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散歩編〜文京台東荒川あたり

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文京区、台東区、荒川区の境目あたりの寺社仏閣や史跡などなど。 写真は撮影年月日ばらばらですが、なるべく新しいものを掲載しています。
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#向丘

向丘「泥沮山真浄寺」

向丘「泥沮山真浄寺」



向丘、本郷通りから一歩入ったところにある真宗大谷派泥沮山真浄寺。直線的なデザインがモダンな印象的を与える建築。江戸へやってきた北陸(主に加賀)の人々によって作られた。
当時は寺域は一万余坪あったとされるが幕府に召し上げられる。部落は解散したが移転するたびに過去帳には近隣住所が増えている事や、加賀藩邸が近いことから本尊を奉じて寺とともに移住したと思われる。(参考:三宅石材店Web)

開山:教念

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向丘「湯嶹山常光院浄心寺」

向丘「湯嶹山常光院浄心寺」



向丘、本郷通り沿いにある浄土宗湯嶹山常光院浄心寺。道に面した原色の布袋さまが目印。江戸三十三観音霊場10番(「子育て桜観音」こと十一面観世音菩薩像)、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場17番。中央の階段中断から右にはいったところに石仏が集合しているところがあり興味深い。

開山:還蓮社到誉文喬和尚

1612(元和2年)徳川2代将軍秀忠の頃に湯島妻恋坂付近創建
その後、八百屋お七の振り袖火事とし

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向丘「東梅山花陽院清林寺」

向丘「東梅山花陽院清林寺」



向丘、大観音通りにある浄土宗東梅山花陽院清林寺。飛鳥時代様式の三重塔がある。境内には芍薬、牡丹の花が咲く。観世音菩薩は江戸三十三観音霊場8番、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場15番です。境内には花陽稲荷社がある。

開山:鎌倉光明寺住職を後務めることになる観誉龍脱和尚(観誉祐祟上人)1504-1521(永正年間)神田四軒町付近に創建
その後焼失
永く無住が続き
1596-1615(慶長年間)天

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向丘「金池山功徳院蓮光寺」

向丘「金池山功徳院蓮光寺」



大観音通りから動坂方面に曲がったところにある浄土宗金池山功徳院蓮光寺。開山の尊誉上人は、川越蓮馨寺の住職を務めた後本山知恩院へ転住、長教寺を創建した。

開山:教蓮社尊誉上人露宿玄的大和尚(開基当戸田采女正厳高祖左門一西の三男)
開基:戸田采女正(法号正眼院殿法誉道心居士)

1602(慶長6年)湯島に創建
明暦の大火で罹災したため現在地へ移転

墓所大垣藩主戸田家
北方探検家の最上徳内(17

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向丘「法昭山顕本寺」

向丘「法昭山顕本寺」



向丘、大観音通り近く旧駒込蓬莱町にある日蓮宗法昭山顕本寺。

開山:日進(承応3年1654年寂)
会津妙法寺末

創立年不詳
1692(元禄5年)駒込に移転
1718(享保3年)類焼し現在地へ移転

向丘「大智山海蔵寺」

向丘「大智山海蔵寺」



向丘、大観音通りから本郷側に入ったところにある曹洞宗大智山海蔵寺。

開基:鎌田次郎の末裔内海彦右衛門(慶長17年歿)

尾州内海(愛知県)に創建
1540(天文9年)駒込蓬莱町に移転
1532‐1554(天文年間)に現在の和田蔵門内に創建(開山:勝庵宗最禅師)
1655‐1657(明暦年間)に駒込に移転
1648(慶安元年)徳川家光が鷹狩のおりに休憩したということで寺領8石の御朱印状を拝領

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向丘「天昌山光源寺・駒込大観音」

向丘「天昌山光源寺・駒込大観音」



団子坂と向丘二を繋ぐR425(神田白山線)はこの観音さまから「大観音通り」と呼ばれている。浄土宗天昌山光源寺。 毎年7月9日と10日には「四万六千日」のほおずき市が開かれる。地元のイベントや劇団に場所を貸すなど地域に愛される寺院。東京三十三観音霊場27番札所。

開山:遂蓮社本誉道公
開基:仙石権兵衛後任越前守(法名円覚院殿前越前太守空誉道樹大居士)

1589(天正17年)に神田に創建
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向丘「千平山栄松院清安寺」

向丘「千平山栄松院清安寺」



団子坂から向丘に続くR452(神田白山線)にある浄土宗栄松院清安寺。
開山:教蓮社順誉上人

1589(天正17年)神田に創建
1648(慶安元年)当地へ移転

墓所薩摩浄雲
1595(文禄元年)-1672(寛文12年)江戸初期の浄瑠璃太夫

初代松本幸四郎
1674(延宝2年)-1730(享保15年)江戸中期の歌舞伎俳優