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読書感想 『ビューティフルからビューティフルへ』  「新しい言葉、新しい絶望」

 言葉ができたのは、かなり古い。

 それも、オリジナルに言葉を生み出せた文明というのは、どうやら限られているらしい。

 それから、人類は飛躍的に進歩したと言われているが、人間に生まれると、だいたいは、ずっと言葉を使い続けて生きていくことになり、不思議なことに、言葉は時代とともに変わっていく。

 そして、主に、その時代の若い人間が、新しい言葉を生み出す。それは、すごく新鮮なほど、すぐに古くなる。だから、ちょっと冷静な人間は、残る場所には記録をしない。

 ただ、若い世代の言葉が新しく感じるのは、その分、歳をとっただけではないか、と自分自身を疑うこともあるが、でも、やっぱり、新しい言葉は、気持ちがいいと思えた作品だった。

『ビューティフルからビューティフルへ』 日比野コレコ

 作者は、2003年生まれ。21世紀の人だった。

『絶望をドレスコードにして生きる高校三年生の靜と、ネグレクト家庭に育ち「死にたい歴=年齢」のナナ。ある晩、受験生のナナが単語カードを片手に歩いていると、駅前でサイファーをしている若い男に声をかけられた。ナナは気まぐれで、彼=ビルEを、静と自分の通い慣れている「ことばぁ」という老婆の家に誘うが------。軽やかなことば遊びと、たたみかけるようなパンチラインの奔流。生と死の両極に振り切れて乱反射する、高校生たちのモノローグ。』

 裏表紙に書いてある作品の紹介なのだけど、これを読んだ印象よりも、個人的には、もっと重さと切実さが加わっているように思えた。さらに、言葉は、元々は、体に働きかける運動体のような要素があることも、思い出させてくれる。



(※ここから先は、内容についての具体的な引用もあります。もし、未読で、何の情報にも触れずに、読みたい方は、ご注意ください)。





 登場人物「ナナ」の生育環境は、特に母親のため、特殊になってしまっている。

 母親は新興宗教の限界オタクだった。だが神さまは母親をいっこうに救わず、母娘の関係は暴力で繋がれていた。
(この段落は息を止めて読んでほしい、そうしてこの息苦しさが少しでも伝わればいい)。風邪をひいたら頭にキャベツを貼られてホメオパシーのレメディを飲む。私はスナック菓子とか、市販のジュースとか与えられたことがなかったから、ちょっと甘いホメオパシーが大好きだった。噛んじゃダメだよって言われて舌の下に小さい薬を入れて二十一キロの身体を高揚で震わせていた。小学校のとき火傷をしたら温めてくれてうれしかったよ。ワクチンや化粧、電子機器の電波、おくすり、ステロイド、そういうあぶないものから全部、私を守ってくれてうれしかった。手作りの化粧水、石鹸、スポーツドリンク、目薬、お洋服。でも、いつしか自然派ママも、面倒になったんだと思う。世の中には危ないものがありすぎるから、なにもしないのが結局いちばんだってネグレクトに至ったね。だからこの家庭は、(ここで大きく息を吸って)、この家庭は、これ以上ないほど完璧な絶望の温床だった。なにひとつ欲しがることができなかったナナは、小学校のとき初めて、はんこ注射の跡が欲しいとトイレで泣きじゃくった。こんな実話をしゃくり上げながら書いても、缶ジュースじゃないんだし、文章に水滴はつかないな。 

 伝えたい気持ちに押されるように、次から次へと言葉が連なっているようだった。その語られている内容は、とんでもなく大変なことではあるのだけど、それでも、その言葉のリズム自体で、心地よさまである。

絶望の形の違い

 登場人物は、それぞれ、自分のことを書いている。

 そして、その思いや気持ちは、自分だけのものだから、これまでにある言葉だけでは正確に表現できないのではないか。そんな焦燥感といらだちのようなものがあるせいか、その言葉には新しさと、スピード感が詰まっているのかもしれない。

 は、自分の好きなダイとの会話も、微妙に気持ちはすれ違っていて、それも分かりながら、どうしても続けてしまう。

「ねえダイ、好きだよ」と静はいう。すると、心臓あたりの細胞がものすごいスピードで分裂して、左心室から恋が煮えくり返る。
 「かわいいねえ静ちゃんは」とダイは笑う。
 「どんな子供だったの、ダイは。どんなものを目に入れてきて、なにで頭を打ったの」
 大好きなひとが、目に入れても痛くないもの。大好きなひとの人生を頭打ちにしてもの。静は答えを聞くのが待ちきれない。

空は軽やかに曇っている。ちょっと肌寒いけど、切れ味抜群のすがすがしい空気だ。大好きな人の家の屋上で、すうっと息を吸う。はあって吐き出す。ほんとうに、地平線の端から端までわたしの季語だ。

「ねえ、ダイにも憑いてるって、あのなんとかっていう妖怪」
「妖怪クソノスタルジー・エモ散らかしな」

「私のこと、全部燃えるごみに入れていいよ?」
「は?」
「私のなかに燃えない部分なんてひとつもないから」
「そういうの嫌いだって言ってんだろ。おまえはなんの暗喩でもねえよ」

勉強勉強E判定

 ナナは、死にたいを抱えながらも、勉強はウソのように続けている。

お母さんのヒステリー声よりうるさい音楽を聴かなきゃいけなかったから、好きになれる音楽は限られていた。今にも吐きそうな声で歌うひとしか好きになれずに、点滴のように音楽を自分に注入した。サブスクのプレイリスト名から検索をかけられるページで、「しにてー」とか「死にたい」というプレイリスト名を調べると、そのリストのなかに入っている曲は、だいたいナナが聴いているのと同じ曲だ。「生きる」とか「地獄」で調べても大体が同じ曲だった。  

勉強勉強勉強勉強勉強勉強の毎日に、三十分のことばぁの秘密の花園を挟み込むと日々はサンドイッチみたいにふくらみ、あっという間に十一月になっていた。

毎週のように模試はあって、勉強勉強E判定勉強ことばぁ勉強勉強C判定勉強ことばぁ勉強勉強D判定勉強、というようなサイクルのなかで精神が事故に巻き込まれていた。小学校受験では枝毛と抜け毛だらけになり中学校受験では白髪だらけになったし高校受験では口内炎と全身のニキビと肉割れだらけになったし、大学受験で私は次、どんなバケモノに大変身するのだろうか。ナナは、めくるめく死にたさを心のなかに幽閉した。

ビューティフル

 そして、ビルEは、ナナに、こう表現される。

パーツパーツはちゃんと柄が悪い男なのだが、全体として見ると、心と体が引き裂かれている自分と共鳴するものを感じる。ナナがビルEをここに連れてきたのもその理由からだった。ナナにはときどき、感情がまるまる、『私の話を聞いてくれ』のときがあるのだが、ひと目見たとき、ビルEにはそれと同じものを感じた。

  ビルEは、こんな文章を書いた。

ことばぁは、ナナの受験が終わってから(そういえば、ナナは受験には落ちたらしい。こんなんで生きる価値ないとか言ってたけど、ヤバいよな)、俺たち三人に、私小説を書けっていう宿題を出した。三人の周りにいる人間がちょっとずつ被ってるからおもろいちゃうか、みたいなことやった。 

ことばぁはが、最後はこれで締めろって言った言葉なんやったっけ、ああ、そうそう、ビューティフル。このスペルも、わからないふりをしよう。ダーティーにまみれて、ビューティフルとは無縁の人生だ。俺が生まれてくるとき、みんなは笑ったから、俺が死ぬときはみんなが泣いてくれたらええ、とか、そんなんじゃなくて、葬式で俺が火葬されたあと、俺の、俺の顔の骨が、笑った形のままやったらいいな。まあ、こうであってほしいっていう理想はやっぱりさ、はじめとおわりを無理やり湾曲させるのでもいいから、ビューティフルからビューティフルへってことなんやろな。

 どの人物も、切実で、追い込まれた気持ちの中にいるずなのだけど、言葉にしたせいか、失礼ながら、勝手に少し救いのようなものや、心地よさも感じてしまうのは、やはり、まだ、その絶望が新しいせいかもしれない。


おすすめしたい人

 自分の年齢が高くなってくると、その新しさが、本当に新しいかどうかに自信が持てなくなってきます。それでも、新しいほど、古くなるのも恥ずかしくなるのも早いはずなので、この紹介を読んで、少しでも興味を持ってくれた人は、ぜひ、早めに、全部を読み通すことを、おすすめします。

 気持ちが少し落ち込んでいる人。

 毎日が停滞しているように感じている人。

 そんな人たちにも、おすすめできると思います。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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おちまこと
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