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残り続けるものってなんだろう。
昨年の10月。急な雨でコンビニに逃げ込んだときのこと。雨宿りだけというのも気が引けるので、チョコでも買おうとレジに並んでいる途中、一件のメールが届いた。
「サッチーさん。3ヶ月間、住み込みローカル編集者をやりませんか?」
旅の途中、そろそろどこかの会社に勤めようかと考えていた自分。今覚えば、このメールが届いたときから何かが動き始めていたのかもしれない。
南伊豆町に来てから2ヶ月が経つ。
日々暮らしている中、大切な人や、大切な場所が増えていく。
それは、食事に困ったときに走っていくお隣のパン屋さんだったり、週に2回ほどお手伝いをさせてもらっているカフェだったり。
これまで日常的に会っていた地元の友人や家族、パートナーに会えない日々は少し寂しい。けれど、そんな寂しさに埋もれず過ごせているのは、このまちの人たちのおかげだ。
残り続けるものを探していた。
本題に入りそびれたが、このまちを訪れるにあたり、私には3ヶ月間で見つけたいものがあった。
それは、「残り続けるもの」。
*
社会を語れるような知識人ではないが、現代社会は日々新しいものでアップデートされ続けているように感じる。
アイフォンの最新モデルはどんどん出るし、洋服の流行は毎年変わり続けている。
もちろん、目新しいものが悪だとは思わない。
最新モデルのアイフォンは写真機能に優れていると聞くし、おしゃれを楽しむことは、心が明るくなる1つの楽しみかもしれない。
ただ私は、変わり続ける情報社会の中、残り続けるものを見つけたかった。日々過ごす上で、変わらない安心感がほしかったのだと思う。
寄せては返す、波の音。
朝になれば、鳥がさえずる。
自然豊かなこのまちでなら、何かしらヒントが見つかるだろうと思っていた。
風景は、時をかけて移りゆく。
とはいえ、残り続けるものをを見つけることは、想像を超えて難しかった。なぜなら私自身がこのまちの過去について知らないから。
現在手伝っているカフェで、毎年桜を観に来て20年を迎えるご夫婦と話す機会があった。
「この街並みも、20年前とはずいぶん変わってね…桜並木も毎年変わってる気がするわ」
そんなふうに話してくれた。
今歩くと閉まっている、まちのシャッター街。
元々は賑わっていたという話を何度も耳にした。
過去の記憶は変わらない
「諸行無常」。
長い年月で見ると、どんなものも変化が伴う。
散歩中に眺める桜だって日に日に容姿を変え、日の出の時間はここに来た当初から30分も早くなっている。
正直なところ、「残り続けるものってないのでは?」そんなふうにも思う日々。あれも、これも、循環していくことが自然の条理なのかもしれない。
でもある日、過去の日記を見ていたときのこと。
たった1つ、変わらないものを見つけた。
“過去に過ごした時間"
それは時を介してどんなに変えたくても、変えることは難しい。
私は、そのことに少し安堵した。
***
このまちに来てからたくさんの人に出会い、日々を過ごした。
みんなでお餅をついた時間、よく笑ったなあ。
夜な夜な星を見に行って綺麗だった。
ギターを持ってみんなで歌った時間、忘れられないなあって。
これらの時間は決して目に見えて残るものではないけれど、私の心にはきっとこの先も残り続ける。
***
サンテグ=ジュペリの著書『星の王子様』にこんな言葉がある。
こころで見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ。
確かに目に見えるものは、どうしても変わり続けていく。
でも、たとえ二度は見れない姿の桜も、動き続ける空も、誰かと共有した時間は永遠に残り続ける。
それは、このまちで数ヶ月過ごしたから気づけたこと。このまちで出会った人たちのおかげで気づけたこと。
そう考えると1件のメールから始まった、ご縁の連鎖に感謝したい。
欲張りかもしれない。これ以上望むことが正しいのかはわからない。
それでも、残りの数週間、残り続ける“目に見えないもの”を、もう少しつくれたらいいなと思う。