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三銀蔵 多賀坊人と多賀大社

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三銀蔵は江戸時代まで甲賀小佐治の社僧(修験者)も兼ね、代々多賀信仰を全国に広めた「多賀坊人」の一族でした。その活動は多賀大社「多賀講」の基礎になっていきます。  明治の神仏分離政…
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多賀の古代史をさぐる個人的メモ  近江源氏佐々木氏のルーツに驚愕!

多賀の古代史をさぐる個人的メモ  近江源氏佐々木氏のルーツに驚愕!

出雲王国のご子孫が口伝を元に、自ら出版社をつくり 世に出された本で 意図せず、驚きの内容。

なぜ、読むことになったか

御霊代に「幽明主宰大國主大神」・・・出雲との関係は?
私の母方の先祖は、甲賀21家(忍びとも言われている) 佐治氏の氏神の社僧と多賀坊人の一族で、明治維新後は修験者から多賀大社の神職を務めたので、もちろん本家には、多賀大社の御祭神 伊邪那岐大神が祀ってありますが、神道における仏

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1-2 ご先祖様は、こんな人たちだった

1-2 ご先祖様は、こんな人たちだった

このマガジンは、今はなき「多賀坊人(たがぼうにん)」の一族の歴史と文化を調べた未発表の冊子を公開しています。
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ダイジェスト・・・1-2 ご先祖様は、こんな人たちだった

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お墓の裏に彫ってあった文、笏の形の仏教でいう位牌の裏に書いてあった文

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1-1 ルーツを探せ !多賀坊人て甲賀の忍びなの?(2)

1-1 ルーツを探せ !多賀坊人て甲賀の忍びなの?(2)

このマガジンは、今はなき「多賀坊人(たがぼうにん)」の一族の歴史と文化を調べた未発表の冊子を公開しています。
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10 ●いよいよ、三木家のルーツのお墓へ三木真行のお墓

 私の祖父の実家から出てきた なぞの 三木真行の履歴書と なんだか石碑があるらしぞ との噂から、あてもなく突撃訪問した甲賀の小佐治。もっと、前の先祖までわかり、三木本家を守ってきた しげ子と親戚で再び訪れました。

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1-1 ルーツを探せ !多賀坊人て甲賀の忍びなの?(1)

1-1 ルーツを探せ !多賀坊人て甲賀の忍びなの?(1)

このマガジンは、今はなき「多賀坊人(たがぼうにん)」の一族の歴史と文化を調べた未発表の冊子を公開していきます。途中で、明智光秀多賀出身説を詳らかにするキッカケになった資料も出てきて頓挫していましたが、トータル230ページ分と蔵からの出土品をご紹介。

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はじめに 上の写真の扁額(へんがく)の書と肖像画は 2016 年、多賀町文化財課の協力を得て、三木の本家 ( 三木真太郎・しげ子

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00三銀蔵のHP 移転

00三銀蔵のHP 移転

HPを作っていたレンタルサーバーが、サービスを停止してしまいました。
そこで、内容を このnoteのマガジン「三銀蔵 多賀坊人と多賀大社」に改めて書いていきたいと思います。
ご興味のある方は、フォローして頂けると幸いです。

三銀蔵(さんぎんぐら)とは滋賀県の多賀大社前にある私の母方の祖父の実家にある蔵です。と言っても、祖父の姉の家で、その息子のお嫁さんが当時は住んでおり、三木家の本家として守って

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多賀 飯盛木 昔と今 古絵葉書

多賀 飯盛木 昔と今 古絵葉書

飯盛木今年も SNSで、飯盛木と彼岸花の写真をたくさん見かけました。
男飯盛木(東) 女飯盛木(西・キリンビール側)と 2本あります。

飯盛木の読み方

「飯盛木」は、看板には「いいもりぎ」とありますが、
地元では「いもろぎ」とも 呼ばれています。
その他「いもろぎ」戦後の絵葉書には「イヒモリギ」とあります。

飯盛木は、多賀詣りのランドマーク

飯盛木は、昔の多賀詣りの参道沿いにあり、目印であ

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お多賀杓子の由来と多賀坊人

お多賀杓子の由来と多賀坊人

NHKの番組で、『なぜ、お玉は「お玉」いう?』と、お多賀杓子と多賀坊人の活躍を取り上げて下さいました。

答えは、「お多賀がブームになったから」と、多賀坊人の活躍が火付け役だったと。又、すごく大切な事を伝えて下さいました。さすが、NHK。

多賀坊人の蔵「三銀蔵(さんぎんぐら)」(母方本家)から出てきたもの物から、資料を作っていましたので、合わせてご紹介したいと思います。長くなりますので、目次だけ

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