私はいつ親を許すのだろう。
今日も今日とてカウンセリング。
最近は悩みの根っこが出てきて、うーん…これはちょっと見ないことにして埋め戻したいな〜、という葛藤の芋掘りをしているよう。
向き合うのにエネルギーがいる。
子育てに行き詰まっているのに、人生全体の行き詰まりを感じてしまう。
私はなんのために子育てに悩んでいたのだろう、という根本的な自問の前に、すぐに答えが出てこない。
なんのために。なんのためってそれは。
え?なんだっけ?となる。
カウンセラーさんは、我が家家族全体がよく循環するためには、という意識を持ってカウンセリングしてくれることが毎回よくわかる。
そのまっすぐな気持ちを前に私は、悲しみややるせなさや自己嫌悪や落ち込みや、そういう自分に起こる感情ばかり見ていたことに、なんだか自分の器の小ささを感じてしまう。
年中自分ばかりに、気を取られている。
そのことが改めてわかって、
なんかごめん、、、
とまた落ち込みながら帰った。
だけどこの落ち込みは、気付きの落ち込みなので、いいほうのやつなんだと思うことにしながら帰る。
わかったんだから大丈夫、もう進もう、っていう。
落ち込みながらも進めばいいかなと。
相変わらずうまく生きられないなーって軽やかにあきらめながら家路についた。
これが自分だから仕方ないかー
って秋の空に今夜のおかずの献立を思い浮かべながら。
肉ばかりじゃなくて魚も食べないとな、などと、考えることはいつも日常の多岐にわたり、さらにローンとか健康とか実家とか消耗品の在庫とか仕事とか、いつも何かしら頭の中に巡って、いつ頭を休めればいいのかわからなくなるので、そんな時はひとりでカフェに逃げる。
逃げ切れないけど逃げる。
私の母は私が助けを求めてもアルコールに逃げていたけれど、そりゃまあ逃げたくもなるよな、って理解したくないことは自動的に理解しようとしてしまう。
私はいつ、親を許すのだろう。