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「何かを待っている時間」は、どこへ行ってしまうのだろう?

 洗濯機がある日突然壊れた。

 洗濯が途中で止まって、フタが開かなくなった。

 いつもお世話になっている近所の電気屋さんに電話をして、中に閉じ込められている洗濯物を出してくれて、明日になって、もう一度、コンセントに入れて試してみてください、と言われる。

 次の日、試みて、一瞬動いて、やはり止まった。

 だから、新しく買い替えることにした。

 近くにコインランドリーはあるけれど、洗濯は毎日するので、やっぱり洗濯機は必需品だった。


注水を待つ時間

 新しい洗濯機に洗濯物を入れる。

 コースを設定して、スイッチを入れると、すぐに洗濯槽は左右に素早く回り出す。

 そして、本体正面の小さい画面に「27」といった数字が出る。それは、今、入れた洗濯物を洗うために必要な水の量で、その数字が光っている時間は思ったよりも短くて、すぐに同じ画面で、「39」というような洗濯に必要な時間が表示される。

 だから、洗濯物を入れてからスイッチを入れて、どのくらいの分量かを知るために多少の集中力が必要なのは、その量に応じて液体洗剤を入れる分量も決まってくるからだ。

 そして、ここまでの作業は、以前の洗濯機よりも素早く、新しいもの、という感じがあるのだけど、今の洗濯機は、ここから沈黙が始まる。

 すでにホースにつながっている水道の蛇口も目一杯に開いた。

 だけど、最初に表示された「39」が「38」になっても、そのまま動きが止まっている。

 水が出始める時を待っている。

 水が出たら、それを洗剤のキャップですくって、その水を、液体洗剤投入口に入れて、微妙に残っているように感じるので、その投入口にさらに水を流し込まないと、洗剤の力が十分に発揮されない気もするせいだ。

 その待っている時間は、長い。

 というよりも、時間が止まっているようだ。

 周囲の音も聞こえにくくなる気がする。

 気持ちの中では、早く水が出ないかな、しか思っていない。

 そして、いつも、水が出るのを待つだけに気持ちを集中できなくなり、ちょっとぼんやりしたようになるときに、急に水が出る。

 ちょっとビクッとするような、目が覚めたような気持ちになって、洗剤のキャップで、その注水をすくって、液体洗剤の投入口に入れる。

 それで、洗濯機のフタを閉めたら、あとは洗濯が終わるまでは、何もできない。

 それにしても、水が出てからの時間は急に進み出す。それまで軽く気を失っていたのかと思うくらい、急に違う時間の流れに乗り換えたような気さえすることがある。

待っている時間はどこへ行ったのだろう?

 何かを待っている時間は、微妙な緊張感がある。

 昔だったら、固定電話が鳴るのを待っている時間。

 待っていると鳴らない。でも、大事な電話があるのが分かっていたとしても、部屋で待って、鳴るのを願ったとしても、それは影響しない。

 だけど、願ってしまうし、待って、ジリジリしてしまう。

 この気持ちを、全く経験したことはない人はいないと思うけれど、あれは「待つ」だけの時間で、他は何もしていない。

 そして、その何かが起こるまでは、時間は止まっているように感じるけれど、もしかしたら主観的には、本当に止まっているのかもしれない。

 それくらい、たとえば、とても小さなことだけど、洗濯機の注水を待っているだけでも、その待っている時間は、すべてのことが止まっているように感じることさえある。

 そして、ただ水が出るのを願っている。

異質な時間

 そういう意味では、すごく純粋に、「何か」が起こることだけを、ただ待って願っているから、とても大げさな表現を使えば、祈りの時間に近いのかもしれない。

 ただ一つのことを思って、時間を過ごす。

 ただ、祈りと違うのは、その願っていることが、具体的に起こらない限り、その待っている時間が続いてしまうことで、あまり長いと、人間はその緊張が続かず、集中力も持たないので、ほんの1〜2分のことであっても、少しぼんやりとしてしまうのではないだろうか。

 そして、自分の洗濯機の経験でいえば、水が出た瞬間に、その待っていた時間は丸ごと、どこかへなくなってしまう。そんな時間はまるでなかったかのように感じる。

 水が出た以降の時間は動き出しているのに比べると、待っている時間は止まっているから、それは、まるで、待っている時間と、水が出た以降の時間は、違う場所にあるように感じる。

 待っている時間の感覚は、次にまた待つことがないと、思い出しにくい感覚でもあって、だけど、何かを待って、それを願うと、その時間の中に、またとどまることになる。

 だけど、そこにずっといることはできないし、願ったことが起こってしまうと、またいつもの時間に戻ってくるように思う。

 だから、何かを待っている時間は、そのときの自分と共に、その後の時間に押し流されるというよりは、上書きされるように、どこかへ行ってしまう。

 それだけ、何かを待つだけの時間は異質だと思う。

 もし、どこかに「待つ時間」が集まっている、夢の島のような場所があったとすれば、(もちろん存在しないけれど)、そこはとても静かで全てが止まっているのに、緊張感だけはある不思議な空間になっているはずだ。

 みたいな変なことを、洗濯機を買い替えてから、考えるようになった。





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おちまこと
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