熊本旅行記(3日目 橙書店など)

旅の始まりはこちら↓

2018年2月15日
 ホテルの食事は豪勢で、朝から茶わん蒸し付き! 納豆のたれの色が、だし汁のように淡い。福岡で食べたものと同じだ。九州の納豆はみなこうなのだろうか。

 午前中は部屋でのんびりし、私はこの旅行記のためのメモを書いた。旅行中は旅行そのものを楽しむのに忙しく、やったこと・あったことを記録するのは煩わしい。それでも旅に出るのは貴重な体験なので、毎回薄いメモ帳を用意し、小まめに開いて何かしら書いておくようにしている。詳しくない、雑なものでも、出来事を思い出す手がかりになる。

 昼は「大地のうどん」という店へ。どんぶりに載りきらない立派なごぼうの天ぷらが特長だ。
 ごぼうはささがきではなく太いものを薄切りにしており、噛むと甘みを感じる。

 会計を済ませて外に出ると、同じ店でうどんを食べていたおじさんに声をかけられた。埼玉から来たことを話したら、おすすめのラーメン屋を教えてくれた。旅行者にはうどんではなく熊本ラーメンを食べてもらいたいのかな……?

 その後、市電(路面電車)に乗り、村上春樹が朗読会をしたことで知られる「橙書店」に向かった。村上春樹が国内で読者と直接会うイベントを行うのは極めて珍しい。彼に選ばれた特別な本屋さんをぜひ見てみたかった。

 橙書店、という小さな表示のあるビルの階段を上がる。まさに隠れ家。一度気付かずに通り過ぎてしまい、道を戻ってどうにか見つけた。そんな場所にあるにもかかわらず、私たちが扉を開くと、先客がいた。後から別のお客も入ってきた。平日の昼間の本屋にしては賑わっている。

 ここの本の並び方は五十音順や出版社別ではない。ゆるいジャンル分けはあるが厳密ではなく「言葉の力を信じている、センスの良いお姉さんの部屋に忍び込んだ」ような気分になる。

 ここならではのものを買いたいと思いつつ、
「あれ、この本、アマゾンでは品切れだったのでは?」
 なんて理由で、前から知っている本を選びそうになる。私の読書に偶然の出会いは少なく、読もうと予定しているものを消化していくだけになりやすい。自分が敷いたレールから外れることが出来なくて、困ったものだ。

 詩集が多く並ぶ棚で見つけた「尾形亀之助」という人の本が気になった。江國香織の小説「ホリー・ガーデン」に出てくる詩が、この人のものではなかったか。

「ねえ、これ、果歩さんがつぶやく詩の作者じゃない?」
 果歩というのはホリー・ガーデンの主人公だ。Dちゃんも江國香織は好きで読んでいるが、今は自分の本選びに夢中で関心を示してくれない。私のスマホは文章書きに集中出来るよう、ブラウザが開けない設定になっている。検索して調べることも出来ない。

 さんざん悩んだが、作風がその日の気持ちとズレていたこともあり、尾形亀之助の本は買わなかった。

 本棚のあちこちにカフカの「城」があったのが面白かった。やはり熊本では「変身」や「審判」より「城」が親しまれやすいのか。

「僕は決まったよ」
 とDちゃんが言う。作者もタイトルも全く知らない外国文学だ。ちゃんと偶然の出会いを楽しんでいる!

 私は寺田寅彦の随筆にした。前から読みたいと思っていた作家なので「予定通り」ではあるのだけれど、これまでぴたっとくる本を見つけられなかった。橙書店にあった選集は「今まさに読みたい」感じが強くした。
 肉を食べたい日や豆腐を食べたい日があるように、今日は寺田寅彦を食べたい気分なのだろう。

 橙書店の後は、夏目漱石が住んでいた家に行くことにした。途中で寄ったコンビニに、60年代風の長髪のおじさんがいて、ムッシュかまやつが天国から戻ってきたのかと思った。

 夏目漱石は四年ちょっとの熊本滞在の間に、五回も引っ越しをした。私たちが訪れた内坪井旧居は、最後から二番目に住んだ家だ。

 以前は記念館として内部が公開されていたが、地震後は立ち入り禁止になっている。柵の外側から眺めていると、あっ! 漱石先生もこちらを見ている!

 からくり人形が窓辺に置かれ、見学者を出迎えてくれているのだ。柵には解説パネルが設置してあり、パンフレットも自由にもらえる。これを読んで、寺田寅彦が五高(現在の熊本大学)で夏目漱石と出会ったのを知った。おお、私は意図せず熊本ゆかりの本を買っていたのか。

 Dちゃんがスマホを見ながら言う。
「さっきの尾形亀之助、やっぱりホリー・ガーデンの人だったよ」
「えーっ!」
 せっかくの機会だったのだから、寺田寅彦と両方買えば良かった。後悔。

「橙書店、ちゃんと読める本が並んでる良い本屋さんだったね。普通の本屋でよくある『これもハズレ、これもハズレ』ってことがなくて」
 興味深い本ばかり集められた中から、今一番読みたいものを決めるのは、本当に楽しかった。ああいうセレクトショップ的な本屋さんが増えると良いんだけどなぁ。

(こちらに続きます↓)

この記事が参加している募集