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読書感想 『人新世の「資本論」』 斎藤幸平 「理想をあきらめないための思考」

 少し前に読んだ書籍があって、何か納得できないような気持ちになった。その著者がテレビ番組に出ていたのを見る機会があった。肩書きが、経済思想家だったのに、改めて気がついた。

 その人が画面越しとはいえ、話すのを見ていた。その話の中で、その書籍の印象が変わっていった。マルクスの、まだ発見されていない凄さを語っているだけではないことは分かった。

 そうすると、勝手なものだけど、書籍も、「固定化した理想」を描いたものではないのも、分かった気がした。

人新世の「資本論」   斎藤幸平 

「人新世」というのは、聞きなれないけれど、地球規模の時間区分で考えた時に、人類が地球の環境に大きな影響を与えた時期という視点からの言葉らしい。

 そして、まずは、人類の活動が、どれだけ地球環境に悪影響を与え、そして、もっと問題なのは、それを知りながらも、対策を取らないことなのだということに向き合っていないことに改めて気づかされる。

SD Gsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。
気候危機は、二〇五〇年あたりからおもむろに始まるのではない。危機はすでに始まっているのである。
先進国は、グローバル・サウスを犠牲にして、「豊かな」生活を享受している。
外部を使いつくした「人新世」
資本主義が崩壊するよりも前に、地球が人類の住めない場所になっているというわけだ。

 そして、どうすればいいのか、といった「結論」も実はシンプルなものらしい。

世界全体が「持続可能で公正な社会」へ移行しなければ、最終的には、地球が住めないような環境になって、先進国の繁栄さえも、脅かされてしまうのである。

 この「結論」も、言葉を変えながらも、ここ何十年もずっと聞いたり、見たりしているような気がする。

 だけど、その危機感は、恥ずかしながら、個人的には、本当の意味で感じられてこなかった。それは、例えば、「石油は、あと30年でなくなる」といった話をずっと昔に聞いたことがあり、その30年がたっても枯渇することはなく、その理由として、新しい油田が発見された、みたいなことが言われ続けていた記憶がある。

 そんな蓄積によって、先のことは考えなくても何とかなるんじゃないか、といった気持ちになっていた。資本主義だけが正しいと思っていなくても、そんな風に思っていた。

 ただ、それがもう手遅れの感覚なのも、改めて思う。

理想の形としての「ソビエト連邦」

 著者・斎藤幸平は、経済思想家として、マルクスの、これまで注目されてこなかった面に対して語り、それを希望として提示しようとしているように見えた。

一般に信じられているのとは反対に、コミュニズムは、ある種の潤沢さを整えてゆく。

 そして、「脱成長コミュニズムの柱」として、5つの点について語っている。それぞれの指摘されたことに関して、自分自身の理解がどこまで届いているのかは分からないが、この書籍で読む以上は、もし実現すれば、明らかに今よりも豊かで公正で、生きやすい社会になるように思える。

 ただ、ここでふと思ったのは、社会主義の理想を実際に形にするために起こったのがロシア革命であり、その具体的な形が「ソビエト連邦」だったはずだ。(実態は、そんなに単純でないとしても)。

 確かに、そのロシア革命の際は、ここで斎藤が指摘している点まで、十分に考慮されていなかったかもしれない。だけど、その時「ソビエト連邦」が成立したのは、その目指す理想が、共有できたからのはずで、資本主義では不可能だった「平等で豊かな世界」が実現すると、思えたはずだったからではないだろうか。

繰り返される理想の末路

 だけど、実際に「ソビエト連邦」が、どうなったのか。

 それは、国際情勢に詳しくない私のような人間でも、ある程度は想像がつく。自由なはずなのに、表現の自由がないような社会。それは、でも「理想」について疑問をはさんではいけない、という「正当」な理由で、正しいものとされていたのだと思う。だけど、それは、他の社会から見たら「独裁」にしか思えなかった。

 だから、斎藤が提示していることが、もし、実現化されるとすれば、その瞬間は、とても「幸福」な時間だと思う。ただ、いざ、具体化を継続しようとすると、「理想の実現」には「表現の自由」が制限されてしまうのではないか。それが繰り返されるのではないか、という疑念がある。

 とても、未熟で政治の素人の発想なのだけど、人間が「国家」というシステムを作っていくときに、「独裁」にさせないためには、考え抜いたシステムが必要ではないか、と思う。

 現在のドイツの憲法では、どれだけ国民の多数が賛成しても、変えられない条項があると聞いたことがある。そういった「民主的」ではないシステムを組み込まないと、「理想」を「独裁」抜きで「実現」はできないのではないだろうか。

 斎藤の著作では、「理想」を実現し続けるための、そうした具体的なシステムにまでの言及はないように思えたので、どれだけ素晴らしい「理想」でも、これでは崩壊した「ソビエト連邦」が繰り返されるのではないか、と思えたので、積極的に誰かに勧めるような気が起きなかった。

理想をあきらめないための思考

 ただ、自分の理解が浅かったのかもしれない、と思えたのは、著者がテレビ画面で話している姿を見たからだった。それだけで、考えを変えるのは、愚かなのかもしれないけれど、斎藤幸平氏が、何をしようとしているのかが、分かったように思った。

 柴咲コウとの対談の中で、柴咲から、社会主義は独裁政権で、軍国への不安という、もっともな見方が語られ、それに対して斎藤は、丁寧に答えていた。

(以下は、画面を見ての記録です。多少の違いがあるとは思います。すみません)。

 そういう歴史がある。それでソ連が崩壊する。その後、じゃあ、資本主義になった時に、すごいいい社会になったかというと、格差が酷くなり、気候変動が進んでいく。
 で、今は、みんな必死に働いて、給料も少なくて、将来が見通せない。
 そんな時に、資本主義しかないんだよ。だから頑張ろうよ。あとは自己責任だよ、というのは、すごい危ない気がしていて。
 実は、資本主義じゃない社会はあるんじゃないか。と、考え続けることだけは止めちゃいけないんじゃないか。現実に、それができるかどうは別問題としても。
 だけど、もっと本当の意味で豊かで平等で自由で持続可能な社会を、考えたい。まずは自分の頭の中で考えたい、というのがあって。

 だから、斎藤は、経済思想家、という肩書きを名乗っているのか、と分かった気がした。

 斉藤が、これまでやろうとしていたことは、まだ明らかになっていないマルクスの思想だけに拘っているだけではなく、そこがスタートとしても、過去の歴史の中の「形にならなかった可能性」を、今の視点で改めて考え直すことかもしれない。

 歴史は、後から見ると、必然的に「一本道」を進んできたように見えるけれど、色々な選択肢があって、現在は、その中でたまたま選ばれた一つに過ぎない可能性もある。実は、もっと「豊かで平等で自由な社会」の実現に近づけたかもしれない「思想」「可能性」があったのかもしれない。

 斎藤が、「過去の可能性の再検討」という作業をしていると考えれば、それは例えば「封建主義者」と名乗っている呉智英や、歴史学者の網野善彦と、似た作業をしているように思えてきた。


お勧めしたい人

 そうであれば、私の理解力が足りないだけで、『人新世の「資本論」』も、もっときちんと理解できる人が読めば、さらに、その先までの思考も可能かもしれない。


 ですので、今の資本主義だけでは、これから先は無理ではないか。そこまで行かなくても、現在の社会に違和感を持たれている方には、かなり強めにお勧めできる作品だと思います。

 読む人が多くなり、より多様な視点が育てば、コロナ禍の終わりが見えないような、絶望的にも思える状況の中でも、ほんの少しでも希望が見えてくるような気がします。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。




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おちまこと
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