顔が「どす黒くなる」、ということ。
名前は聞いたことがある人だった。
精神科医で、対人関係療法の第一人者で、国会議員にもなった人で、だからとても多才な人という印象で、オードリーの若林正恭が司会をする番組で、その人がどんな人か?に対してコメントをしていたのも水島広子、という人だった。
どす黒い顔
基本的に縁遠い人だと思っていたのだけど、最近、信頼している人の言葉によって、その発言を確認する機会があった。
これは、旧Twitterにツイートされた文章だから、これに対して、根拠や責任を求める気もないのだけど、実はかなり大事なことを言っているように思えた。水島氏が、国会議員をしていただけに、説得力もあると感じる。
ただ、このことを聞いて、最初に思うのは、日焼けのことだった。政治家も含めて中年以上の特に男性はよくゴルフをするイメージがある。それは、接待や付き合いも兼ねているから仕事の一部でもあるのだろうけれど、それだけではなく、街の中で、普段の日常の中で、やっぱり彼らはゴルフが好きなのでは、と思うこともある。
そうなれば屋外で長い時間、太陽にさらされるから、日焼けをすることになる。水島氏の言っている黒い顔も、そういうことかもしれないとも思ったが、ただ、それだったら、どこかに健康的な印象もあるのだから、そのことを「どす黒い」と表現するのは不自然なのかもしれないと思う。
次に考えられるのは、不健康につながることだ。
どこかで聞いたことがあるけれど、政治家は人に会うのが仕事、みたいな言葉があって、確かに近所の議員さんも、人が集まる、あらゆる場所に現れる、ように見えるから、当然のように酒席も多く、そうなるとアルコールの摂取量も増えるはずだ。
そうなれば、肝臓の調子が悪くなってきても、おかしくないし、それは顔色の悪さにつながる。
ただ、もしそうであれば、医師である水島氏が、そのことに気がつかないはずもない、と思えるし、その不健康に関して「どす黒い」という表現を使うとは考えにくい。
もちろん、このことに対して、水島氏本人が、他の場所で語っているかもしれないけれど、それについては自分が無知なせいもあってわかっていない。
そうなると、この「どす黒い」が、日焼けでも不健康でもないことを語っているとようなので、政治家の「どす黒い顔」は、指摘されているようで、あまり正面から指摘されていなかったようにも思うので、改めて、自分の能力の限界も分かりながらも、少し考えてみたいと思った。
顔の変化
やはり、生きている時間が長くなるほど、自分だけではなく(というよりも、自分のことが一番わからないかもしれないけれど)、他の人たちの顔が変わっていくとも観察することになる。
そうしたことを一番感じるのは、久しぶりに開かれた同窓会などに出席する時かもしれない。それほど熱心に参加する方でもないのだけど、ずっと日常的に顔を合わせているよりも、若い時の顔を知っている人と、何十年のブランクがあって急に見る、ということができる貴重な機会でもあるので、人の顔はこんなに変わるのか、と思うこともある。
それは、もちろん老化ということもあって、皮膚が衰えたり、髪が減ったり、肥満したりすれば、顔もかわる。
それでも、昔の顔を知っていると、最初は全く違うような気がするけれど、少し時間が経つと、記憶の中の面影のようなものと重なってきて、違和感が減ってきて、確かに、自分が知っている人間と同一人物だと実感できる。
だけど、人によっては、そうした老化という変化だけではなく、顔つきの根本的なものがかわってしまった、と思える時がある。もちろん、それは個人的な感覚に過ぎず、しかも、正確な判断かどうかもわからない。
だけど、そうした顔つきが変わってしまった人と話をしても、昔のその人とあまり一致しない場合もある。それは、よくも悪くも、かもしれないが、もしかしたら、政治家の「どす黒い顔」とつながるような変化を表している可能性もある。
そういう人は、何が変わったのだろうか。
顔色の変化
芸能人のように、人の前で仕事をしている人が、デビューをして短時間に、顔が変わっていくことがある。それは、テレビなどのメディアを通しても、その変化がわかることさえある。
それは、時として整形疑惑が持ち上がるほどのことなのだけど、人の顔は意識の持ち方で、変わる、ということだけではなく、人間は、人の顔に対しての関心と、その見極めの能力が異常に高いということかもしれない。
ただ、そういったことでわかるように、やはり、顔は明らかに変わるのだと思うから、政治家の「どす黒い顔」も、政治家に特化した変化と言えるかもしれないが、いろいろな意味で、あまり検討されていないと思う。
それと並行して、もっと短い時間で、顔は変わる。というよりは、この場合は顔色が変わることは日常的に確認されているはずだ。
体調が悪い時に、顔色が悪くなる。それは、周囲の人が、そういう変化をすれば、おそらくは、その把握の力に差はあるとしても、誰でもわかる。
それくらい、数時間といった短い時間でも顔や顔色は変わる。そうであれば、政治家の顔の変化も、日焼けや不健康以外の要素を考えてもいいのかもしれない。
目の変化
政治家や、もしくは人との交渉で、自分の本心を見せないようにしている人の変化で最も分かりやすいのは、目に現れると思う。
それは、他の顔の表情は意識して動かさないことも不可能ではないし、それに長けた人も少なくなさそうだけど、さらに目まで無表情にしていくこともしていく人は、ベテランの政治家に多いように感じる。
それは、例えば笑顔をつくったときに、瞳が完全にしわなどで埋もれてしまい、外からは全く見えない方法がとられる場合と、瞳の表面に、あれは、どういう作用なのかよくわからないが、どうみても、わずかに薄い膜が張って見える人がいる。
それは、直接というよりは、テレビなどを通して、大物でベテランの政治家の中には確かに存在して、その人たちの気持ちは、とても分かりにくい。それは、どれだけ隠そうとしても、瞳には感情が最も表れやすいのに、その瞳の微妙な変化が、その薄い膜によって、ほぼわからなくなってしまうからだ。
もちろん、これは個人的な感覚に過ぎないけれど、似たようなことを感じている人は思ったよりも多いと思うし、例えば、対面しているときに、なんとなく怖いと感じる場合は、相手の感情がわかりにくいという共通点があるように思う。
「どす黒い顔」の理由
もしも、日焼けでもなく、内臓の調子の悪さでもなく、顔色が「どす黒く」なっていくとすれば、それは、照れている時に顔に赤みがさしたり、恐怖を感じたときに顔が青ざめたりするように、精神的な要素によって変わっていき、その蓄積の可能性もある。
それは、顔の血流が変わっていく、ということかもしれないが、清濁併せ呑む、という表現があって、多くの場合は「清」の要素はほとんどなくて、「濁」ばかりを多く受け入れなくてはいけないとすれば、顔はどんなふうになっていくだろうか。
例えば、理不尽なことで、でも、どうしようもなく、そのことを受け入れる以外の方法がない場合には、表情は固くなる。怒りが出そうになるけれど、それを出すこともできず、だから、グッと気持ちを抑え込むことになると、目も無表情に近くなり、顔の動きもなくなる。そうなれば、それは外から見たら固い顔であり、かなり顔が青ざめたりして見えるかもしれない。
ただ。理不尽に対しての怒りが強く、それを抑えると、黒くはなりにくいかもしれないので、それは、どす黒くなるのとは違うように思う。
血行不良
血行不良、くすみ。これが「どす黒い」の方向に近いかもしれない。
政治家になるときは、政治家の2世、3世は、すでに政治の世界のことを知っているから違うのかもしれないけれど、何も知らないで政治家になる人は、おそらくは世の中を変えたい、とか、よくしたい、と思っている人もいるはずで、そういう人が当選すれば、基本的にはフレッシュな顔のはずだ。
その人たちが、もしも「どす黒く」なっていくのだとすれば、清濁併せ呑むの、特に「濁」の要素ばかりを、受け入れなくては、政治家として生き残って、さらに出世できない状況に置かれたとしたら、どう感じるのだろうか。
(現在の裏金問題だけではなく、ここ何十年かの政治と金にまつわる事件などを見ても、どうしても政治の世界には濁の部分が多いと思ってしまう)。
それは、想像することしかできないけれど、理想を諦め、現状に呑み込まれ、そして、感情を出すことが少なくなる方向ではないだろうか。そうなれば、表情は固くなり、気持ちのフレッシュさが減ってくると、血流は悪くなっていかないだろうか。その変化に対して、かなりのストレスがかかっている可能性も高い。
そうなれば、肌のくすみによって、青黒くなっていっても、おかしくない。
そこに、政治家としての付き合いが多くなり、人脈を広げていく手段としても、現在はゴルフが使われることも多いのは、政治家の休日はゴルフをプレーしている印象からも事実だろうから、顔が日焼けしていく。
清濁の「濁」を受け入れることによって、表情は固まり気味になり、それが続くと、顔は青黒くなっていくが、それと並行して仕事としてのゴルフの機会も増えていくことになり、日焼けによって黒さが足されていく。その年月が重なると、「どす黒く」なっていくのではないだろうか。
その間に、相手に感情を読み取らせないように、という意識が長くなれば、目に薄い膜が張ったように動きのない瞳になり、表情は動かない上に、顔色も「どす黒く」なれば、ある種の迫力も出てくるから、交渉のときは有利になるだろうから、その「どす黒い」顔も必要な要素になってくるかもしれない。
長い年月での変化
それは、もしかしたら、政治家ほどではないとしても、あらゆる組織の中で出世して上り詰めていくときにも、もちろんきれいごとだけでは済まないだろうから、やはり、特に大きな企業で出世していくことは、ある程度の「どす黒い」顔になっていくのだろうか。
このあたりは、企業に長く勤めていた方々が詳しいと思うのだけど、実際はどうなのだろう。
現在の写真の解像度は高くなっているから、例えば、政治家の2世、3世などではなく、フレッシュな志を持って政治家になった人がいれば、その人たちの顔色が詳細にわかるような写真を撮り続け、その顔色の変化まで正確にわかるような検討をしてくれれば、この「どす黒い顔」になっていく、ということも実証できるように思うのだけど、大手のマスメディア、特に政治部と言われる場所で、毎日の報道と共に、10年以上をかけて取り組んでくれないだろうか、とも思う。
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