「また、いつか」「いつでも」
有言不実行ワード。
わたしは、有言実行しない人が嫌いだ。
もっとも、わたし自身も有言実行できていないので、そんな自分自身が大嫌いだ。
いや、嫌いというより、自分自身を責めるだとか自分自身に失望落胆しているという方が合っているのかもしれない。
「その話は、また、いつかしよう」
「いつでも、相手してやる」
こういうことを言う人に限って、有言実行しない。
話しているその瞬間、その時の状況に合わせて…その場を収める、宥める為だけに言っているだけ。
本当は、そんなことしたくないということも、わたしには想定内。
だって、わたしは気持ち悪がられる人形(ひとがた)の物体なだけだから。
なのに、約束は守れ?
悩みながら生きろ??
…は?何言ってんの?
有言実行しない人からの約束なんて、承諾できるわけがない。
そもそも、こころをズタズタにされた状態でやれというのは、わたしのこころを更に殺す行為だと思う。
そこに関しては、わたしが考えなくても良いという現状にはなったけれど。
それでも、傷ついた言葉への影響は案外大きいものだと綴りながら感じた。
あまり言いたくはないけれど、どちらかといえば繊細なタイプかつ言葉に対する影響力が強い人は、何気ない言葉に深く傷付くものなんだ。
こうやって、吐き出すことで脳内から消え去ってくれることだけを願う。
行動するつもりもないのに、気を持たせる言葉。
そんな有言実行しない人からの言葉は、どんな言葉も絵空事にしか聞こえない。
そして、人間不信も強まるんだよ。
誠意がないんだから、仕方ないよね。