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歯車が噛み合わない。

自分の努力や我慢ではどうすることも出来ないことがあるな、と思う。


相変わらず噛み合わないことが、家庭内でぼっこぼっこと頻発する。


運や縁、タイミングや相性、いっそ森羅万象全ての歯車が狂った形が今の私の家庭なんだろうな、などと大げさに思いながら、コーヒーを飲んで気を静める。





長男と予定のすり合わせをしたかったけれど、リビングに現れた長男は、こちらの想定を上回るダウナーなバイブスを振りまいていたので、いや〜な予感がしつつ会話を始めた。

長男は案の定、私へのナメが半端ない態度で会話し、私は心の中で怒りでワナワナしながらも、我慢や忍耐で淡々と会話して、私は予定に対するこちらの意向を伝えつつ、その場を去った。


なんなん、なんなんアレ、という憤まんやる方ない怒りをまた一つ、胸にしまった。



本当に、何もかもが合っていないのだろうな、と思う。


歯車が合っていないだけだと思えば、少し気が軽くなる。


すべてがかみ合わない世界にいるのに、同じ空間で暮らすことには無理があるよな、と思う。

この齟齬のかたまりのような家族は、今、お互いの違いを認めながら離れる、という自立のときを迎えているのかもしれない。


オレとお前は違うんだよ、という主張を壮大なスケールでやっている息子たち。

合っている。正しい。正解だろう。


親の私も、現状このまま、息子のことを手放して、自分の人生を生きよう。

息子たちが何とか生きていけるように、という祈りのようなものを、息子たちの生命力を信じるほうに変えて、私は私で前に進めばいい。私の祈りなど、息子にとっては重い念でしかないのだろう。




あれこれ考えてしまうけれど、未来はとてもシンプルな行動の中にあるのかもしれない。

自立。

家族はただ、これに向かっている。





そして今日も手探り。


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