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話せない自分も受け入れられたら

人と関わっているときの自分。
1人でいるときの自分。

どうやら、私はこの2つがぜんぜん違うようで、人と関わっているときの自分が嫌になります。


飲み会楽しめますか?
お話を振ってもらっても、キャッチボールが返せなくて、盛り上がりに水を差しているようで。
いたたまれなくなりました。

なんで話しづらかったのか、頭の中を整理してみます


周りが騒々しい
こぢんまりとした店内なのに、お店中に響く声で騒いでいるグループがいました。
恐怖すらおぼえるレベル。
自分の声が聞こえない環境で話すのって、すごくつらいです。
それでも、私の声を聞き取ろうと身を乗り出して聞いてくれるのは申し訳ないというか、恥ずかしいというか。

自分では外食に慣れてきたつもりでも、よく考えたら私の外食は9割がカフェ。
お酒を出すお店の雰囲気には慣れてなかったな。
ちょっと刺激が強めでした。


プライベートのことを話すのが苦手
人前で個人的な話をあまりしたくないんです。
noteにプライベートのことをいっぱい書いてるのに。
noteに「これ好きー」って書いてそれに反応をもらえるのはすごくうれしいのに、
リアルでは他人にあまり関心を持たれたくないなと思ってしまいます。
矛盾してますね。

なんでかなって考えてみたけど、SNSは顔が見えない相手だから関わりやすいのかなと思います。
いつも顔を合わせる人に変なこと言えないな、
って無意識にためらってしまって、
なにか聞かれてもそっけない回答になってしまいました。
なので、参加した方と信頼関係を築けていないなって自己嫌悪です。


人と関わっているときの自分が嫌になるのは、意思がなくなってしまうから、が理由のひとつのように思います。

大河ドラマ『光る君へ』で、入内したばかりの頃の彰子様は、かなりぼんやりとした人物として描かれていました。
なにか聞かれても「仰せのままに」としか答えなくて。

この感じ、どこかで見たなとずっと思っていたのですが、「人前にいるときの自分」だと気づいてハッとしました。
本当は心に思っていることがあるんだけど、
それを伝えるだけの自信がなくて、
言わなくてもいいかなって逃げてしまうような。




人との集まりに参加した後には、もっとあの時ああすれば良かったのにって、ぐるぐる考えがちです。

そんな感じでモヤモヤを抱えたまま、楽しみしていた美術館の企画展を見に行ってきました。
美術館へ行く道中や、展示品を見ながら、
静謐な空間に身を置いているうちに、頭の中のモヤモヤが、少しずつ言語化できそうな感覚がありました。

人と関わっているときの話せない自分
1人でいるときの自由な自分
どちらもあるんだなと思い当たりました。


漠然と思っていたことを頭の中で整理するうちに、これを素直にnoteに書いてみようかなと考えるようになりました。

きっと誰かに話せても、
「考えすぎだよ」
「次はもっとがんばって」
で終わってしまいそうなこと。

ですが、noteの広い世界では波長の合う方がいるのではないかなと思いました。
「みんなと同じに」「普通に」できない、どうしようもない気持ちをnoteの海に放ってみよう。



ちなみに、今回見に行った企画展で浮世絵の成り立ちの解説がありました。
もともと、「憂き」だったものが
どうせ憂き世を生きねばならないのなら、浮かれて楽しく生きよう
で「浮き」に変化したらしいです。

浮かれて楽しく。
私もこれくらい軽やかに生きられたらいいのにな、と思って帰路についたのでした。



また次の記事でお会いできますように♪




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