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誰にでも訪れる平等〜「やがて海へと届く」を読んで〜
不意に窓の外をぼうっと眺めた。青い空に引き寄せられるように立ち上がり、近づく。下校する小学生たちの声。爽やかな香りのする風を思いっきり吸い込む。先日までのようなじめじめとした空気はもうどこにも見当たらず、からっとした、陽射しが痛い季節がやって来ていた。夏だった。大きな黒い雲に目が行き、夕立がくる、と思った。蝉が鳴いていた。
今日の朝は、誰かがいなくなった次の日の朝で、そんなことは何一つ感じないまま、私の世界は何も変わらないまま、私だけの朝が来る。誰かが絶望して乗り越えられなかった夜を越えて。誰かが生きたかった今日を、私は何も変わらずに生きている。世界は何も変わらずに動いている。
他人(ひと)にはその他人だけの地獄があって、人の数だけ、地獄があって、それで死んでしまう人もいて、私にはその理由なんてどうでもよくて、私は私の地獄だけで精一杯だった。それでも、自殺という言葉を見ると、聞くと、どうしても嫌だと思ってしまう。何もできないのに、そこにいたって何もしないのに、勝手に想像してしまう。助けられなかった。助けられるとでも思っていたのか。希望はまだあるなんて、私に言えるわけがないのに。それがとても気持ち悪くて、仕方がなかった。
死んだ人はどこへいくのだろう。そもそも死んだらどうなるのだろう。魂だけになって、生きている人の目には見えないままそこに存在するのだろうか。死んだことがないからわからない。死んだら、わかるのだろうか。生きて死ぬ。これだけが、命あるものに平等に与えられた真実だ。その短さや長さや濃さや薄さは何であれ、死だけが命あるものにたった一つだけ与えられた平等で、不平等だ。死ぬのは怖い。嫌なことだ。けれど必ずいつか訪れる。そのことばかりを考えて生きるのには、私たちの寿命は短すぎる。だから、生きることを考えるのだ。
ああ、書いても書いても纏まらない。ずっと考えているけれどわからない。読んでも読んでもわからない。答えなんてない。多分どこにもない。けれど、私の中でそれを見つけて、持っていたい。
読んでいて苦しい本だった。私はいつの間にかこの本に救いを求めていた。読めば救われる気がした。何を期待しているのか、馬鹿馬鹿しい。そんなことは全然なかったけれど、いずれ私の宝物になる本だと思った。
まだお腹の中にさえいなかったあの冬の日のことも、当時小学生で随分と離れた場所にいたあの春の日のことも、小さな田舎で起こったあの夏の日のことも、大きく広い世界で行われた、今も行われている行為のことも、私にはよくわからないし生活していく上であまり関係のない話だ。けれどふとした瞬間に思い出すのだろう。忘れない。忘れちゃいけない。何を?本当に忘れちゃいけないの?
そうだ、忘れちゃいけないことは、もっと他にあったはずなんだ。
蝉が鳴いている。梅雨は明けた。夕立はまだ来ない。8月が、やって来る。