さようなら、お皿たち
かなり目に馴染んでいるプラスチックの皿があって、いろいろなものを載せて食べてきた。
軽いけれど、底に滑り止めがあるせいか、テーブルなどに置いても、ピタッと止まる。レンジ対応です、と言われて購入したこともあって、数限りなく、電子レンジの中でまわっている姿を見てきた。
古くなった皿
「表面の転写シートがはがれてきたから、ちょっと怖いし、捨ててもいいかな-----」。
ある日、妻に言われた。
プラスッチックの皿だったけれど、表面に小さい柄があって、それが、かわいいと思って2つ買ったのだけど、そのために、表面にシートが貼ってあり、少し経つと、少し浮いてきて、波のようになってきたのは、知っていた。
触ると、少しぼこぼこしてきて、気にはなっていたのだけど、まだ大丈夫だと、言い聞かせてきた。洗うたびに、少しずつ、その波というか、シワのような出っ張りは、大きくなって、さらには数も増えてきたような気がした。
だから、もうそろそろ、という気持ちもあったけれど、それ以外は、大丈夫だったから、割れるまで使っている他の食器と同様に、まだずっと使えると思っていた。だけど、妻に言われて、もう捨てる方がいいと思った。
すごく勝手な思いだけど、ちょっと寂しかった。それは、購入した時のことを、かなりはっきりと覚えているせいかもしれない。
駅ビルの中のショップ
個人的なことだけど、介護を始めたのは30代で、自分が心臓発作を起こしたこともあって、仕事を辞めて、介護に専念することにした。妻の母親を家で介護し、自分の母親は病院に入院してもらって、そこに通う毎日が始まった。
土の中で生きているような日々だったけれど、とても重い気持ちとはいえ毎日のように病院に通っていたから、外出はしていた。妻は、ずっと家にいることになるから、そのうちに、妻の洋服や、雑貨なども主に母の病院の最寄り駅の駅ビルで買うようになった。
母の病院に通い出した頃は、そうした商業施設にも寄れる余裕もなくて、ただ通り過ぎる場所だった。
そのうちに、買い物ができない妻の代わりに、買えるものがあることに気がついた。いろいろと話を聞いたり、普段の生活の中で、妻の好みなどもわかるようになってきて、そういう視線で見ると、どのショップで買い物をすればいいのかも、少し理解できるようになってきた。
何回か買い物をした。妻は喜んでくれた、と思う。
だから、駅ビルの中でも、服ならこの店。雑貨ならこのショップ、ということがわかってきた。そのうちに、これまでは知らなかった店や、新しくできるショップもあって、そのたびに、一応寄って、どんな店か確認するようになった。
そういう時は、介護だけのことを考えている毎日から、ほんの少しだけ気持ちが離れられるような気がした。
新しい雑貨屋
それまでは、買い物自体が、ちょっと苦痛だった。
だけど、妻が喜ぶものをイメージして購入して、それで「ありがとう」などと言ってもらえると(あまりお世辞も言わないし、正直なので、その反応は本当だと思う)、それが成功体験になったせいか、ショップの選び方や、その中での商品の選択に対しても、少しだけ敏感になって行ったように思う。
だから、駅ビルという場所は、いつまでも同じ店が並んでいるわけではなくて、思った以上にショップが変わっていくことも知っていき、その中で、(自分たちに)良さそうな店がわかるようになっていった。
その中で、ちょっと違った雑貨屋ができた。
表参道や青山に本店があるような店の品物は、かなりおしゃれだったけれど、ちょっと敷居が高い感じもしたし、古い木造の自宅には、合わないと思っていた。でも、その雑貨屋は、おしゃれだけど、人を寄せつけないような気配ではなくて、もう少し近寄ってくれそうな、ややかわいい商品が多かった。
最初に、何か小さいものを買っていって、妻は気に入ってくれた。
だから、何かプレゼントとして渡すときも、そこで買うことにした。
新しい食器
その雑貨屋のスタッフの人と少し話もするようになって、この雑貨屋の本店が、愛媛県の松山にあることを知って、少し意外でもあったけれど、その独特の気配もあったので、納得する思いもあった。
そこで、あるときに食器をある程度まとめて買おうと考えたときも、そのショップに行った。
最初に気になっていたのはご飯を入れる茶碗だった。
昔からよくあるオーソドックスなものに見えるのだけど、色が少しクリーム色のようになっていて、そのことを聞いたら、やはり少し変わったものと知って、よりかわいく見えた。他にも、やや小ぶりなみそ汁を入れるおわんは2色に分かられていたし、カトラリーも購入した。
その時に、プラスチックで、だけど、小さい柄がついて、可愛すぎない皿があった。レンジに対応しているとも聞いたし、直径は17センチくらいで、いろいろと使えそうだった。
一つは、黄色いひよこと、赤い小さい花。
もう一つは、赤いてんとう虫と、四葉のクローバー。
どちらも茶色い点線で地面が表現されている。
2つ買ったのは、この時、この皿はセールで安くなっていたせいもある。
全部をプレゼントにして欲しいことを店のスタッフに伝えたら、本当は、このお皿はセール品なので、そういう包装はしないんですけど、他のものもいろいろ買ってもらったので、今回は特別です、みたいなことを言われたが、とてもかわいくラッピングもしてもらった。
そのショップは、あるとき、急になくなった。
それから、10年以上が経ち、茶碗の一つは、欠けてしまい、使わなくなった。
そして今回は、その時のセールだったお皿2つも、もう使わなくて、捨てることになった。
時間
母は亡くなり、義母も亡くなり、19年間の介護生活も終わった。
その間に、もしかしたら、少し身についたことの一つに、買い物に少し慣れた、ということがあるかもしれない。
その、急になくなってしまったショップは、他には代え難い品揃えだったので、残念だったけれど、そこで買った食器は随分と長く使ってきた。
そして、もう捨てることになったとき、これだけ、色々な記憶がまだ自分の中にあることにもちょっと驚いた。
随分と時間が経った。
それだけは確かだけど、記憶には濃淡があって、遠いから薄れるわけでもなく、ところどころ、やたらとはっきりと覚えていることもあるのだと、改めて思った。
さようなら、お皿たち。
長い間、ありがとうございました。
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