何もしない日
ただただ、「無」のまま。
休日になると、常に思うことがある。
それは、
「何故休日に限って時間の経過が異常に早く感じるのか?」
ということ。
とにかく、「無(虚無感)」のまま惰眠を貪るだけの1日を送り…気付けばこの時間になってしまった。
まあ、そんな日が休日のデフォルトとなってしまった。
「無」とはいえど、常に思考はしている。
良い思考なんて、何ひとつなかった。
こういう時、ふと常に疑問に感じることなどを無意識に考えてしまう。
現在、誰にも頼ることができなくなったわたしには、常に先々不安しかないのだ。
医療も福祉も、役に立たない。
表面上だけ継続しているだけで、結局話したところで何も解決もしないと分かった。
だから、あまり深刻な話はしないようにブレーキを少しずつかけるようになった。
それ程に、また更に人間不信が強まったということだろう。
これまでの期間は、無意味だった。
結局、人間ではない非人間であり、腫れ物だと改めて偏見や差別、区別をされることでハッキリさせられたのだ。
支援とは、一体何なのか。
何の意味を成すのか。
仕事さえ続けて、非人間であれと強要することが支援なのか?
ありとあらゆる言い訳を探して、困っている当事者を放置し職務怠慢であることが支援なのか?
「無」になりながらも、憤りが激しくなった1日でもあったのだな。
自宅でキレ散らかし、発狂もしているし…ということはそういうことだろう。
こんなに楽しくない「無」な休日がデフォルトなのだから、生きていて楽しいわけがない。
そんなデフォルトにした元凶は被害者面だし、何故虐げられなければならないのだろう。
斬り捨てて暴露した方が早いのだろうか。
まあ、こんなクズは早く消えろって周りから言われてるようなもんだし…また症状が緩やかに悪化している気がする。
眠っている時だけが、唯一の穏やかな時間。
そんな時間さえも脅かされる。
わたしが穏やかに暮らせる日は、今世では諦めるしかないのだろう。
虐げられ、辛い思いだけするのなら人間になんて生まれたくなかった。
結局「無」で非人間であり続けないとならない。
そんなもん受け入れられない。