多賀 飯盛木 昔と今 古絵葉書
飯盛木
今年も SNSで、飯盛木と彼岸花の写真をたくさん見かけました。
男飯盛木(東) 女飯盛木(西・キリンビール側)と 2本あります。
飯盛木の読み方
「飯盛木」は、看板には「いいもりぎ」とありますが、
地元では「いもろぎ」とも 呼ばれています。
その他「いもろぎ」戦後の絵葉書には「イヒモリギ」とあります。
飯盛木は、多賀詣りのランドマーク
飯盛木は、昔の多賀詣りの参道沿いにあり、目印であると共に、お多賀杓子の由来やご利益を伝える「広告塔」でもありました。近江鉄道や昭和に国道306・307号線ができるまでは、中山道 高宮の『一の鳥居』から、多賀大社を目指し「やっと、お多賀さんについた」と、ホッとされた事でしょう。
詳しい 由来は、こちらを
400年以上前の 飯盛木
多賀参詣曼荼羅
安土桃山時代には、多賀信仰を広める為に 多賀坊人が持ち歩いていた「多賀参詣曼荼羅」に描かれ、既に大きな木に育っていますので、400年以上あると言えます。絵は、1本ですけど 何本かあったそうです。
古い絵葉書の 飯盛木
絵葉書が一般的につくられるようになったのは、明治後半。何年のものかは確定できませんが、100年前後から、戦後すぐのものだと思います。以前は、カメラを誰でも持てるわけではなかったので、旅の思い出に「絵葉書」がたくさん作られたようです。
その間に、ずいぶん 元気がなくなって形が変わっています。
昔の絵葉書を見ていると、新しい「飯盛木」を育てなくていいのかしらと思ってしまいますね。
男飯盛木と女飯盛木 どちらなのか 撮影された年代も不明です。
お判りになる方がおられたら お教え下さい。
横書きの文字が 左の絵葉書は、古くても昭和27年以前です。
場所は、こちら