すぐわからないことが人生を豊かにしてくれる
半年ほど前から、『光る君へ』にハマり源氏物語を原文で読みきるチャレンジをしています。
いま読んでいるのは全54帖のうち、第10帖賢木の巻です。
六条御息所と光源氏が別れたり、藤壺が出家したりとエピソードが山盛りです。
賢木の巻、かなり長かったのですが、やっと終盤まできました。
なので、きょうは源氏物語の記事を書こうかなと思ったのですが、#かなえたい夢 の募集テーマ締め切り日なので滑り込み参加します。
私のかなえたい夢は、古典文学を学び続けることです。
「学ぶ」まで難しくいかなくても、ずっと好きでいたいなと思ってます。
まずは壮大な源氏物語を当時の言葉で読み切ってみたい。
(もちろん、文学全集には註釈や現代語訳も書いてあります)
大学でも古典文学を専攻して源氏物語を読んでいたけど、当時は試験や授業のための意識が強くて、ゆっくり味わう余裕がなかったなという印象です。
そして、去年『光る君へ』の放送が始まり、平安時代を舞台にしたドラマの華やかさ、それと対照的なドロドロ展開にどんどん夢中になりました。
さらに、ドラマ内では源氏物語のオマージュと思われる演出もあり、SNSで話題になっていました。
「あれ?源氏物語のこと、ちゃんと覚えてない。せっかく勉強したのに」
とハッとすることが何度もあって。
もちろん源氏物語のことをよく知らなくてもドラマ自体は楽しめるのだけど、源氏物語やそのほかの古典作品をもう一回学んでみたいと興味を持つようになったきっかけでした。
『光る君へ』で印象に残っているシーンのひとつ。
ドラマの終盤、宇治川のほとりでまひろと道長が語り合う場面。
「この川で2人流されてみませんか?」
「道長様が生きておられれば、私は生きていけます」
まひろはこんな感じのことを言っていました。
道長が涙を流していて、本音をさらけ出せるのはまひろだけなんだなと権力者の影の部分が印象的でした。
また、これは源氏物語で浮舟が宇治川に身を投げた場面を意識していそうな演出です。
結局、浮舟は奇跡的に助けられて新しい人生を歩むことになります。
まひろと道長が一緒に川に入らず、生きようと決めたように。
実は、本編に比べると宇治10帖があまり好きではなくて。
どうしても、光源氏がいた頃よりも華がないように感じてしまうし、登場人物たちの人柄にも惹かれないなと思ってしまいます。
でも、『光る君へ』を見てから、最後に浮舟が助かったことに大きな意味があるんだろうなと感じるようになりました。
人生に絶望して亡くなってしまう話にもできたはずだけど、あえて浮舟を生かしておくことで描きたいことがあったのかもしれません。
源氏物語を最後まで読み切って、自分で考えてみたいなと思いました。
「世の中にはすぐわかるものと、わからないものがある」
とは、なにかの小説で出会った言葉だったと記憶しています。
慣れない言葉につっかえながら、
複雑な人間関係に混乱しながら読むこともあるけど、それすらも楽しめるように。
すぐわかることはその場で終わってしまうけど、
わからないことを考える時間こそが人生を豊かに、実りあるものにしてくれるはずだから。
どきどき源氏物語の感想記事を書いてます。
これからも更新する予定なので、読みにきていただけるとうれしいです。
また次の記事でお会いできますように♪