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12/9 最近会わない二男。ストレス。コーヒータイム。まあいいか。
最近二男に会っていない。
と、いうことは彼はふたたび昼夜逆転していて、私と会わないように暮らしているということで、それはまた、停滞をあらわす生活の態度であるよな、と冷静に分析しながら、コーヒーを飲む。
コーヒーはブラック。
ちょっと砂糖に注意しないとな、と急に気をつけ出す。
この前の血液検査で、食事に少し気をつけてください、という数字がでたので、その瞬間あたりはとても気をつける。
食がストレスに左右される。
ほぼ毎日が家庭でのストレスにさらされている場合、どうしたらいいのだろう、と内科の先生に言ってもお薬を増やされるだけのような気がするので、気をつけます、と大人しく帰る。
家にいるのがつらい。
帰ったら何か壊されているんじゃないか、とか、キッチンに何かぶちまかれているのではないか、というのを心の片隅に置きながら帰る重い足取りは、いつ軽くなるのだろう。
子育ても後半にきてこんな日々が待っているとは。。。
などと今はあまり深く考えないようにしなくては。
ふたたびうつが深まるし、時は止まるし、それにまた食べすぎる。
そしてデジャヴのように、食事を少し注意しましょうと、なで肩の医師にまた言われて、わかりましたすみません、と自己節制のできなさに反省するのをループするだけなのだから。
全ては未来への考え方次第なのだな、と最近は思う。
まだ起こっていないことに対して、未来をどう取らえるか、そこに思考のセンスが問われている。
私はネガティブなので、デフォルトではどこまでも気持ちを底に沈めてしまう。
それを意識により全く違う思考をして、思考により変わる行動自体をコントロールすることで、未来を変えていきたい。そうつくづく思う。
これにはコツコツとした練習が必要で、薄皮を重ねる練習でしか思考は変えられないことに、やっと気付いてきているところ。
そのためにカウンセリングにはとても助けてもらっている。
カウンセリングは思考のくせに気付いたり、苦しさの種を見つけたり、なりたい姿を確認したりするのにとても有効だと思った。
私は今のカウンセラーさんに会って、かなり考え方を見つめ直せている。
過去から見つめ直すことがつらいけど、私には前へ進むために必要な作業だった。
一人じゃないから、できた。
過去は変えられないけれど、過去のとらえかたはこの今にできる。
過去のとらえ方が変われば、フッと軽くなる瞬間が増える。
少しずつ少しずつ、からまった生きにくい考え方の固結びを、私は今、ほどいていっているのだと思う。
奇しくもこの、息子たちの不登校、ひきこもりの悩みを通じて、そういう機会を頂いている。
このくらいのパンチのきいた問題がないと、過去に対しても未来に対しても、私は向き合わないまま生きてしまっていたのだろうな、と、この今に意味を付けるとしたら、そのようなことだろうな、と思う。
こういうスパイスが現実になくても、色んな大切なことに気付ける大人でありたかったけれども。
でもまあ全部、不器用で自分らしくていいかそれも、と、仕方ない気持ちでコーヒーを飲む。
ブラックコーヒーを飲んでいるということは、それだけでもう大人なのだということにして。
苦い。