東京駅の「銅像」に、複雑な歴史があることを知らなかった。
東京駅に久しぶりに行った時に、随分と整備され、広がりも感じ、きれいになったと思った。同時に、それまで記憶になかった銅像があって、かなり立派なもので、その男性について誰なのかも分からなかった。
「鉄道の父」と言われる存在
ただ、この人が誰なのか、については、検索するとすぐに分かった。
歴史家といった人ではなく、鉄道マニアの人に語ってもらうことに独特さを感じたものの、確かに「鉄道」に関する話であれば、こうした人選は的確なのかもしれない。
それならば、東京駅にあるのも意味はあるのかと思い、納得するような気持ちにもなったけれど、なんとなく引っ掛かりが残ったのは、もう一つの銅像の存在だった。
「愛」の銅像
このブログで初めて知ったのだけど、東京駅の丸の内口には、もう一つの銅像があった。この井上勝像を見つけたときにも、この辺りは、うろうろと歩いたのだから、確かに目には入っていたはずだったのだけど、記憶に残っていなかった。
ただ、それだけで他には何の説明もないため、「井上勝」像よりも、その意味は分かりにくいが、このブログでは続けて、この像の意味も、NHKのサイトから引用してくれている(この引用元はすでに、削除されているようだった)。
この「愛の像」は、複雑な意味があるのは分かった。
だから、少し前から気になっていた本を読もうと思った。
「近代を彫刻/超克する」 小田原のどか
以前から、公共空間の彫刻に関しては、自分が思った以上に気になっていたことを、この本を読んで、改めて分かったし、彫刻は、ずっと公共空間に存在するだけに、やはり重い思惑があることを確認できたような気がした。著者自身が、現代という時代に彫刻も作るアーティストだけに、言葉にリアリティが増しているように思った。
それでも、その彫刻の歴史も、恥ずかしながら、きちんと知ったのも初めてだった。
しかし、その後、戦中の金属回収のために彫像も供出されることになり、戦後の体制の変化によって、そのまま、失われることも少なくないようだった。
そして、そこには違う彫像が据えられることになった。
ただ、戦前戦時の彫像も、戦後の平和の裸像も、意味としては全く同じと著者は言い切っている。
つまり、公共空間にある銅像は、政治的な意味から逃れることは難しい、ということは、わかったような気がした。
「井上勝像」
そうであれば、東京駅という、全ての路線の象徴的な「頂点」とも言える公共の駅前にある銅像に、意味がないと考える方が不自然になる。
明治維新は薩長連合によって達成されたのだから、長州(山口県)出身者が、明治以降の政治の中枢にいる確率は高い。そして、井上勝は、日本の初代の首相でもある伊藤博文を含む「長州ファイブ」のうちの一人でもあるのだから、「偉人」の一人として銅像になっているのだと思う。
「長州ファイブ」は、井上以外も、それぞれ「内閣の父」、「外交の父」、「工業の父」、「造幣の父」と称されているので、それを聞くだけで、明治以降の国の基礎のような部分に関係しているのだから、それぞれ銅像があってもおかしくない。
そして、その中で、井上勝は、「鉄道の父」と言われるのだから、東京駅前に設置されているのも、自然かもしれない、と思わされる。
「井上勝像」の歴史
このブログは、都内の慰霊碑・記念碑・銅像などについて、詳しく書かれているのだけど、当然、井上勝像にも、触れている。
この銅像は戦前に建てられ、戦中には「金属供出」によって撤去されている。そうした出来事に関しては、小田原のどかが「近代を彫刻/超克する」の中で、そうした銅像は、占領下を乗り越え、復活することは少なかったと述べている。
そうであれば、井上勝像が、新しく製作されるというような形で、復活できたのは、井上勝が亡くなったのは明治時代であって、昭和の時代の戦争に関わることが難しかったせいもあるはずだった。
ただ、このブログによって、詳細に記録されている「井上勝像」の変化も気にはなる。
1959年に再建されもしくは、今回も10年ほど一時撤去された後に再設置された時は、その位置や方向も変えられているから、このことについても、何となく行われたわけもなく、ここには、かなりの政治的な思惑があるはずなのだけど、そこに関しては、検索だけでは知ることはできそうもないし、もしかしたら、かなり調べても分からないことかもしれない。
ただ、東京駅前という象徴的な場所に、戦前に建立された「偉人像」が、一時撤去を挟みながらも、現在も存在するのは、思った以上に例外的なのではないか、ということは少し分かったように思う。
「愛」の像
さらに、東京駅前のもう一つの銅像、『愛の像』は、「愛」という言葉と、それをギリシャ語で表した「アガペー」以外には、何の説明もされていないというので、何も知らなければ、それこそ、小田原のどかが「平和という名の女性裸体像」と表現した像と、それほど違わないものに見える。
最初、この像の存在を知ったときも、そうした女性裸体像と似た存在とも思えたし、それが男性像であることに、微妙な違和感を覚えるくらいだったけれど、少し検索するだけでも、この銅像が、複雑で重い意味を秘めていることに気がつく。
この記事と、ブログによって、「愛の像」の歴史を初めて教えてもらった。
この像の台座には、戦犯の遺書・遺稿が納められていること。この像は、日本が法的にアメリカの占領下ではなくなってから3年後に建てられたこと。工事のために一時撤去された時は復活しないかもしれないという可能性もあったので、再設置の嘆願書まで出されたこと。
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