石川美南の第一歌集『砂の降る教室』が読みたくても簡単には読めない
【この記事の要約】
とりあえずオススメしたい歌集があるからオススメするんだけど、その歌集は入手困難によりAmazonで定価の9倍の値段がついていて……という話。
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こんにちは。第三滑走路の森です。
前回の伊舎堂さんの記事が好評だったので、また好きな短歌を紹介する記事を書こうと思います。
今回紹介するのは石川美南(いしかわ・みな)さんの第一歌集『砂の降る教室』です。
石川美南さんは1980年生まれの歌人で、2003年に『砂の降る教室』を出版しています。
現在もバリバリ活動されている方で、昨年には『架空線』という歌集を出版されました。
せっかくなので『架空線』からも個人的に好きな歌を何首か引いておきます。
マッチ箱に二人暮らしてゐた頃の炊事洗濯ちいさな花火
春の電車夏の電車と乗り継いで今生きてゐる人と握手を
バス停もバスもまぶしい 雨払ふごとく日傘を振つてから乗る
一首目、童話のような世界観のなかで「マッチ箱」から導かれ「炊事」「洗濯」に並べられる「ちいさな花火」のかわいらしさが魅力的です。
二首目、人それぞれになんとか生き延びて今ここにいる、ということを電車の乗り継ぎになぞらえた歌。最後の「握手を」で急に「人」の存在がリアルな手触りで「ここ」に感じられるようになる仕掛けが面白いと思います。
三首目、一首目がオレンジ色の光の歌だとすれば、こちらは真っ白な光の歌。傘を振って飛び散る水滴のような、光の粒子が目に浮かんできます。
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さて、石川美南さんの紹介も済んだので、本題の第一歌集『砂の降る教室』の話に入ろうかと思います。
好きな連作はいくつかあるんですが、今回は素直に表題作の「砂の降る教室」を扱うことにします。
大学がF市に移転したのは、二年程前のことである。
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古いキャンパスにゐたころ、私たちの朝は、砂をぬぐふことから始まつた。
朝登校してくると、机も椅子もうつすら砂をかぶつてゐる。
老朽化した教室のどこからか大量の砂が侵入し、夜のうちに一面に降り積もるのだつた。
鼠色の砂が掃いても掃いても掃ききれなくなつた夏、移転が決まつた。
連作「砂の降る教室」は、こんな詞書で始まります。
不思議な現象の起こる大学のキャンパス、という舞台設定にぐっと引き込まれます。
この連作の魅力は、キャンパスに砂が降るという不思議な現象を、作中の人物も、作者も、それほど重くとらえていないというところにあると思っています。何首か引いてみましょう。
天井に穴の開きたる教室で海の計画など立ててゐる
わたしたち全速力で遊ばなきや 微かに鳴つている砂時計
はつなつの芝生のうへに右利きの恋人ばかりゐるつまらなさ
山手線二駅を共に帰るためサボテンに水やりながら待つ
一、二首目は、作中の人物にとっての「砂」の軽さがあらわれていると思います。砂が降る現象は不思議だし、現実に自分たちの生活を侵してきているけれど、それとは関係なく遊びには行かなくてはならない、みたいな。二首目の「微かに鳴つている砂時計」は学生の期間が刻一刻失われていくことへの焦燥を、設定を巻き込んで表現していて、連作としてのサービス精神を感じます。
三、四首目は逆に、作者にとっての「砂」の軽さが出ていると思います。作者が中心的に描きたいのは「砂」のあるパラレルワールドではなく、あくまでも実世界や、そこでの学生生活なのだろうな、と感じます。実世界のリアルさを増すために配置された虚構としての「砂」との、連作全体での距離感の取り方が絶妙だと思います。
個別の歌をもう少し見ていきましょう。
黒板の音声字母が剥がれ落ち椅子に机に[∫aka∫aka]積もる
この歌は、「黒板から文字が剥がれ落ちるという空想」「音声字母をつかった表記上の楽しさ」「連作の設定をいかした内容」といった、複数のギミック的においしいところを一首に統合することで、それぞれ単独の際のいやらしさのようなものを脱臭することに成功している点がすごいです。内容をぎっしり詰めたうえで定型を保っていて、口に出したときの違和感も日本語としての不自然さも感じさせない、っていうのを当たり前にやりすぎていて恐ろしいなと思います。
(註:↑の引用で用いた「∫」はインテグラルの記号です。音声字母で書くと「ʃakaʃaka」となると思うんですが、字の見た目的にインテグラルで書いた方が歌集の表記に近い(実際にインテグラルで書いてある?)と思ったためそうしています。)
半分は砂に埋もれてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ
おそらくこの連作の中で「サビ」扱いされている歌だと思います。
ちなみにですが、詞書によって、今までに引いてきた歌はキャンパス移転直前の歌、この歌はキャンパス移転から約2年後という設定であることがわかっています。
やはりこの歌は、「教授の指の化石を拾ふ」のずるさが全てというか。「短歌の中で拾ったらうれしいもの大喜利」の答えとして「教授の指の化石」はだいぶいい気がします。それを32首の連作まるまるつかって説得されている感覚というか。一首としてもいい歌だと思うんですけど、ぜひ連作の中の一首として読んでほしい歌です。
くすくすくすくすの木ゆれて青空を隠すくす楠の木ひとりきり
最後に僕がこの連作で一番好きな歌を引用しました。
最後から二首目のところにおかれた歌なんですけど、なんといっても韻律が気持ちよすぎます。四句-五句の「楠/の木」の句跨りが最高。
「くす」という音が「くすくす(擬音)」「楠」「隠す」と形をかえてちりばめられたうえ、最後に「楠の木ひとりきり」で「き」をゆるく踏んで着地する感覚も、ありがとうございます!って感じになります。ならないですか?
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さて、ここまで読んでくれた方のうち、何人かに一人くらいは、『砂の降る教室』を実際に読んでみたい!ってなってくれたかなあと思う(ならなかった人はごめんなさい。僕の紹介が下手なせいです。)んですが、ここでひとつ問題がありまして。
それは、『砂の降る教室』が入手困難ということです。
上にAmazonリンクを貼ったんで、クリックしてみたらわかると思うんですけど、中古で定価の9倍の値段がついています。
本がそれだけ愛されている証拠ということなんですが、ふだん短歌を読まない人にとっては(もちろんふだん短歌を読む人にとっても)かなり手に入れにくい現状になっています。
都内の図書館に少し収蔵されているようなので、都内に住んでいる人なら手間をかければ無料でアクセス可能なのはせめてもの救いといったところでしょうか。僕も隣の区の図書館から取り寄せて読みました。
図書館という手段は用意されているものの、かなりアクセスしづらい歌集を取り上げるということで、前回より多くの歌を引いて、なるべくこの記事だけで楽しめるように書いたつもりです。僕としてはこの記事を読んでもらえるだけでぜんぜんありがたいんですけど、よかったら図書館なり通販なりで歌集本体にアクセスすることをちょっとだけ検討してもらえると(結局断念することになったとしても)さらにありがたいなあ、と勝手に思います……
(今は電子書籍とかそれこそ有料noteとかもあるし、入手困難になった歌集に何らかの形で簡単にアクセスできるようになればいいなあ、とも思いつつ……)
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ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
好評であれば表題作以外の連作についても書きたいなと思っているので、そのときはよろしくお願いします。
それでは。