齟齬がある
そんな一言で、済ましていい問題?
齟齬──────それは、問題のある当事者間ではなく客観的に見ている第三者が放った言葉。
けれど、その第三者は、わたし側に立つ人間ではない。
相手側に立っている人間だ。
その時点で、既に客観視できていないのでは?と思う。
尚且つ、第三者はわたしに関することを相手に流しているけれど、その逆は殆どない。
そう、わたしは、相手の現状はある程度把握はしていても相手がわたしをどう思っているかは全く把握できないまま。
けれど、相手側はわたしがどんな感情なのかまで知っている可能性がある。
それなのに、齟齬というワードを使うことは適しているのか?
わたしは、そんな疑問が生まれモヤモヤしている。
どちらにせよ、結局社会的弱者になる障害者は、被害を受けて精神状態を悪化させられたって加害者扱いされるのだからどうでもいいか。
…精神疾患が判明される前から、変わらないことか。
それでも、結局、わたしはいつまで経っても悪者扱いなのはなぜだろう。
相手の話に耳を傾けなければ良かったのか。
相手がしつこく誘導しても、しっかり断れれば良かったのか。
相手のことを、どんな立場であれ断固として断れれば良かったのか。
今となっては、全て遅いこと。
わたしが悪者扱いされて、悪者になるしかないなんて嗤える。
あの人達は、何処までこんなわたしのようなクズを惨めにさせたら気が済むのだろうか。
「齟齬」というたった2文字で、被害者のこころは更に傷付き2次被害、3次被害を受けることもある。
言葉ひとつで、いくらでも人間不信は加速し絶望に落とされる。
救われる言葉は、リアルで関わる人からは殆ど得られないのかもしれない(主治医を除く)。
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