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今日の日記11/11。今でよかった、ような気がする。

二男がこれからの話をし始めている。
この部屋から出て、動き出したい気持ちを。

私は二男の思い描くこれからの話を聴きながら、もっと早く、彼のことを正しく理解できればよかったな、、という後悔と反省を感じていた。

彼の幼少期からの導きに、彼自身の個性を理解した接し方ができなかった。彼の性質を、世間の常識や親の都合とか、外野の軸に合うように正さなければ、と躍起になってしまった。
そうしないと、息子たちが世に出て大変なことになるんじゃないかと。

でも、そんなことはしなくてもよかった。
彼が彼であることが何より大事だった、と、もっと大変なことになった今になり、気付く。

私が親に合わせて生きてしまったツケがおばさんの今になり来ているように、彼もあのまま私たち親の空気を読んで生きていたら、いつか自身の中で帳尻の合わない何かに見舞われてしまう。
その時に私がいたならば老体にむち打って向き合えるけれど、私がいなくなってから親子関係からの不具合が来たならば、彼らの違和感はもっとつらい葛藤になってしまうかもしれない。

本当に親への気持ちを出すのが今でよかったと思うのは、私自身の親への葛藤に照らし合わせてしまうからだと思うけれど。





「間に合ったような気がする」

何にかわからないけれど。
何かに間に合ったような気がしたことが、暗闇から差し込むひとすじの光のような、希望に似た気持ちだったりする。







あと、

「今でよかったんだよ」

何度も言われたこの言葉を、今やっと受け入れられるようになった。



かもしれない。




どうだろう。




わからない。








とにかく心が動き出した二男のペースに合わせて細心の注意を払って行こうと、めちゃくちゃ肩に力が入っているのか、四十肩も大変なことになっている。




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