思春期の息子二人が不登校になってからの葛藤や考えたこと、考えちゃうこと諸々を。 「不登…

思春期の息子二人が不登校になってからの葛藤や考えたこと、考えちゃうこと諸々を。 「不登校ママのひとりごと日記。」 https://ameblo.jp/tea22222/

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不登校息子たちの反抗期と、遅れてきたママの反抗期。

  「不登校と反抗期」  反抗期という自分に向き合う大切な期間が、自分の人生でスポっと抜けている。このことが、私にとって息子たちの反抗期にどう対処したらいいのかわからない原因になっている。  40代の私には思春期の息子が二人いて、  二人とも色々あり、不登校。  彼らはおとなしく素直な幼少期を過ぎ、思春期に入って間もなく、同時期に荒れ、学校に行かなくなり、ふさぎこんでひきこもった。不登校になりあっという間に三年が経とうとしている。  私はこの日々の途中から鬱病になった

    • 私はいつ親を許すのだろう。

      今日も今日とてカウンセリング。 最近は悩みの根っこが出てきて、うーん…これはちょっと見ないことにして埋め戻したいな〜、という葛藤の芋掘りをしているよう。 向き合うのにエネルギーがいる。 子育てに行き詰まっているのに、人生全体の行き詰まりを感じてしまう。 私はなんのために子育てに悩んでいたのだろう、という根本的な自問の前に、すぐに答えが出てこない。 なんのために。なんのためってそれは。 え?なんだっけ?となる。 カウンセラーさんは、我が家家族全体がよく循環するため

      • 傾聴カウンセリングのあたたかさ。

        カウンセリングの予約をする。 こちらの体調などのタイミングで、時に傷つくこともあったけれど、私には今お世話になっているカウンセラーさんの、傾聴重視のスタイルが自分の気持ちや息子の気持ちを俯瞰しやすい。 私の言葉から思い込みを取り出して、かた結びに絡まった気持ちを、専門的な知識を交えて仔細に説明してくれるようなカウンセリングは、親身な寄り添いの態度に感謝しながら素直な気持ちで話を聞ける。 そこに間違いの指摘や、過去の言動への反省を促す言葉はなく、私の心にスッと自然な問題提起

        • カウンセラーさんと見つける自分の思いこみと、その取り扱い方。

          てくてくカウンセリングに行った。 今回のカウンセリングでは、自分の思いぐせを改めて俯瞰した。 思いこみは無自覚に言動にあらわれる。 自分の言動がコツコツと自分の人生を作っているのだとすれば、言動の源となる自分の思いを観察することは、とても意味のあることだと思った。 カウンセラーさんは私の何気ない言葉をひもときながら、私の思いこみを見つける作業に寄り添ってくれた。 カウンセラーさんの質問に答えながら、自分と向き合うという、ちょっと苦しい作業。 自分が何を基軸に物事を

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        不登校息子たちの反抗期と、遅れてきたママの反抗期。

          切り離せ切り離せ。自分の過去と、息子の今と。

          切り離して考えなければならないと思うことのひとつに、息子の今を見ているとうずく過去の自分の我慢、というのがある。 親に言いたいことを言い、親の前で精一杯病み、ひきこもり親を悩ませる、という一連の彼らの思春期は、その全てを封印した過去の自分がやりたかったことの再生を見せられているようで、嫉妬のような、羨望のような、何とも言えない苦虫を私に噛み潰させる。 特に二男が私に向ける態度は、かつての私が親にやりたったありのままだった。 無視やら乱暴やらだんまりやら、親にとってどうに

          切り離せ切り離せ。自分の過去と、息子の今と。

          曇り空とうつうつ。

          曇り空のはからいか鬱がすごくアレなので、今日はとても調子がよくなく、そんな時は何をしても「もうだめだー」となる。 休めばいいのに、今日の何かを挽回したくて、何だか無意味にあがいてしまう。疲弊した頭と体で、こなせそうなタスクを無意識に探してしまったりする。 大人なので、ペース配分をうまくやりたい。どうしてもかつてDNAに刻まれた、水飲まないでうさぎ跳びする昭和の根性マインドが、こんなときにも邪魔をする。もう少しやれる!と。 いやいやむりむり、と今ココの自分が正気を保ち、な

          曇り空とうつうつ。

          しがらみのない癒やし。カウンセラーさん。

          私は定期的にカウンセリングを受けている。 カウンセリングを受けるたびに、自分の気持ちを言語化して聴いてもらえることや、傾聴してもらえることをとてもありがたく思う。 そして特に、カウンセラーさんと自分に「何のしがらみもないこと」という要素に強く強く癒される。 日常にはしがらみがつきまとう。 私はこのしがらみがどうも苦手で、なぜこんなに苦手なのだろうと深掘れば、自分の生育歴に突き当り、考えるとどうにもこうにもとても苦しくなるので、そんな時はその深掘りを至急やめる。 苦し

          しがらみのない癒やし。カウンセラーさん。

          繊細すぎる男子二人との暮らしにクタクタになりながら、繊細すぎることについて考える。

          息子さんたちは繊細すぎるんだろうね、と幾度となく言われてきた。 不登校、ひきこもりになっているから、その事態に隠れてしまうけれども これほどまでになる繊細なところは、 私はむしろ彼らの長所だと思う。 思春期の今は、この性質が不利に働くこともあるだろうけれども、 私はこの精神的に繊細なところは、彼らのなくしてほしくない性質のひとつだと思っている。 これをなくさずに、 時間の経過や経験の中で ゆっくりゆっくり 強さやたくましさを付け加えていけばいいと そんな風に思う。

          繊細すぎる男子二人との暮らしにクタクタになりながら、繊細すぎることについて考える。

          カウンセリングの帰り道。

          カウンセリングへ行き、新たな視点を得ててくてくと家路についた。 カウンセラーさんと過去のことについて話した。過去はすべてその時の自分がした最善のことで、間違うことさえもベストなタイミングでやってきてる。そのことを改めて思った。悔やみすぎることはないと。それよりもこれからのことを、過去から今、今から未来に視点をうつした。 そして未来から今を見たら、私は未来の自分に励まされているような気がする。 そこで耐えてくれてありがとう、というような瞬間が未来におとずれている気がする。

          カウンセリングの帰り道。

          ひきこもる息子への気持ち。

          ひきこもる二男に対していいたいことがたまっている。 理不尽な苛立ちの表現の標的になってしまう私は、ここのところ二男と距離をとって何とかバランスを保つ毎日。 我慢する私にも二男に対して言いたいことが山のように出てきて、それをせき止めることで精一杯になり、あやうく本人に伝えてしまいそうになる。 荒々しい生活音や無下に捨てられた夕食や、その他もろもろのストレスをトリガーに、もし私が不安定な感情のままこの気持ちを二男にぶつけたのならば、事態は悪化しかしない。暗闇の中でそれだけは

          ひきこもる息子への気持ち。

          よくわからない、の向こう側。

          私はここのところカウンセリングを受けながら、改めて自分の中の 「息子のことがよくわからない」 ということを妙に冷静に俯瞰している。   そしてこのことは、振り出しに戻る、とは違った思いでいる。  改めて違う視点から歩きだしてみる、 という感覚。 とにかく 私はよくわからない。 息子の今も、過去も、未来のことも よくわからない。 このことへの深い自覚と ナチュラルな降参。 何も持たない素直なままで、もう一度生き直してみようという気持ちのリセットを感じている。 カウンセ

          よくわからない、の向こう側。

          カウンセラーさん、再び。

          再びカウンセリングへ。 おもに今までのことを聞いてもらう。 カウンセリングを通して、 また新たな視点を得て家に帰った。 カウンセリングを受けると、 同じ家に帰ることにしても、 それ以前と以後では気持ちが 軽くなっているから不思議。 日々の小さなたくさんの壁も 何とかのりこえられそうな元気が出た。 それほどまでに、傾聴してもらうということは、心が良い方にむくのだなと実感して、そして、孤独にならない、ということがどれほど大事かわかった。 信頼できる人に話を聞いてもらう、

          カウンセラーさん、再び。

          息子たちに、あだ名で呼ばれていたけれど。

          距離が近いとつらいことがある。 私の場合、親子関係は特に距離が必要だと学んだ。不登校になった息子たちとはそれまで、てっきり友達のように仲の良い家族だと思い込んでいた。私など、息子たちから付けられたあだ名で呼ばれていたほど。 それが、あれよあれよという間に離れていって、離れながら荒れて、荒れながら病んで、いつの間にか同じ家に居ながら絶縁なみの距離になってしまった。 あだ名は、ナメられてただけかぁ、と凹んだ。 近すぎたのかもしれないなあ、、、と今さら。 近すぎる距離感は苦

          息子たちに、あだ名で呼ばれていたけれど。

          歯車が噛み合わない。

          自分の努力や我慢ではどうすることも出来ないことがあるな、と思う。 相変わらず噛み合わないことが、家庭内でぼっこぼっこと頻発する。 運や縁、タイミングや相性、いっそ森羅万象全ての歯車が狂った形が今の私の家庭なんだろうな、などと大げさに思いながら、コーヒーを飲んで気を静める。 長男と予定のすり合わせをしたかったけれど、リビングに現れた長男は、こちらの想定を上回るダウナーなバイブスを振りまいていたので、いや〜な予感がしつつ会話を始めた。 長男は案の定、私へのナメが半端ない態

          歯車が噛み合わない。

          泣いたママ友。

          息子が不登校になりだした頃、 学校行事から静かに撤退していく私は、自分の家庭の荒れた毎日に手一杯で、行事の欠席の連絡をしながら、周りに迷惑をかけていることに申し訳なさと、普通に学校に行けている皆が羨ましくて悲しくなっていた。 そんなある日一人のママ友が、特に用事はないけれど、と電話をくれた。 息子が学校に来れなくなっていることに、他人事ではなく心配している、と言ってくれた。 私は、複雑な気持ちで、ありがとうとごめんねを伝えた。息子が学校に行くことは難しいかもしれない、と言う

          泣いたママ友。

          カウンセラーさんが見せてくれた希望。

          久しぶりにカウンセリングを受けた。 予約の電話では年上だと思いこんで、実際お会いしたら私よりもずっと若いカウンセラーさんだった。 とても素晴らしいカウンセリングだった。 彼が提案するアドバイスには経験と知識に裏打ちされた確信を感じて、帰る頃に私は、いつしかすっかり忘れていた、希望のような可能性のようなものを、少しずつ思い出していた。 たくさんの新しい視点をもらって、頭の中に新しい風が吹いた感じがして、クリアな気持ちになった。 良い方向への道と信じることを疑わないカウ

          カウンセラーさんが見せてくれた希望。