ギョウザとシュウマイの格差を埋める「秘策」?!
社会人になって最初に就職したのがスポーツ新聞だった。その時、派手な見出しが踊る記事がほとんどで、そして文末に「?」「?!」「!」がついているのだけど、それによって、記事の内容の確度に、一応の目安があるということを知った。
どれだけ本当なのか?といった確率で言えば、私が聞いた範囲の印象だと、「?」は3割以下。「?!」は、5割程度。「!」は7割以上。そんなことを聞いたので、自分が原稿を書く時は、それを意識して、文末にマークをつけるようになった。
今は、インターネット上の見出しにも、そんなマークをよく見かけるようになり、気がつかないうちに、世の中が「スポーツ新聞化」してしまったのだろうか、などと思ったのだけど、自分でも使ってみようと思った。
今回は、「?!」なので、たぶん5割くらいの確率で、真実味があるということなのだと思っていただけると、幸いです。
ギョウザとシュウマイの格差
ギョウザもシュウマイも、全く食べない月はない程度には親しんでいて、というよりは、本当に普通に食卓のレギュラーで、それでも、ギョウザが、このようにランキングでかなり注目されているのに比べて、シュウマイで、このレベルの注目はされていない印象がある。
シュウマイは、崎陽軒のシウマイという単体に光が当たることが多いように思っている。(個人的には崎陽軒のシウマイには独特のおいしさがあり、もっと高い値段のものよりも、好きなことが多いです)。
テレビ番組の「街おこし」
山田邦子が、月並みな表現だけど、「テレビで顔を見ない日はない」と言われるほど人気があった頃、レギュラー番組が何本もあり、その中に「おまかせ!山田商会」(これも「!」なので、確度が高いということかもしれません)があって、その企画として、宇都宮をギョウザの街にしよう、と駅前に餃子像を建てたのが、今の「ギョウザの街ブーム」の本格的な始まりと言われている。
だけど、当時、その番組を見ていて、ものすごくたくさんあった「街おこし系」の一つに過ぎず、そんなに定着すると思わなかったのに、今に至るまでそれが続いていて、さらにはギョウザの消費量の「バトル」が注目されるまでになってきているのだから、その企画は大成功だけど、その元の企画自体が、少し忘れられがちになっていることが、より成功の印象を高めていると思う。
シュウマイへの注目度
冒頭の繰り返しになるけれど、ギョウザに比べると、シュウマイの注目のされ方は、あまりにも小さいように思う。
ギョウザの統計が、2020年の前半だけで集計されているのに比べると、この記事内でも、シュウマイは、2016年から2018年の3年分の統計から発表されている、という熱量の違いが感じられる。
しかも、シュウマイの消費量は、横浜市がダントツ、ということなので、それも予想通りで、さらにその要因も「崎陽軒のシウマイ」と分析されているので、(崎陽軒はシウマイと表記)それも想定内だと思う。
さらに、その消費量に、かなり差がある。
ギョウザが、2020年のトップの宮崎市が「3766円」なのに比べると、シューマイはトップの横浜市が「2623円」。それに加えて、ギョウザが4位までが3000円台なのだけど、シュウマイは、2位の川崎市が「1799円」と、伝えられている。
どうして、こうした格差が出てしまうのだろう。
格差を埋める秘策 その1
個人的には、ギョウザもシュウマイもどちらもおいしいと思うし、それほどの差がないと思うのだけど、一つは、もしかしたら「おまかせ!山田商会」の企画として、「ギョウザの街」をアピールしたことが、ギョウザの強さを、実は底支えしている可能性はある。
だから、横浜に「シュウマイの女神」のようなものを設置し、シュウマイの街としてアピールする、という方法は思いつく。
ただ、こう考えて、すぐに行き詰まる予感がするのは、横浜市が、そんなことをしてくれるのだろうか、という疑問が湧き上がるからだ。
横浜には、他にも「推す」ものがたくさんあるだろうし、その上に、中華街が控えていて、その中華街が、単品のシュウマイだけを「推す」ことに賛成してくれるだろうか、と勝手に考えが進んでしまう。
さらには、それならば、と崎陽軒が「横浜はシウマイの街」を言い出してしまったら、それが本当のことであっても、そして崎陽軒が間違いなく貢献しているといっても、一企業の宣伝、などと非難されるような気もするので、それは難しいと、勝手に思ってしまう。
それならば、2位の川崎市が駅前に「シュウマイの女神」を立ててくれるのか、といえば、それも難しそうなのは、川崎の駅前で見たのは「音楽の街」というような文字だったので、シュウマイを「推し」てくれるかどうかも難しい。
そうなると、別の統計だと、2017年の1年間に限ると、佐賀県佐賀市がトップになっているので、佐賀市が「シュウマイの街」を主張するのが、この「秘策」としては、もっとも実現性が高いのではないか、と思えてくる。
格差を埋める秘策 その2
その2は、根拠もなく、個人的な思いつきだけど、ギョウザにとって「ラー油」の存在が大きいのではないだろうか、という気持ちがある。
「ラー油」というのは、ギョウザの時にしか使わない時代が長く、それでも家庭で食べる時も、「ラー油」がないと物足りないような気持ちになるから、あれだけ利用法が限られているのに、そして、そんなに経済的に豊かでない時でも、必ず家にあった。
それもギョウザ以外の時は、隅っこにあって、時々、本当に必要なのか、という気持ちと、これだけ専門性が高い調味料が定着している凄さも感じていた。だから、いつもギョウザを、無意識のレベルで、意識していたのかもしれない(やや無理がある仮定ですが)。
近年になって、「食べるラー油」が登場したのは画期的だったし、思った以上のヒット商品だった。桃屋が最初だと記憶しているが他社も追随し、すでに定番になったから、それは桃屋の企画力がすごいと思うのだけど、それでも、元々の「ラー油」の不思議な定着力がなければ、そのヒットもあり得なかったと思うので、「ラー油」の存在が、ギョウザの強さを支えている要素の一つではないか、と改めて思う。
遠回りになって申し訳ないのだけど、このギョウザにあたる「ラー油」の存在がないことが、シュウマイへの注目力の弱さにつながっていないだろうか、と思うので、本当にただの思いつきレベルですみませんが、シュウマイにも「ラー油」のような存在を作ることが、格差を埋める秘策となり得ないだろうか。
今は、崎陽軒のシウマイ弁当には、しょうゆとカラシがついている。しょうゆは、昔はひょうたん型の、キャラクターのような入れ物に入っていた。これ自体がキャラクターとして自立しそうな馴染み感はあったが、今は普通の容器になっているようだし、カラシも普通に小さいビニールに入っているだけで、詳細はわからないが、平凡なからしだと思う。(シウマイ専用、ということでないようなので)。
だから、「ギョウザとの格差」を埋めるとすれば、まずは、崎陽軒に頼るしかないのだろうけど、シウマイ専用のからしの開発はできないだろうか。さらには、カラシではなく、ギョウザにおける「ラー油」のようなものを新しく開発し、それを大々的に発表する方法も考えられる。
「レー油」というネーミングにするのは、やりすぎだろうけど、ギョウザのライバルとしてシュウマイが並び立つことを目指すのであれば、「ラー油」に対抗できるような「シュウマイ専用」の調味料の開発が、必要なのかもしれない。
というよりは、実は私が無知で知らないだけで、横浜の中華街には、それほど知られていないだけで、シュウマイ専用の調味料がすでにあるのかもしれないから、その存在があるとすれば、長期保存ができるようにして、それが各家庭の食卓に並ぶようになれば、シュウマイの存在を、いつも意識するようになり、ギョウザとの格差は埋まっていくのではないか、と思う。
(プロの方が、シュウマイのタレについては、考えてくれていました)。
(他にも、こうした記事を書いています↓。よろしかったら、読んでくだされば、うれしいです)。
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