社会では、どう個性を発揮するか
社会において、個性の発揮は難しいと感じる方も少なくないかと思います。
私も新入社員の時、自分らしい創意工夫をしていこうと仕事をアレンジしたところ、「まずは基本通りにやりなさい」と大目玉を喰った事があります。
仕事において、どう個性を発揮していくのか。
それとも個性は押し殺すべきなのか。
たまたま読んでいた本から、よい視点を拾ったので、今日はそのお話を。
1.思考の整理学
思考の整理学 / 筑摩書房
著者:外山 滋比古
30年間で200万部以上売れたロングセラー、それが『思考の整理学』である。毎年多くの学生が購入している本書であるが、たんなる学生向けとあなどるなかれ。ここには「思考」の本質が描かれている
(Flierより https://www.flierinc.com/summary/1153)
考えを深める際の手法について、エッセイのような形式でまとめられた本です。思考は寝かせる、カクテル方式、など、表現がわかりやすいのも特徴です。
2.一次創造と二次創造
原稿を書くのを第一次創造とするならば、原稿をより新しい、大きな全体にまとめ上げるのを第二次創造と呼ぶことができる。各パートの楽器が奏するのを一次的とするならば、シンフォニを創り上げる指揮者の活動は二次的である。
二次的活動が一次的活動に比べて劣るものではないことは、プロ野球の監督から、ファッションのデザイナー、映画、テレビのディレクターの役割を見てもはっきりしている。 (P.50 エディターシップ)
詩人のT.S エリオットの言葉より、著者は創造には「一次創造」と「二次創造」があると考えたそうです。
「一次創造」にはそのまま価値を成すものもあるが、「二次創造」によって価値が生まれるものもある。
また、「二次創造」では、独創的であるかはあまり問題ではなく、どういう組み合わせで、どう並べるかが重要になる、とも書かれていました。
3.個性は触媒として使う
触媒であるプラチナが化合の前後で全く増減、変化がないというのが、詩人の個性の果たす役割に通ずるものがあるとエリオットは考えた
(P.54 触媒)
詩人 T.S エリオットは、「詩をつくる際、詩人の個性は全面に出さず、素材である言葉と言葉の間にある「触媒」であったほうがよい詩となる」という説を唱えました。(インパーソナルセオリー:没個性論)
「触媒」とは、化学反応の際に、それ自身は変化せず、他の物質の反応速度に影響する働きをする物質のことで、T.S エリオットは酸素と二酸化硫黄を化合させる際のプラチナを例に出しています。
このエリオットの没個性論は、二次創造(エディターシップ)において有用であるのではないかと書かれていました。
4.ほとんどの仕事は二次創造
ここまで読んで、仕事で個性を発揮しようとして上手くいかない原因のヒントを見つけたように思いました。
自分の仕事は、一次的創造なのか、二次的創造なのか。
恐らく、組織(チーム)で仕事をするということのほとんどは二次的創造だと思います。
ですから、そこで求められる個性は触媒的効果。
つまり、全面に出すのではなく、自分の周りにある情報や人、資源を化合させる際に「あなただから上手くつながったよね」と言われること。
触媒である自分の個性がそれとわかる形で、表にでてくるようでは「触媒」ではなくなっている。
つまり、私らしい作業や資料にこだわるのではなく、私らしいディレクションが出来たかどうか、ここが個性発揮のポイントなのだと思います。
5.見えない個性に意味はあるのか
このような事をいうと、「表現できない(相手に見えない)個性に意味があるのか」なんて言われてしまいそうですが、個人的には「個性の発揮にとって、相手に伝わる、伝わらない」はあまり関係ないような気もします。
個性は創り出すものではなく、そこに在るもの。
相手に伝わろうが、伝わらなかろうが、自分が認識できていればいいと思うのです。
しかし、社会に出たばかりの頃は、こうは思えませんでした。
個性の評価をされない(表現できない)のは、自分を評価されていないようにも感じましたし、「誰でもいいよ」と言われているような気もしました。
自分で自分を信じて満たされるには、まだ自信がなかったのだと思います。
しかし、こうした承認欲求に振り回されなくなると、個性を発揮することより、自分が関わった化合物(成果)の品質に集中できるようになった気がします。
個性を活かし、仕事で上手に成果を出している人は、皆、「触媒」的に個性を活かしているなとこの本を読んでいて思いました。
出しどころを間違えないように、私も個性を大事にしながら仕事をしていきたいと思います。