読書感想 『医療の外れで』 木村映里 「奇跡的なタイミング」
どこで、この作品を知ったのかは、すでに覚えていないが、誰かが控えめながらも、強く推していたのは記憶している。
こういうことをすぐに忘れてしまうのは、申し訳ないのだけど、この「医療の外れで」というタイトルを知った時に、この著者は、どこかの「真ん中」にいるのだろうか、と思って、最初の興味を持った。
読み進めていくと、著者は、今の時点では、どの場所でも「ど真ん中」にいるわけではなく、だからこそ、書ける著書ではないかと思い始める。
「医療の外れで:看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと」 木村映里
医療者であって、マイノリティの当事者でもある。さらには、プロフェッショナルとしても6年目なので、まだベテランとは言い難いし、もちろん新人でもない。
このいい意味での「定まらなさ」に立ち続け、それは大変なことだとも想像するが、だからこそ、そうした場所からしか見えないような事を書けるのだろうし、貴重な記録にもなっていると思う。
例えば、いわゆる「水商売」での勤務経験もある著者は、無店舗型の風俗は危険が多く、場合によっては、客によってケガをさせられることまである、といった話に関しての、気持ちの距離感が近い。
救急医の友人にこの話をすると唖然としていました。「客がやばい人で、刃物とか持ってたら殺されるよね?スタッフさんに連絡するスマホ取り上げられたり壊されたりしたら終わりじゃない?そんな怖い思いをした後での受診だったなんて……よく分からなくて縫合だけして帰しちゃった。知っていれば精神科コンサルとか、警察呼ぶとか、できたはずなのに」という言葉が出てきたことにはほっとしましたが、「そんな場所で働いているなんて可哀想だよね。好きでもない男とセックスしてさ。セックスは愛する人として欲しい。いや好きでその仕事してるなら別にいいんだけど」という言葉が続いたことに、私は違和感を覚えました。
粘り強い思考
ここからの著者の思考は粘り強く、当事者性への誠実さや、客観性や、医療者としての冷静さも含めて、自分のどの部分にも、人からの思いに対しても、決してうそをつかないように、でも、覚悟を持って、一応の結論まで話を進めている。
このうねるような表現に関しては、著者の文章でないと伝わりにくいので、長くなるけれど、引用させてもらいます。
毎日毎日辛く悲しく生活を切り詰めて夜の仕事をする人は「被害者だから支援が必要」で夜の仕事を楽しいと思ったら、或いは贅沢のために働いたら、「好きでやっているから自己責任」になるのでしょうか。「被害者」と「自己責任」は何を境界にジャッジされるのでしょうか。いつも嫌々働いているわけでもなければ、いつも楽しく働いているわけでもない、仕事の主体性なんて、ある時もあれば無い時もある、としか言いようがないのに。
性風俗産業で働く人達が「自分には絶対にできないことをやってのける、圧倒的に理解できない他者」となり、性的なものはロマンティックなものであって欲しい、愛情は高尚なものであって欲しいという願いや、心の奥底にある柔らかなアイデンティティを揺るがす脅威として認知される側面も、どこかで有るように思います。それは差別や偏見とは一蹴し難い、自分自身の存在を脅かし得る他者への本能的な拒絶だとも感じます。
しかし一方では「どんな職業でも差別してはいけない」というリベラル的な視点が、さらに「風俗嬢は被害者だ」という(自称)支援者達の声が上乗せさせる現状がある。これでは性風俗産業に関する言説は当然混乱するでしょう。
では性風俗産業について、社会の文脈で持ち出す時には何を基準にすれば良いのか。私はそこに「安全」を最優先事項として挙げます。
性風俗産業は仕事の特性上、医療との結びつきを切ることができません。だからこそ彼女達にとって、病院に行くこと、医療と関わりを持つことが不要な傷付きに繋がらず、人として当たり前に尊重される医療を受けられることを、そのための我々自身の配慮を、私は医療に対して求めています。
奇跡的なタイミング
引用が長くなったが、この部分も、もちろん著書の一部に過ぎない。
セクシャルマイノリティ。性暴力被害者。暴力加害者。虐待してしまうのではないか、という不安に苛まれる母親。医療不信の患者の家族。生活保護受給者。依存症。さらには、医療現場で働く人たち。
様々なテーマに対して、引用した部分のように、粘り強く、誠実に考え続けているから、著者の負担も相当なものなのだろうと、想像するしかないが、その結果として、この貴重な作品が生まれていると思う。
「マイノリティや社会から排除されがちな人達について、社会学者が書くような分析的なものではなく、医療の現場の経験に基づいた、当事者に共感を持ってもらえて、医療のプロフェッショナルに対しては、啓発的な役割を果たせる、リアリティのあるレポートを」。
これが、編集者からのリクエストだったらしいが、この難しい目標を、かなりの程度達成していると思えるのは、マイノリティの当事者でもあり、医療者でもあり、さらには、精神科医の中井久夫氏が「心のうぶ毛」と表現する、言ってみれば、「初心」のようなものを、まだ失っていないような「奇跡的なタイミング」で書かれた作品だったからかもしれない。
ただ、こうしたことを書くのは、同時に著者に失礼なのは、もう少し経つと「初心を忘れる」を前提にしてしまっているからだ。
どれだけ誠実で純粋な人でも、あまりにも過酷な日常を過ごしていると、嫌でも「初心」がすり減ってしまうことはあるはずだ。それは、その日常に適応するために、自分自身を守るためにも、必要な変化だとも思う。
それでも、時々、確かに存在する、何十年も過酷な現場で働いているはずなのに、「初心を忘れない人」に、余計なお世話でもあるけれど、できたら著者にもなってほしいし、今の時点で、この作品が書けるのであれば、それは可能なのではないか、と不遜なことも思ったりもする。
オススメしたい人
この著書で扱われているテーマに関心があったり、自分自身が当事者であったりする場合は、もちろん読んでいただきたいのですが、実は、自分には全く関係ない、と思っている人ほど、必要な本だと思っています。
「多様性」という言葉が、ほんの少しでも気になっているのであれば、年齢や職業を問わず、どなたにでもお勧めできると思います。
一見、難しいテーマでもあるのですが、著者が、考えながら書いているので、一緒に歩むように読んでいけると思いますので、実は、読みやすい側面もあるように感じます。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。