 少なくとも私は、アイデンティティが永遠でないとしても、それを求め、生きていく私たちの営みが無意味だとは、どうしても思えません。 

 これは、もしかしたら人によっては当たり前で、こんな説教のようなことを聞きたくない、と思うかもしれないけれど、でも、この「結論」のようなものに至るまでの道筋を少しでも知っておくと、気持ちが少し楽になるように思う。

 でも、それは、私自身がある程度、年齢を重ねたせいかもしれない。

おすすめしたい人

 著者は、あとがきで、「この本を含めて、いわゆる人生のネタバレってなかなか年上から年下に伝わらないものだと私は知っています。なぜなら私が若かった頃、年上の人の話す人生談義は話半分にしか聞いていなかったからです」と書いているが、これは今でも通用する「常識」のようにも思う。

 それでも、「何者かになりたい」と切実に思っている人にこそ、読んでほしい1冊だと思いました。

 それは、若い人だけではなく、中年期でも、高齢期でも、「何者かにならなくては」と思う時があるでしょうから、そんなことを考えた人も、読んでいただきたいと思っています。


(こちら↓は、電子書籍版です)。

 


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おちまこと
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