三銀蔵は江戸時代まで甲賀小佐治の社僧(修験者)も兼ね、代々多賀信仰を全国に広めた「多賀坊人」の一族でした。その活動は多賀大社「多賀講」の基礎になっていきます。
明治の神仏分離政…
- 運営しているクリエイター
記事一覧
00三銀蔵のHP 移転
HPを作っていたレンタルサーバーが、サービスを停止してしまいました。
そこで、内容を このnoteのマガジン「三銀蔵 多賀坊人と多賀大社」に改めて書いていきたいと思います。
ご興味のある方は、フォローして頂けると幸いです。
三銀蔵(さんぎんぐら)とは滋賀県の多賀大社前にある私の母方の祖父の実家にある蔵です。と言っても、祖父の姉の家で、その息子のお嫁さんが当時は住んでおり、三木家の本家として守って
お多賀杓子の由来と多賀坊人
NHKの番組で、『なぜ、お玉は「お玉」いう?』と、お多賀杓子と多賀坊人の活躍を取り上げて下さいました。
答えは、「お多賀がブームになったから」と、多賀坊人の活躍が火付け役だったと。又、すごく大切な事を伝えて下さいました。さすが、NHK。
多賀坊人の蔵「三銀蔵(さんぎんぐら)」(母方本家)から出てきたもの物から、資料を作っていましたので、合わせてご紹介したいと思います。長くなりますので、目次だけ