「失われた10年」と、確か最初は言われていた。
そのうちに、その期間が20年、30年、と伸びて、これからさらに「失われた」年月は伸びそうなのが、バブル崩壊後の、日本の現状のようだ。
そして、気がついたら、その「失われた」状態に適応しすぎてしまって、今も、電気料金が値上がりする、ということになれば、それが本当に必然性があるかどうの検討の前に、すぐに「どれだけ節電できるか」に話題がうつる。
ただ、時々、ちょっと思うのは、「失われていない」状態が、本当にあったのだろうか。景気がいいことで覆い隠されていたけれど、そういう恵まれた環境がなかったら、何かがずっと「失われて」いたのではないだろうか。
実は、「失われていた」のではなく、「変わらなかった」だけではないだろうか。
この本を読んで、そんなことを考えさせられた。
『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』 太田肇
この書籍を読んで、ずっと感じていたのは「既視感」のようなものだった。
個人的には、学生も経験したし、会社勤めも(短いけど)したし、組織に所属しないで働いた期間も、無職で介護に専念する時間もあった。
そうした中で、ずっと感じていたのは、誰かはっきりとした「悪役」がいないのに、なんとなく手足や体や、何よりも意識を縛るような重い「空気」がずっとあったことだ。それは、組織にいたり、近づくと、より強く感じるから、なるべく遠くに、組織にいないようにしていたのかもしれないけれど、そうなると、安定からも疎遠になる。
経済が成長している時には、大きな組織にいるほど、その重さが気になりにくいが、ひとたび、景気が右下がりの時代になると、重くて暗い「空気」は大きくなり、それが続いているのが「失われた時代」なのだと思う。
まず、日本の現状が、データを元に語られ始めるが、そうしたことを普段、それほど目にしないのは、おそらくは「現実に直面したくない」という大勢の意識に応えているせいではないかと思うのだけど、この書籍では、「薄々知っていたけれど、正確に分からないようにしていた、本当のこと」が、次々と目の前に突きつけられるような気持ちになる。
官僚主義
例えば、「官僚主義」が、不信から強化されてしまうこと。
現在は、「承認欲求」という言葉が出ると、つい、それは「よくないこと」といった思いになってしまうけれど、公務員にとっては、「世のため、人のために働き、それによって、適正な感謝を向けられたい」という、ある意味では、立派な「承認欲求」のはずなのに、いつの間にか、それが満たされなくなり、公務員への不信や、批判ばかりが高まってきたのが、この「失われた30年」なのだと思う。
それは、静かな怖さがあるエピソードだったし、そういったことから、「官僚主義」が加速していくようだ。
公務員だけが「官僚主義」で、「集団的無責任体制」になるわけではないのは、この30年の様々な企業の不祥事のことを思い出しても、うなずけてしまうことではないだろうか。
印象に残っているのは、立ち上がって、中高年の男性たちが、一斉に頭を下げる映像だけで、その後、具体的に改善されたかどうかも分からず、場合によっては、再び、不祥事を起こしてしまう組織すらあった。
だけど、どうして、そんな体制になってしまうのだろう。
「見せかけのやる気」
リスキリング、という言葉もそうだけど、今は、一つの組織に留まることは「古い」などと言われている。チャレンジすることは、「良いこと」と、「常識」のように語られている。
ただ、そうしたことに関して、実際は、社員の側は、どのように考えているのか。それが、アンケートなどで、明らかになっていく。
おそらく、個別に聞けば、「挑戦に慎重になる」のは当たり前だという答えが返ってくるのも何となく予想もできるものの、それが、あまり表面化しないのは、無記名のアンケートではなく、例えば、顔も名前もわかる状態で、これからの「チャレンジ」について聞いたら、おそらくは、声を揃えて、肯定的な答えが返ってくるのが予想できるからだ。
こういった傾向は、この30年でも、特に組織内では、ずっと変わらないような気がする。それが、本音」と「建前」という言葉で、常識的に言われてきたから、逆に言えば、表面的なことと、心で思っていることが一致する方が、少数派のように思ってきた。
「ワークエンゲージメント」は、仕事への「やる気」に近い意味合いがあるのだけど、それが国際的な比較でも、その「やる気」がとても低いことがデータによって明らかになったことは、ひそかに常識として定着してきているように感じる。だけど、表立って語られることは、まだ少ないように思う。
たぶん、そういうことも、問題なのではないだろうか。
何もしない方が得な国
なぜか、人に優しい国のように、自己評価してきた部分があるのだけど、実は、人に冷たい国だと考えた方が、今の状況に納得がいくように感じる。それと同様に、勤勉だと思われていたのが、実は、そうでもない。そういう「表と裏」があるのが、日本という国の現実だと思うと、かなり気持ちは暗くなる。
そして、もちろん、そういったことを他人事のように語れないけれど、でも、それが意志を持って作り上げたのではなく、「その方が得」ということで、なんとなく、だけど、思った以上に強力に維持されてきたシステムだと思うと、かえって、それを変えることは不可能ではないか、という思いにもなる。
それは、会社という組織だけではなく、学校も、PTAも、町内会も、基本的には変わらない、という指摘がされている。
それが現在まで続く「失われた30年」のはずだから、この組織のシステムそのものを変える以外に道はないはずなのだけど、その大事なことは、ほぼ何も変わらないまま、ずっと来てしまった印象がある。
それは、江戸時代に鎖国の年月が長かったため、閉じる癖が伝統的になっていたのだろうか、といった気持ちにさえなってしまう。だけど、それはやや妄想的だとしても、「失われた30年」の始まる頃に、すでに大人だった自分にも責任があるが、「変わらない、変わりたくない」という共通意識だけは、はっきりとではなく、潜在的に、とても強固だったと思う。
利己的なシステム
こうした指摘や分析を読むと、あの事件も、あの不祥事も、あの隠蔽も、冷たい決定も、信じられないような「外」に対する傲慢さも、必然だったのではないだろうか、と思えてきて、なんだか絶望的な思いにもなる。
そして、もちろん、どうすればいいのか。という具体的な提案もされているが、それには、本当に根本的な考え方から変えないと、無理だろうという気になり、やっぱり、「何もしない方が得」という「穴」に引きずり込まれそうになる。
それでも、まずは、現状が、どうしてこうなのか?を、なるべく正確に分かるところから始め、現状を変えるためには、必読の一冊なのは間違いない。
これから先、逃げ切るだけではなく、きちんと未来に、それも少しでも真っ当な将来に、主体的に参加したい、という気持ちがある大人には、ぜひ、読んでいただきたいと思っています。
これから先に、どうしていけばいいのか?
そんな不安を持っている方であれば、年齢問わず、手に取り、全部を読み通していただきたいとも考えています。
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(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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