渋柿の収穫。
夏は暑く、しかも長く続き、11月になっても夏日があるような年だから、いつもと違って、収穫は、もっと遅くなるかと思いながら、庭にある柿の木を眺めていた。
そして、冬にあれだけ枝を伐採し、刈り込み、春頃にはさらに枝を切ったのに、それでも、今年も、柿の実が思ったよりも大きくなっていた。
ただ、私にとっては、色づいてきたとはいっても、まだ色が薄く、いかにも固そうに見えて、だから、もう少し気温が低くなってきた頃に高枝切りバサミを使って、柿の実を取ればいいや、と思っていたのだけど、植物に関して圧倒的リーダーである妻から、そろそろとって欲しい、ということを言われていたので、気になり方が強くなった。
午後
なんとなくバタバタして、夜にはズームによる講義もあるので、時間もなくて、と思っていたのだけど、柿を見て、さらに、ずっと晴天が続いていたのだけど、そろそろ雨が降るという天気予報を知って、急に、昼ごはんを食べて、食器を洗っているときに、やっぱり柿の実を取ろう、と思った。
食器洗いを終えて、少し筋トレをして、そのあとに、庭に出て、高枝切りバサミと、作業の時に目を保護するゴーグルのようなものを準備した。
天気はいい。
庭から見ると、まだ柿の実はちょっと固く見えるけれど、目についたところの柿から、高枝切りバサミを伸ばして、その周辺の枝をはさむ。家には高枝切りバサミが2本もあるのに、どちらもハサミの機能が衰えていて、切れ味がかなり悪い。
だから、かなり力を入れても、それほど太くない枝でもなかなか切れず、結局は、そのまま枝をひねって、腕に力を入れ、顔にまでそれが及び、うー、っというような声まで出て、枝がやっと取れる。
下に落ちてくる前に、手でキャッチしないと、柿の実に傷がついてしまうから、ちょっと緊張して、手ですくうようにとる。
少し取ったら、柿の実は思ったよりも大きく、色も、それなりについているようだった。
柿の実
それで柿の実をいくつかとったり、下に枝ごと落ちてくるとき取り損ねて、崩れてしまったりしているときに、妻が昼寝から覚める。
とった柿を見てもらったら、それなりに大きいことと、もう収穫どきになっているらしいので、今日、できる限りはとっておこうと、自分の中で決める。
枝ごと切るので、柿の木の全体の様子がよく見えるようになり、思ったよりも、柿の実がなっているのがわかる。
いつの間にか、こんなにたくさん、という気持ちになって、切れない高枝切りバサミを持って、庭から見上げて、柿の実を探し、どこを切ればいいのかを見つけ、そして、ハサミで枝を挟み、力を入れたり、ひねったりして、柿をとっていく。
鳥
さっきから、カラスがにごった大きい声で鳴いていて、割と低空で飛んでいく。気になって、高枝切りバサミを構えて凄んだら、電線に止まっていたカラスが飛んでいった。
今日は、燃えるゴミの日でもないのに、変な騒ぎ方をしているのが不思議に思えた。
しばらく柿の実をとっていくと、中には、もう熟したといっていいような濃いだいだい色になっている実もあった。そして、そういう実は、すでに、食べられた跡があったりした。
気がつかなかった。
この柿は渋柿で、形だけは丸々として、おいしそうに見えるのだけど、渋いことは変わらずに、だから、かなり熟してから、カラスのような大きい鳥がやってきて、その後に、もう少し小さい鳥が来て、それから、さらに小さい鳥たちがやってくる、というパターンが毎年続いていた。
それに、大きめのカラスのような鳥が初期に食べ始めると、集まってくるから、いやでも気がついて、考えたら、そうなってから、急いで柿の実を取り始める、というような合図でもあった。
今年は、とても静かだった。どんな鳥かわからないが、柿の実がすでに食べられ始めたことは知らなかった。
ひそかに、やられた、という悔しさのようなものや、気がつかなかった無念のような気持ちにもなったけれど、さっきのカラスがあれだけ何羽も騒いで、そして、この辺りを低空で飛んでいて、何度も往復していたのは、この柿の実を取らせないようにしたかったのか。もしくは、取られるのなら、その前に取ろうとしていたのか。
そんな全く根拠のないことを考えてしまうくらい、何個も柿の実は食べられていた。
柿の収穫
11月なのに、まだ蚊はいるようで、なんだか少しかゆくなった。
半袖で作業をするからいけないのだろうけれど、気温は比較的高いので、そんな格好だったけれど、虫除けスプレーを腕を中心にまいた。
それから、またしばらくは収穫の作業を、ずっと上を向いて、続けて、気がついたら、洗濯物を入れるカゴに新聞紙を引いて、柿の実の入れ物を作ったのだけど、それがいっぱいになっていた。
まだ枝や葉っぱを完全に落としていないから、いわゆる「カサまし」の状態になっているとはいえ、そのカゴがいっぱいになった。
作業を始めるときは、とにかく少しでもとって、お茶を濁そうと思っていたのだけど、気がついたら、1時間近くが過ぎていた。
妻が、柿のことを気にしているのは、義母が生きているときは、義母が好きだったせいもあるし、ある程度以上の数をとって、渋柿だから庭先に干して、干し柿にして、そして差し上げると、喜んでくれる人がいるからだった。
たぶん、60個は取ったと思う。
そんな柿の実にまつわる話を聞いていると、柿の実がなって、鳥にただ食べられるだけだど、それも自然の循環ではあるとはいっても、やっぱり、もったいなく感じて、柿の実をとることになる。
この習慣は、おそらく10年以上は続いている。
できたら、高枝切りバサミがもう少し切れる状態になっているとありがたいし、柿の実のことだけではなく、伸びすぎた枝を切るために、その高枝切りバサミについている小さいノコギリは、色が完全に変わるほどさびていて、しかも枝を切ろうとしても、枝が揺れてうまく切れないから、そのあたりのことが解決すれば、もっと快適だと思う。
配達
渋柿をわかってくれていて、それでも毎年、ほしいと言ってくれる人もいて、翌日の午前中には、妻が、収穫した柿をレジ袋にいくつにも分けてくれていて、作業が早いと思ったが、すでに、その希望してくれる人の家に届けにいった。
喜んでくれたと聞いて、こちらも少しうれしかった。でも、こんなに早く配ってくれるなんて、妻の作業の早さに驚くのと、ありがたいとも思った。
それから何日か経って、玄関のそばの古い机に袋が置いてあった。
柿を差し上げた方からのお返しの「ちちぶ餅」だった。とてもおいしかった。
柿を詰めた袋は、まだ2つある。
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