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読書感想 『日本の電機産業はなぜ凋落したのか』   「本当に価値のある反省」

 タイトルを聞いたときは、なんとなく、どこかで読んだ記憶があるように思ってしまった。

 それは、経済評論家や、エコノミストや、アナリストと言われる外部の視点からの様々な文章の記憶と重なったからで、そうした分析を読んで、いつもわかるのは、この30年の日本経済は停滞していたという事実だった。

 その時代を生きてきた人間として、そして、その時間のかなりの部分を、少なくとも10年は、ただ介護に専念することによって、経済の下降といったことを直接的に受けるとても弱い立場として、やや外から見ていた人間としても、そのことはわかっている。

 だけど、本当の原因は、とても複雑で多過ぎて、これと指摘するのは難しいのだろうけれど、これまでの外部の視点では、なんとなく納得できないことも多かった。

 いわゆる会社組織に長くいなかった人間としても、本当の理由はずっと語られていなかった感覚があったが、それが間違っていなかったことが、今回、読んだ書籍で確かめられた気がした。


『日本の電機産業はなぜ凋落したのか 体験的考察から見えた五つの大罪』  桂幹

 著者の経歴は、このように紹介されている。

なぜ日本の製造業はこんなにも衰退してしまったのか。
その原因を、父親がシャープの元副社長を務め、自身はTDKで記録メディア事業に従事し、日本とアメリカで勤務して業界の最盛期と凋落期を現場で見てきた著者が、世代と立場の違う親子の視点を絡めながら体験的に解き明かす電機産業版「失敗の本質」。
ひとつの事業の終焉を看取る過程で2度のリストラに遭い、日本とアメリカの企業を知る

 日本の会社組織に長く勤め、そして、親子で「日本の電気産業」の「組織の中の人」として長く働き続け、しかも、最終的に2度のリストラ、という、おそらくは手痛いといった表現では済まないような経験をしていて、しかも、その期間に電気産業の隆盛と凋落の両方を身を持って経験した人物は、もしかしたら、ここまでの経験の強度はないとしても、想像以上に多いのかもしれない。

 普段、全く違った仕事をしてきたので、忘れがちなのだけど、個人的には、私も父親が電機産業で長く働き続け、同じような立場の同級生の中には、その親と同じ電機産業で働いた人間もいたし、就職活動がうまくいっていないときに、そうした方法を親から言われたこともあったのだから、もしかしたら、自分も、この著者ほど出世はしないとしても、似たような経験をしていたかもしれない。

 でも、長い目で見たら「失敗」をした組織にいた人間として、こうして広く、その「反省」を形にしたかどうかと想像すると、とても難しいと思う。

 特に、その分野での「隆盛」という時代を知っていたとしたら、そこから引退し、まだ年金ももらえるような世代であったら、一応は生活は安定しているのだから、その「失敗」よりも「成功」した時代を語りたくなるのが自然だと思うし、そのことを責められないように思う。

 だが、著者はその選択をしなかった。

 何の因果か、私には面と向かって解雇を告げた経験が三度ある。特に三度目は規模も大きく、今でも鮮明な記憶として残っている。
 二〇一五年九月二九日の朝、私は会議室に集まった部下六〇人ほどに、事業撤退が決まったことを告げた。余計な期待が残らないよう、そこにいる全員が三か月以内に解雇になる事実も、ハッキリと伝える必要があった。 

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より。以降、引用部分は、基本的に同著より)

 そして、著者自身も2度のリストラにあいながらの会社での生活を、このようにまとめている。

 たまたま新入社員として配属された記録メディア事業だったが、(中略)結局は三〇年という長い時間をかけて、ゆっくりと失敗を重ねていたのだ。

 まだ会社との一体感が強い世代の人間にとって、文章の上とはいえ、こうした事実の再確認は、辛く勇気のいることだったと想像するし、それだけに、この認識を元に書かれた体験談は貴重ではないかと思えた。

誤認の罪

 著者は、電機産業の凋落の原因を5つに分け、指摘している。

 最初に挙げられていたのは「誤認の罪」。それは、読んでいる印象としては、簡単にいえば、判断ミス、という知性的な失敗だった。ただ問題は、それが一つの会社だけではなく、電機産業という業界全体が、間違った競争をしつつ、その判断ミスに気づけなかったことのようだ。

音楽や写真のデジタル化がもたらした成果を見れば、その本質は「画期的な簡易化」だとわかる。デジタル化によって、今まで時間がかかっていたことが、短時間でできるようになり、高値で手が届かなかったものが気軽に買えるようになり、人手がかかったことが簡単にできるようになったのだ。これらの「画期的な簡易化」こそが、デジタル化がもたらした功績であり、その本質だった。

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より)

 例えば、それを体現していたのがアップル社だった。

ジョブズ氏は誰よりも早くデジタル化の本質が「画期的な簡易化」だと見抜いていたようだ。

 そして、その競争が本格化したのが、21世紀だったのだろう。

 しかし、実際にはこの明白な本質を見誤った人たちがいる。日本の電機メーカーだ。本質を誤認するというのは、目的地を示した地図を見間違えるようなものだ。案の定、デジタル化が進むにつれて、多くの電機メーカーがあらぬ方向へ向かい始める。
 これこそが、誤認の罪だった。

 その誤認を結果として後押ししてしまったのが、過去の成功体験のようだ。

 多くの人が、高付加価値、高品質、高性能な製品であれば、価格が多少高くてもユーザーに今まで通り受け入れられてもらえると信じた。いわば〝三高神話〟だ。「安くてよいものを作れば必ず売れる」というアナログ時代のドグマ(教条)が、「よいものを作れば必ず売れる」に変わっていった。

 その背景があったので、21世紀以降のデジタル化の流れの中で、実際に商品を購入する人間が、何を本当に求めているのかを、見失っていたのかもしれない。

しかし、ユーザーが求めているのは、高品質、高性能、高付加価値だけではない。使い勝手のよさや買い求めやすさは、より強いニーズだ。にもかかわらず、デジタル化が進む中で自社の強みだけに拘泥し、ユーザーの本質的なニーズに目をつぶったことが日本電機業界が凋落した原因の一つであり、まさしく誤認の罪なのだ。

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より)

慢心の罪 

 著者が、日本の電機産業が衰退した理由として「5つの大罪」を挙げ、最初に「誤認の罪」。その後、4つの罪について述べている。「困窮」、「半端」、「欠落」もその要素なのだけど、読者として、そして、この30年を日本社会で生きてきて、この5つの罪の中で最も本質的で、重い理由を挙げるのならば、「慢心」だと思った。

 その象徴的な出来事として、まだ日本の電機産業が世界のトップを走っていた頃のTDKの会議の様子が描かれている。それは、当時の隆盛を示すように世界中に支店があり、地球上から社員が集まる、いってみれば「世界会議」のような場所での出来事のようだ。

 それは、全世界の光ディスク事業を仕切る製造部門の時間だった。
「最近、台湾市場では地元製のCD-Rが出回り始めたんですが、値段がウチより三、四割安くて困っています。製造部は台湾製のCD-Rをどのように認識しているのですか?」
 東アジア地域の営業責任者が、前に立つ製造部の代表者に問うた。
 当時は光ディスクの黎明期で、台湾企業がCD-Rの生産を始めて間もない頃だった。欧米や日本ではまだ目にする機会はなかったが、地元台湾では低価格で試し売りされていた。

「台湾?心配いらないよ」
 製造部の代表者は、余裕の笑みさえ浮かべていた。
「CD-Rを作るのは、すごく難しいんだよ。台湾メーカーには、簡単には真似できないから。奴らには、ちゃんとした品質のモノなんて作れないよ」
 彼は自信に溢れて見えた。自分たちの苦労を思い起こし、新参者には簡単には追い付けないと確信していたのだろう。

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より)

 ただ、この自信は、思った以上に早く打ち砕かれる。

 しかし、結果的には、製造部の見込みは甘かった。台湾企業は生産開始からわずか五年ほどで世界を席巻し、生産シェアを七割以上にまで拡大させたのは先に述べた通りだ。
 偉そうに回想する私自身も、決して褒められたものではない。当時の私は記録メディア事業で日本企業が負けるなど、まったく想像していなかった。

 こうした「慢心」が、電機産業だけではなかったことは、おそらく当時の日本に生きて、その当時のことを少しでも冷静に振り返れば、わかることだと思う。

 台湾が国家戦略の一環として強化していた技術力を、簡単にはモノにならない、と見くびっていた私たちの危機感のなさだった。アナログ時代の成功体験から抜け出せず、新たな脅威の登場に鈍感なまま、根拠なき楽観に浸っていたわけだ。今になれば、なぜちゃんとやるべきことをやらなかったのか、不思議に思えてならない。そんな当たり前のことさえできなくなるのが、慢心の恐ろしさだった。
 のちにTDKの光ディスク製造部門もこの事実を知ったが、「台湾?心配いらないよ」が、「DVDでは負けない」、「ブルーレイで勝つ」といった発言に変わっただけだった。

 この「慢心」について、著者は、覚悟を決めたように、さらに書き続けている。

 TDKの記録メディア事業と、シャープの半導体、液晶事業に共通するのは、自社技術への過度な自信と、競合相手に対する過小評価が慢心を生み出し、組織全体に広がっていったことだ。そうなると組織は知らぬ間に根拠なき楽観に依存するようになり、最終的には大きく道を誤る。

 高付加価値、高品質、高性能さえ提供できれば、コストで負けていても韓国企業や台湾企業には負けない、と多くの電機メーカーが考えた理由も、根本は同じだったのだろう。慢心に染まった組織は、ちゃんとやるべきことができなくなるのだ。

慢心の罪は、思いのほか重かった。

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より)

慢心の恐さ

 慢心の恐ろしさは、それだけではない。伝播するのだ。

 おまけに、一度身についた慢心はインクの染みのように簡単には消えない。何より当事者に自覚が乏しいのだから、簡単に取れるはずもない。本当に厄介なのだ。

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より)

 それは、現在進行形の話でもあるのが、怖いところかもしれない。

 民間企業が強い危機意識を持つ一方で、令和の時代になって節度を失い、慢心をのぞかせたのは政府だった。日本の経済力が相対的に低下する中で、虚勢を張るかのように強引な通商政策が取られた。  

 政府の本心はわからないが、一つ言えることがある。それは、政府に慢心が透けて見えることだ。相手が韓国であれば、少々強引なことをやっても国民は支持するはずだという驕りだ。
 慢心の中身こそ違うが、平成の時代に日本企業が犯した過ちを、令和の時代に政府が繰り返しているのであれば、問題はより深刻だ。

 こうしたことを、著者自身の身を切るような反省を元に記してあるので、説得力はとても強いと感じた。

 慢心は感情の産物だ。理性の対極にある。ここまで見てきた慢心の過ちとは、知らぬうちに感情に支配された組織が周囲の変化を見誤り、非合理的な判断を下すことだと言える。その結果、新興勢力に付け入る隙を与え、将来のビジネスに甚大な影響を残し、自らの首を絞める。

 インクのように組織に染みついた慢心を取り除くには、合理性という洗剤で繰り返し洗い落とすしかない。何も事業戦略の設定や設備投資の判断など、事業運営に大きな影響を与える局面に限った話ではない。毎月行われる営業会議のような日常の一コマであっても、合理性に欠けた方針や戦略は疑われ、検証され、排除されるべきなのだ。
 昭和に生まれ、平成で長く放置された慢心という染みは頑固でなかなか消せないだろう。しかし、この染みを残したままでは、日本企業が、あるいはこの国が、世界で再び力を発揮するのは難しいと認識すべきだ。

(「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」より)

組織のリアル

 「慢心の罪」の中で、組織について触れてあるところがあって、それはとてもリアルだった。こうしたことは、長く、会社で働き続けた人にしか描けないことだと思う。

 自分自身の力に驕り高ぶり、鼻持ちならなくなった人間など滅多に会うものではない。私のサラリーマン生活を思い返しても、そんな人間はすぐには思い出せないくらいだ。偉くなると誰もが傲慢になり、自己保身に汲々とするのはテレビドラマの世界だけだ。多くの人が慢心に陥る恥ずかしさを知っている。表に出すことで人望を失い、評判を落とすこともわかっている。たとえ心の奥底に慢心が芽生えても、それをうまく抑え込む術を身につけている。
 ところが、組織になるとなぜか様相は一変する。不思議なことに集団の中において、人は簡単に慢心に陥るようだ。私自身が台湾企業を軽視していたのも、今となっては慢心があったと言わざるを得ないが、サラリーマン時代を振り返っても、長い伝統を誇る企業や時流に乗った企業の社員に結構な割合で勘違いしている人がいた。ちなみに、それはアメリカでも同じだったので、おそらく国民性とは関係のない人間の性なのだろう。

 これは、おそらく現在でも変わらないことだと思うし、同時に、個人的には、この著書で唯一少し分析に緩みが出たのが、この引用部分の最後の一行だと思った。

「ちなみに、それはアメリカでも同じだったので、おそらく国民性とは関係のない人間の性なのだろう」という部分は、もちろん人類にとっては普遍的なことを述べている、ということでもあるのだけど、アメリカでもそうだ、と記すことによって、それが事実だとしても、人によっては日本企業の組織としての「慢心の罪」わずかに免責してしまうことになるからだ。

 それは著者も意識しているかもしれないし、もしかしたら、それはずっと日本企業の組織で働いていた人間が、無意識におこなっているとしても、とても責めることはできない。

 そうした心情になるのも、組織にいた人のリアルさだと思うのだけれども、ここまでの分析ができるのだから、勝手な読者の要望として、アメリカでも同様なのだとすれば、今も経済的にはトップの国であり続けているのだから、「慢心」に関して、どのように対応しているのかを書いてほしいと思った。

読んでほしい人

 「困窮」では、「選択と集中」の功罪について触れられているし、「半端」の章では「日本流雇用の課題」も語られ、「欠落」では「失敗の本質を繰り返す」という指摘もされているから、その後の「提言」まで、特に今も日本の企業に属するビジネスパーソンほど、学べる内容がとても多いと思います。

 失敗から学ぶ。という文化が今も根付いていない社会の中で、読む前は、ここまできちんと書いてくれるとは思っていなかっただけに、著者に敬意を感じますし、現在、社会的に力を持っている人ほど、ぜひ読んでもらいたい作品だと思いました。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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おちまこと
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