12/20 夫の言い訳と楽観に危惧しちゃうわたくしの取り越し苦労。
毎日子育て反省文を空中に提出して、落ち着かない自らを整理したいわたくし。
そんな自分がこれから出来ることはかなりしぼられてるな、と思った出来事が昨日あった。
それは、夫がスラスラ言い訳をしていた場面を見て、だった。
夫がこれまでの子育ての間違いをかなり楽観視していることに、私はいつもちょっとした危惧を感じていた。
夫の楽観と、二男の父親への不満の齟齬が、私には日に日に大きく見えてならない。
先日私に熱弁した二男の親への不満は、夫には正しく伝わっていなくて、このままの楽観的な解釈だと、また親子の溝は深まるばかりだと思った。
私は夫に改めて、反省すべきことに対して簡単に言い訳をしないでほしい、と伝えた。二男の親へ対する本気度を言葉を尽くして説明した。
夫はそのことに対してもまた、息を吸うように言い訳をしていた。
だから、、、
私は自分と親との関係に置き換えて、夫の言い訳と楽観が子供にどんな失望を与えるかを説明した。
夫は言い訳のあとすぐに、イヤなことは忘れて前向きに行くしかない、と全てを忘却の方向に向かわせる。
この前向きの強要も、それさえも息子の選ぶべき態度であって、親のコントロール下には置けないし、失望した相手からの前向きの強要ほど、お門違いなエールはない。
これも全て私が親にされたいやなことを息子に再生しているようだった。
えっと、
これは一体何のレッスンなんだろうな、、、
こんなことを考えていると、つくづく親の私にできることはほぼないなと思う。
今にできることは、間違いを反省することと、言い訳しないことで、それが私にとってシンプルで一番難しい。
よかれと思って、とか、わかってほしい、とか、そんな言い訳に繋がる言葉がザクザク出てくる自分に嫌気が差しながら、それらをしまう。
これでいいのかな、
これで大丈夫なのかな、
毎日思いながら。
とにかく距離。距離は大事。
ここ数日ちょっとうれしいことは、二男がドアの閉め方を優しくしていることで。
私がドアの音に動悸がしてしまうことを正直に言ったら、大きな音をさせず開閉するようになってる。
もしかしたら気を付けてくれてるのかもしれない。
だとしたら、ものすごくうれしい。
だとしたら、だとしたら、、
そのありがとうさえも、どう伝えたらいいのかなって、今日も自分で自分の家庭を難しくしているわたくし。
勝手にがんじがらめなことになって、どこに向かっているのか謎めく。
今夜は忘年会。
いったん全て忘れたい。