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蟄虫啓戸‥すごもりむしとをひらく

『蟄虫啓戸‥すごもりむしとをひらく』

           3月5日から9日頃


二十四節気では「啓蟄」になり

冬ごもりしていた虫たちが這い出してくる時期となりました。


虫だけでなく動物や植物などもそろそろかなぁとかひょっこり覗き始める頃‥。


わたしたちも背中を押されるように重たい腰を上げ伸び伸びと深呼吸し空を見上げたくなりますね。



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先日、桜の開花予想が発表されました。わたしの住む鳥取県は29日頃開花し4月3日から9日頃が見頃とか。


こんなニュースが流れると毎年なんだかそわそわしてしまい自分の休日と重なっているか確認してしまうわけですが‥。

皆さんもやはりそうなのでしょうか。


 


桜を歌った和歌も数多くありますが

「古今和歌集」にこんな歌があります。


「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」              

                在原業平 


現代語訳

「もしも世の中に桜がなかったら春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに」



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そうかもしれない‥とわたしも思うのです。

人々は桜を愛するがゆえに桜の開花を待ちわび

また開花したのも束の間、雨風が吹けば桜は大丈夫だろうかと気を揉み‥。

数日で散りゆく桜の儚さに切なくなる‥。


こんな気持ちも桜がこの世にあるから。


桜という存在を知らなければ、春を待つ喜びも終わる悲しみも半分で済んだかもしれないのに。


そんな風に感じてしまうのもわたし自身、桜が大好きだから‥。


これは「反実仮想」が用いられており、詩を書く時わたしも用いたりする文法で 事実と反対のことを想定する文です。 

(もし~としたら~だろう)


そう書くことでより桜への想いが強調され慈しむ気持ちを感じられるのです。




同じように反実仮想を用いた「百人一首」にこんな歌があります


「逢ふことの絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」                             

                中納言朝忠


現代語訳

「もしもあなたと逢うことがなかったなら‥あなたのつれなさも自分のことも恨まずに済んだかもしれないのに」


辛い恋愛や想いが届かない恋をした時‥逢わなければ良かった、こんな気持ちを知らなければ良かった‥とそんな風に思うこともあるでしょう。 


そうすればこんな辛さも苦しさも、眠れぬ夜もなかったかもしれないのに‥と。


しかしその気持ちの裏にはそう思わざる得ないほどの強い気持ちが隠れており

なぜ、出逢ってしまったのだろうと、自分を責めその記憶を消したいと願うほどに

心から離れない切ない恋心を感じることができるのです。



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この記事を書いている今現在‥。

遠くの地で軍事侵攻が行われたくさんの尊い命が失われています。

なぜ争い傷つけそこまでして得らなければいけないものなどあるのでしょう。


多くの情報に目を通し日々映し出される映像にどれほど考えを巡らせてもその答えには辿り着くことはできません。一番奥にあるのは自国を守りたい‥それだけのはずなのに。


夜の市街地に鳴り響くサイレン。恐怖と不安の中どれだけ多くの人が心を痛めているのでしょう。


一日も早い停戦と平和な日常を願ってやみません。



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蟄虫啓戸‥すごもりむしどをひらく

土の中で冬ごもりしていた虫たちが地上へ這い出してくる頃




読んでいただきありがとうございます




         photographer‥あお

               writer‥るん









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