思春期の息子二人が不登校になってからの葛藤や考えたこと、考えちゃうこと諸々を。 「不登…

思春期の息子二人が不登校になってからの葛藤や考えたこと、考えちゃうこと諸々を。 「不登校ママのひとりごと日記。」 https://ameblo.jp/tea22222/

最近の記事

  • 固定された記事

不登校息子たちの反抗期と、遅れてきたママの反抗期。

  「不登校と反抗期」  反抗期という自分に向き合う大切な期間が、自分の人生でスポっと抜けている。このことが、私にとって息子たちの反抗期にどう対処したらいいのかわからない原因になっている。  40代の私には思春期の息子が二人いて、  二人とも色々あり、不登校。  彼らはおとなしく素直な幼少期を過ぎ、思春期に入って間もなく、同時期に荒れ、学校に行かなくなり、ふさぎこんでひきこもった。不登校になりあっという間に三年が経とうとしている。  私はこの日々の途中から鬱病になった

    • 今日の日記11/5。欠損感というお宝を隠し持ちひきこもる。

      カウンセリングを受けながら私は、カウンセラーさんはこんな風に毎日色んな人の悩みを聴いて疲れませんか?と素朴な質問をしていた。 何だか、相談している自分と、相談を受けているカウンセラーさんを、窓の外から眺めるみたいな構図で急に俯瞰して。 彼は、「そうですね、疲れませんね。カウンセリングが好きなので」と淡々と答えた。 私は感心こめて「へえー」と言った。 そういう仕事なんだ。すごいな、と。 カウンセラーさんのもとに悩みを持った方が来る。 色んな人がいて、色んな悩みがあって、み

      • 今日の日記11/2。カウンセリングの日。気持ちに名前がついている。

        カウンセリングに行ってきた。癒された。 今日もたくさんの新たな視点をもらった。 新たな視点を得たら、それを日常に落とし込んでみたくなる。やりたくないことだったりしても、理屈を理解してのことは、とりあえずやってみる。コツコツ言う通りにやってみたら、何となく気持ちや現実が前に動き出す。心とは不思議なものだなと思う。 最近私は、過去のことが癒されてきている。ほったらかしにした自分を、迎えにいっている。 カウンセリングでは、私の心模様に心理学的に名前がついていたことを知るのが

        • 今日の日記。2024.10/29波瀾の小休止。

          二男がリビングのソファに沈みながら、少しずつ前に動き出した気持ちを話してくれた時。 今までのあれは攻撃ではなく、葛藤だったんだよね、と改めて彼の中の混沌をのぞいた気がした。 私はこれまで、暴れる息子の豹変が怖くて仕方なかった。理解に努めれば努めるほど理解に苦しんだ。そんな難解で不安定な心模様を、彼自身も自分に惑いながら日々に宿していたことを改めて知る。 支えきれなかった。 不登校になり、私の母親としてのふがいなさをつくづく残念にかみしめながらもしかし、私はこの日々にたく

        • 固定された記事

        不登校息子たちの反抗期と、遅れてきたママの反抗期。

        • 今日の日記11/5。欠損感というお宝を隠し持ちひきこもる。

        • 今日の日記11/2。カウンセリングの日。気持ちに名前がついている。

        • 今日の日記。2024.10/29波瀾の小休止。

          今日の日記10/28。息子の部屋はめちゃくちゃ。

          二男が前を向く気持ちを話してくれた週末。その会話に至るまで色々ありすぎて、とりあえず今はなぜか、息子の部屋の色んなものが壊れている。 動き出しがつらいのはよくわかる。エネルギーがいるのもわかる。親としては、その葛藤をできるだけ受け止めたい。でもでも、二男はいつでも限界ギリギリのことをやってくれるので、私の心には重すぎるかなりのGがかかり、私の頭の中も色んなものが壊れている。 ここ最近カウンセリングを受けて、私自身かなり話を聞いてもらっていたので、息子に向き合うときの指針は

          今日の日記10/28。息子の部屋はめちゃくちゃ。

          今日の日記10/25。マツケンサンバでクライシスを回避。

          昨夜は、夫への子育てについての不満がたまりすぎて、ちょっとした口論になった。 普段喧嘩にならないほどの穏やかさ、呑気さを持つ夫とのちょっとした口論は、私たち夫婦にとってはかなりのクライシスとなる。 あーもうだめかな、となる。 息子のことで精神的に追い詰められている私に、子育てにおいて不在感の強いの夫の言動が、なーんか一つ一つ気になり、私もちんぴら的につっかかってしまい、そうなるとまあ、いいことなど起こらない。 ただでさえ気まずい家庭内の気まずさが、さらに増し増しになる

          今日の日記10/25。マツケンサンバでクライシスを回避。

          今日の日記。R6.10/24

          朝が来ていつものように、ああ息子たち、今日もひきこもってるんだったな、、という現実を目覚めとともに認識して、いったん軽く絶望してから起き上がる。4年くらいこのモーニングルーティン。 夫は会社。 私は洗濯などの家事をしながら、今日は役所に行く用があることを手帳で確認する。 役所かー、と落ち込む。 ああいったちゃんとしたところが苦手で、ちゃんとしていなくてごめんなさい、という気持ちになってしまう。 大人になって20年以上経っているのに、大人という設定がなかなかしっくりこ

          今日の日記。R6.10/24

          どん底肯定感。

          夫が、早く普通の暮らしがしたいな、と言った。 子育て難航からの脱却を祈る気持ちなのだろうけれど、私がとっさに言ったのは、 普通の暮らしって? 私はこれはこれで幸せだけども という意外な感想だった。 私は不登校子育てにもがきながらも、このもがきをどこかで肯定している。 このもがきこそ生きている証、みたいな熱いものを胸に持っているのかもしれない。 つらいつらいと言いながら、幸せの中にいることは明らかだと思っていて、このつらさに何かを見つけようと日々を凝視している。 息

          どん底肯定感。

          家にいるのに帰りたい。

          ああ、帰りたい。 と疲れるといつも思ってしまう。 家にいるのに。 帰っているのに、帰りたい。 実家に、とかじゃない。 どこに、という目的地もなく ただただ帰りたい。 この寄る辺ない気持ちを親友に話したら、彼女も同じだよと笑う。 いつもここではないどこかに帰りたいよね、と。 子育てに悩む母だからこんな気持ちになるのかもしれないね、と話した。 現実逃避の、メタファーとしての帰宅願望。 「帰っても帰っても帰り足りないよね」 と笑いあって、彼女に元気をもらった。 色々あ

          家にいるのに帰りたい。

          井戸端会議をくぐり抜けてカウンセリングに向かう。

          路地裏の野良の主婦であるわたくしは、 本日も同時多発的に発生していたご近所の井戸端会議を、存在消しの忍法で華麗にスルーして、 特売のチラシの入ったスーパーにいそいそと向かった。 お肉のお安いやつをゲットするチャンス到来により、 今日は特に井戸端会議のエンドレスなストリームに飲まれることは万が一でもできないし、 時にタービュランスなその場にこの身を置くコミュニケーション能力もないので、 忍法というか奥義というか、 とりあえず町内で存在を消す。 そうこう何とか工夫

          井戸端会議をくぐり抜けてカウンセリングに向かう。

          長男とコメダに行く流れに相成ってランチ。

          長男とコメダ。 これは私にとって奇跡であり、非日常。 久しぶりにランチした。 長男は最近のことを闇深く話してくれた。   聴いていて心がどんどんしんどくなりながら、落ち込みを持って行かれないように、適度な共感を目指した。 共に倒れてしまうような心の母だから、意識して他者である息子の不安と切り離す。 私は親にこんな風に自分のつらい心境を言えなかったから、何でもいい、楽しくない話でもいいからこうして話してくれることに感謝した。 そしてこの、息子の今の不安定さをないものに

          長男とコメダに行く流れに相成ってランチ。

          よく知らない街のコメダに行きたい。

          よく知らない街に行きたい。 そしてコメダに入りたい。 知人にばったり会わない 知人がスタッフとして現れない そんな未知のコメダで オリジナルブレンドを飲みたい。 たっぷりサイズで。 というようなことを考えてしまうということは、ちょっと疲れがたまっているのかも、と思う。 自分の疲れに気付けないところがある。 疲れているのに、なお頑張って乗り越えようとしてしまうふしがある。 うつになった時、ドクターにとにかく休むように言われて、どうやって休むかを聞いたほどだった。

          よく知らない街のコメダに行きたい。

          ひとりになりたい。

          一人で過ごす時間がないと、ぬおー!となる。 ぬおー、というのは逃げ出したい、の心の叫び。 ムンクの形で。 基本私は、ひとりになりたい。 1日中息子が家にいる暮らしが、思いのほかつらい。 昔の、行ってきますとただいまをやっていた息子が懐かしい。 家族の帰りを待つということが、とても幸せなことだったと思い知った。 ただただ、おかえりを言わせてほしい。 あとは何もいらない。 家族をすることがこんなにも難しいとは。 家でひとりになれない私は、街でひとりになる。 少し離

          ひとりになりたい。

          やり直し。

          カウンセリングに再度通いだしてから、自分の押し込めていた感情を見つけやすくなった。 それは、 あぁそんなにかたくなにならなくてもよかったんだ、というシンプルな解放。 つい、生育歴で身につけた、その環境を乗り越えるクセを大人になってもやってしまう。 とても不器用なやり方なのに。 続けてもいいことと、 もういらないことと、 これから必要なことと、 そういったものを感覚的に仕分けていくのが今のフェーズなんだろうな、と思う。 拒絶反応の少ないやり方でその仕訳の伴走を、今の

          やり直し。

          生きやすさのための生きにくさ。

          息子たちが不登校になって、色々な壁にぶち当たり、己のことをかえりみて凹んだり、どこにぶつけていいかわからない感情を親にぶつけてみたりしているうちに、 ああ、息子たちがやっていることと、私のやってることは同じだな、となり どこにぶつけていいかわからない感情を受け止めるだけでいいのかもしれないな、とも思えた。 もう、わからないものはわからない。 自分自身でもどうしようもない気持ちを抱えて、それがこの思春期に爆発していることは、 これから生きやすさにつながるかもしれないな

          生きやすさのための生きにくさ。

          カウンセリングでお焚き上げ。

          今日もてくてくカウンセリングに行った。 今日のカウンセリングは、自分で自分のことを笑ってしまうような場面があって、何だかんだ最後はやっぱり笑って終わる、という一連の流れに、気持ちはめちゃくちゃさっぱりして、結局笑いが一番心にいいのだな、という実感を得ながら帰った。 帰り道、気分がよくなって、今も悪くないな、と思えていた。 そして笑えるところまで来れた、とひとつの区切りを覚えた。 バカだなー、と自分の性質を俯瞰して心底笑えた。 バカだなー、と自分のことをバカにせず笑えた

          カウンセリングでお焚き上げ。