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読書感想 『神に愛されていた』 木爾チレン 「書くことを、信じ続けられるすごさ」
ラジオを聴いていて、本に関する話題になるとメモを取ろうという姿勢になる。
その時は、リスナーからの日常的な出来事の中で、ある作品と出会ったというような言い方で、小説の題名が出てきていた。リスナーは女性のようで、その上、その作品は若い人に評価されていて、ということを知り、自分は若くないけれど読んでみたら、とても素晴らしかった、という内容だった。
若い女性が支持する作品は、若くなくて男性の私からは、たぶん、最も遠く、通常モードで暮らしていると、読む機会はないのだと思ったので、読もうと思った。
最初、タイトルを耳にしたとき、聞き違いかと思ったのは、「神」と「愛」の両方の単語が含まれていたからで、これだけ大きな意味を持ったタイトルの本を読むことがほとんどなかったからだ。
(※ここから先は、内容についても触れています。もし、余計な情報を知りたくない、という方は、ご注意くださればありがたく思います)。
『神に愛されていた』 木爾 チレン
小説家が、小説家になるための文章を書くことは、かなり多いような印象もあるけれど、小説家が、小説家についての物語を書くことは、実はあまりないのではないか、と思った。
それは自分が無知なだけで、思ったよりも多いのかもしれないが、でも、それは難しいことではないか、という予想はできる。
いつも、最初にあらすじのようなものはほとんど読まないで、読み始める。
だから、冒頭の部分で、主人公は、すでに老境に差しかかった女性の小説家のようだったけれど、名前と出てくる単語で、すでに振り落とされそうな気持ちになった。
最初は、もう30年も新作を発表していない小説家の元に、執筆を依頼するために編集者が訪ねてくる場面だった。
登場人物と、その名前は、こうした並びだった。
東山冴理---ひがしやまさり 小説家
四条花音---しじょうかのん 編集者
白川天音---しらかわあまね すでに亡くなっているが、東山にとっても
おそらく四条にとっても重要な小説家。
さらに、手土産として、ピエール・エリメのマカロンが出てきて、小説家はT W Gの紅茶を淹れる。
ここに出てくる固有名詞は、登場人物の名前も含めて、若くない男性を、どこか拒むようなものばかりに感じたが、それは、こちらの勝手なひがみのようなもののせいかもしれない、と思ったのは、東山冴理が、昔のことを語り始めてからだった。
小説家になるまで
東山冴理は、50年前の自身の中学生の頃から話を始める。
中学生だった私が住んでいたのは、ゴミ箱の中だった。
母と京都のワンルームで二人暮らしをしていた。
服がミルクレープのように積み重なっていて、床なんて見えなかったし、どのタンスの引き出しもキャパオーバーしているのに、母が次々と新しい洋服を買ってくるから、一メートルほどの地層になっている場所もあった。
二人用のダイニングテーブルには、弁当やカップ麺の容器がきれいに重ねられて置かれ、本末転倒というか、食事をするスペースはなかった。だから私は、母が買ってくる分厚いファッション雑誌をテーブルにして、ご飯を食べていた。いつも即席のものや出来あいのものだった。キッチンにはゴキブリが蠢いていたから、自炊をする気にもなれなかった。
洗面台のコップには、まるで花みたいに、何十本もの毛先が広がった使用済みの歯ブラシが生けられていた。新しい歯ブラシを探すのが大変で、私はいつも、古い歯ブラシを捨てたいと願いながら歯を磨いていた。おそるおそる「これ、何に使うん」と訊いてみると、「掃除」と母は答えたけれど、掃除をする気配は一切なかった。
そんな生活でも、受け入れるしかなかった。
汚部屋の果てで、唯一の楽しみは本を読むことだった。
永遠に使われることのない、いつか使うかもしれないゴミに囲まれながら小説を読んだ。
きれいに印刷された文字だけが、私の心を救ってくれた。
本をひらけば、どんなに地獄のような場所にいても、違うだれかの人生を送ることができた。
そんな環境に暮らす主人公は、学費が払えないから、という理由で高校からは公立に通うことになり、文芸部に入り、そこで、自分にとって大事な後輩たちと出会い、読者にとってもホッとできるような生活も送る。
その時間の中で小説を書き続け、大学に進学し、生活のために様々なアルバイトをし、書けない時期もあったのだけど、悲劇ともいえる出来事のあとに、さらに小説に集中し、そして、それが成果につながる。
もしかしたら、小説を書かない時間こそが、小説を生み出すのかもしれないと思った。
完成した小説は、かたっぱしから文学賞に応募した。
『オベラ』で自分の小説が活字になった瞬間から、小説家になれない人生なんて、想像すらできなかった。
いつも。
どんな状況にいても。
自分には特別な才能があると信じて生きていた。
「おめでとうございます。第十四回、幻潮新人賞の大賞に選ばれました」
電話がかかってきたその日は、クリスマスイブであり、私の誕生日だった。
ここまでは、いろいろと大変なことがあったとしてもサクセスストーリーだった。
小説家を続けることの難しさ
小説の賞の授賞式は、一般的な読者としては、ただマスメディアを通して見ることしかできない。それは、光を浴びたまぶしい存在であり、特に私自身が若いときは、そうした賞に縁がないのは分かりながら、ひっそりと「業界」の中でライターをしていたこともあって、うらやましくも見えた。
だけど、毎年のように、そうしたまぶしい存在は生まれ、芥川賞や直木賞などは、俗な言い方を使えばビッグタイトルのはずなのに、半年に一回は受賞者が出てくるのだから、ついこの前まで光を浴びていた人は、場合によっては年を追うごとに、忘れられたような感じになるのも、少なくないことを知るようになる。
それは、当然のことかもしれないが、ずっと小説家を続け、しかも、仕事として成り立つことは、とんでもなく困難なことなのは、その後、個人的には介護に専念することでライターを辞めざるを得なくなり、さらに違う仕事をするようになり、自分が歳をとっていく中で、嫌でも(あくまでも外部の視点として)わかるようになると、小説の章の授賞式のまぶしさは、少し違って見えるようになった。
『神に愛されていた』の主人公・東山冴理も授賞式に緊張しながら出席し、20代前半でのデビュー作は重版を繰り返し、容貌も含めて評価され、注目を集めていた。だから、最初は、強い光の中にいたのは間違いなかった。
でも私は、やはり知らなかっただけだった。
編集者の言う通り、小説は仕事だということ。
「才能にはね、果てがあるのよ。ほとんどの作家はその果てに辿りついたときからが、勝負なの」
そして、審査員のうちの一人の先生が酔っぱらいながらこぼした通り、才能には果てがあるのだということも。
そうした言葉の通り、その後の東山の小説家の人生は、当然のことながら、厳しい年月が続くこともあるのだけど、それは、その3年後に、同じ賞を受賞した白川天音の登場からだった。
三年前、私が主役として座っていたその場所には、言葉を失うほどの、圧倒的な少女が君臨していたから。
加工した写真のような小さな顔。真っ白な肌。すらりと伸びた手足に、色素の薄い茶色い瞳。
その容姿は、小説家としては、あまりにも整いすぎていた。
その後は、このライバルに思える白川天音の圧倒的な才能に押しつぶされそうになり、さらには、実生活も侵食されるような出来事が起こり、本当に追い詰められてから、大事な人たちの助けを借りながら、また小説を書くまでの話が語られる。
こんなふうに短くまとめてしまっては失礼かもしれないけれど、天才的な小説家のあり方よりも、小説家を続けることで、心そのものを削られるような大変さが、読んでいるだけでも、かなり伝わってきた気がした。
そして、東山冴理と白川天音の二人の天才作家の、特に小説への思いのようなものは、実は著者自身とかなり重なるのではないかとも思えた。
作品の印象と、キャリアの長さとのギャップ
あまり、著者自身のプロフィールから作品を考えたりするのは、上品なこととは思えないし、作品そのものをきちんと読めなくなる可能性もあるけれど、だけど、『神に愛されていた』を読み終えて、一番、不思議に感じたのは、作品の印象と、著者のキャリアとの、ギャップのようなものだった。
この作品に流れている「小説家という存在への信頼とあこがれ」が生々しく、もしくは「書くことへの信仰」のようなものが、かなり新鮮なまま、切実に残されていたように感じた。
つまり、安直な見方かもしれないが、10年以上のキャリアを持つ小説家なのに、感覚が、まるで小説家志望に近いようにさえ思ったから、不思議に感じたのだった。
もちろんフィクションだから著者が創り上げているのかもしれないが、同時に、実際の小説家のキャリアが、実は想像以上に紆余曲折なように感じたから、余計に、その感覚の新鮮さが不思議に思えた。
著者略歴によると、1987年生まれの著者が、大学在学中に執筆した作品が、2009年に優秀賞を受賞し、デビュー作は2013年に、その大学在学中に賞を受賞した出版社とは、別の会社から出版されているのがわかる。
その後、様々な分野で表現の幅を広げると書かれていて、2021年の『みんな蛍を殺したかった』が大ヒット、とあるけれど、このデビューした2013年から、2021年までが、著者にとって、どんな時間だったのかが気になった。
紆余曲折の時間
読者としての勝手な分類なのだけど、ノンフィクションではなく、小説などのフィクションで、「あとがき」をほぼ書かないような作家は、「天才性」の要素が強いと思っている。
逆に「あとがき」を書いている作家は、その小説家が長く活躍しているほど、大げさかもしれないが、その作品ごとに「命をけずる」ように取り組んでいるから、より作家の人生が反映されているように思っている。(あくまでも個人の感想です)。
『神に愛されていた』の「あとがき」には、こんな文章から始まる。
小説家という仕事は、孤独だ。小説家じゃなかったら、もっと人生が楽しかったのではないかと思う瞬間がある。
冴理や天音のような特別な少女じゃなかった私は、二十三歳のときにデビューしてから「小説家」と堂々と名乗れるまでに十年かかった。苦しかった。本屋に行くたび、自分の小説なんか必要ないんじゃないかという虚しさが押し寄せた。
やはり、デビューしてから、おそらくは『みんな蛍を殺したかった』以降までの約10年間は、もしかしたら著者にとって不本意な部分も多かったのかもしれないし、もしそうだとしたら、20代から30代前半までの10年は、とても長いから、その年月の苦しさは、とても心身を削るものだとも思う。
(『神に愛されていた』の主人公が、復活する作品名が『いつか君を殺したかった』なのだから、この10年間の苦しさは、東山冴理の混迷の時間に反映されていると思う)
「書くことへの信頼」を持続する凄さ
(「女による女のためのR-18文学賞」サイト)
https://www.shinchosha.co.jp/r18/
最初に受賞した「賞」のサイトの「受賞者の活躍」に、木爾チレンの名前がないように、もしかしたら、とても書くことができない苦しさがあったのではないかと、邪推にすぎないけれど、思ってしまう。
だけど、そこから、自分が小説家と名乗れるまで、10年もあって、そこで書くことをやめてしまってもおかしくないだろうし、こうした時間の中で、賞をとりながら小説家ではなくなってしまう人も少なくないと想像されるのに、著者の木爾チレンは、書き続けてきたから、今があるのは間違いない。
「あとがき」は、さらに続く。
けれど私は、どうしようもなく小説を愛していて、書かなければもっと苦しくなってしまう。いつだって、物語を紡いでいるときだけ息ができるような、そんな気がする。
でも振り返れば、どんな気持ちで過ごした夜もすべて無駄ではなかったなと思う。あの悔しくて、死にたいくらい惨めな時間がなければ、『神に愛されていた』は書けなかった。
私はこの小説がとても好きだ。
若くしてデビューし、その後、思い通りにいかない、とても苦しい10年があり、小説家をやめてもおかしくない時間があったのに、その後、自分が書きたいと思える小説を書けるようなポジションを、自分の力で勝ち取る、という、とても困難なことを成し遂げたあととはいえ、こうした「書くことへの信仰に近い気持ち」を、率直に書けるのは、すごいことだと思う。
真っ直ぐに信じ続ける力に関して、著者は、おそらく天才なのだろう。
そして、その天才性は、『神に愛されていた』の東山冴理と白川天音だけでなく、全ての登場人物に宿っているような気さえする。
純粋に作品だけではなく、プロフィールなども含めて考えたりする邪道な読み方かもしれないし、熱心なファンの方にとっては許し難い読者かもしれず、申し訳ない気持ちもあるものの、それでも、読んでよかった、と改めて思う。
おすすめしたい人
未来があるはずなのに苦しい現在を生きている若い人だけではなく、思い通りにいかない人生に対して、希望を持つこと自体を、諦めかけているような大人にも、おすすめしたい作品です。(大人に対して、こういう言い方は失礼ですが、でも、ある年齢を過ぎたら、そう思っても自然な現代の社会だとも思います)。
私のように、読み始めて、自分には合わないと思っても、できたら40ページまで読んでもらえたら、そのあとも読み進められるように思います。(もし、よろしかったら、あとがきも含めて読んでもらえたら、と思っています)
よろしくお願いします。
(こちらは↓、電子書籍版です)。
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