どん底肯定感。
夫が、早く普通の暮らしがしたいな、と言った。
子育て難航からの脱却を祈る気持ちなのだろうけれど、私がとっさに言ったのは、
普通の暮らしって?
私はこれはこれで幸せだけども
という意外な感想だった。
私は不登校子育てにもがきながらも、このもがきをどこかで肯定している。
このもがきこそ生きている証、みたいな熱いものを胸に持っているのかもしれない。
つらいつらいと言いながら、幸せの中にいることは明らかだと思っていて、このつらさに何かを見つけようと日々を凝視している。
息子たちのダブル荒れダブル不登校の現実から身を背けたい気持ちでありながらも、このどん底で見える景色を、目に焼き付けたい、感じきりたい、みたいな変なこじれを抱いている。
だから純粋に、
これはこれでいい
と思いながら病んでいることに気付いた。
なんでもどんとこい、というパワーはない。
できれば平穏がいいとも思う。
でもこうなったらなったで、どこまでも虚弱なメンタルで、起こる出来事をジタバタと感じきりたい。
望むものがどんどんミニマムになってきていて、もう生きてるだけでいいんです、と思えていることがこの難航子育ての副産物だなと、そしてそれが、私が欲しかったものだとも思う。
とはいえ、やはりつらいもんはつらい、は確実で、今日もトリッキーな出来事にジタバタする。
今週もジタバタしながらゆるゆる頑張っていこうと、昼夜逆転の息子たちの気配にげんなり参りながら、このどん底で優雅にモーニングコーヒーを頂いている。
よし、頑張るかー。
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