読書感想 『小説のストラテジー』 佐藤亜紀 「背筋が伸びるような言葉」
小説家の中でも敬意を強く持たれ、場合によっては畏怖されていて、だから、批評家や評論家も、それほど簡単に触れられない作家がいる、ということを、佐藤亜紀の存在で、少し分かった気がする。
それは、読者としても同様で、わかったようなことを言えるような作家ではなく、どうやらすごいらしい、ということは、佐藤亜紀を、他の書き手がどのように表現しているかで、伝わってきた。
しかも、これまで読んだことはなく、でも、その評価のされ方が、あまりにも独特なので、読んだ。それもまだ1冊しかまともに読んだことはないので、何か言える気もしないけれど、すごいことはわかった。
『スゥイングしなけりゃ意味がない』。
ナチスドイツの時代でも、当然だけど、ナチス一色ではなく、様々な人がいる、ということが、すぐそこにいるように描かれている。すごい小説は、誰かが書いたというよりは、すでにその出来事が起こっていて、そのことをスケッチするように描写しているように感じる。
それだけに、逆にとても高い技術があって、それが高いほど見えにくいのかもしれない。そんなことを思った。
『小説のストラテジー』 佐藤亜紀
こうした小説家が書く「小説論」に対しては、例え一般の読者であっても、何か感想なども含めて書きにくいような気配まである。それでも、すごく真っ当なことを情緒に頼らず伝えようとしているのは、わかるような気がするので、それは、やはりすごいことだと思う。
だから、ところどころ、自分が重要だと思ったことを抜き出すことになるけれど、それが部分だけを捉えることで、かえって本質から遠ざかるかもしれないので、気になったら、全編を読んでもらうことを勧めるしかない。
つまり芸術では、そのことも関係してくるということだけど、当然ながら、そのまま、ロビーにいる人の服の色を細かく描写したからといって、芸術になるわけではないのはずだ。
それは、聞いたり、見たりすることを、自分が純粋におこなっていると思っていても、そこに言葉が関わると、その感覚自体に影響を与える、それも想像以上に、ということだとは思う。
こうしたことを理解した上で、それを前提として書ける人がいたら、それだけで、優れた小説が書けそうな気がする一方で、すでに自分は及び腰になっていて、やっぱり何かを文章で書いて伝えることは、とても無理ではないかというような気持ちにもなってくる。
だから、まず読むことなのだろう。その読むことについて、読者としても、微妙な後めたさと共に、自分自身に様々なことが足りていないのだと思う。
背筋が伸びる思い
まだほとんど作品を読んでいないので、あまり安直に語ってはいけないと思いつつも、佐藤亜紀という作家は、自分にも厳しいから、その質の高さを可能にしているのではないかと思うと同時に、他人に対しても、その厳しさを向けているが、その指摘は納得できるように感じる。
このことを批判的に指摘はしているのだけど、この「信長秀吉家康小説」という表現は、それだけで多くのことを語っているように感じる。
こうした正しい指摘を改めて認識すると、それは、背筋が伸びる思いになる。
特に小説を書こうとする人にとっては、必読の本だと思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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