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「人でなしの恋」再読+「現代怪奇小説集1」読了

黄ばんだ縦書きの本で「人でなしの恋」を読んでみたかった。
という話を、百段階段で「人でなしの恋」を楽しんだ後にしていた。
友人が図書館にあるかな、と良いアイデアを話していた。

青空文庫に掲載されているもので読み、noteにもまとめた。が、再び。

図書館の近くまで用事があった日。その日に図書館に在庫がある古い本を、当日の朝に検索していた。自動書庫から出してもらえた。

私が受け取りにカウンターに行ったとき。
「随分、年季が入ったのが出てきましたけど大丈夫ですか」と言っていただろうか。子どもとよく通っていた頃にもいらした年配の女性。
私は「そんな感じのを期待していたので大丈夫です」と答えたのだったか。

とても期待通りに黄ばんだ縦書き2段組の本

ページを開くと、黄ばんでいるだけではなく匂いもあった。それは保管されていた自動書庫の匂いではない。もっと前に付いたのだろう倉庫の匂い。予想以上に期待通りだった。

その自動書庫をガラス張りの通路から見学したことがある。子ども向け見学イベントの付き添いで眺めた。そこなら、温度や湿度など適切に管理されているだろう。こんな古い匂いは付かないはず。

1974年第一刷と書かれている。蔵書印の49年というのは昭和だろう。西暦・和暦を検索してみると、同じ年のことらしい。
書かれている図書館の名前も知らない。当時はそんな名前で、同じ場所に図書館があったのだろうか。場所も違うのではないか。

目的にしていた「人でなしの恋」は最初に入っていた。期待以上に満足な気分で古い本を楽しんだ。

そこそこ分厚い短編集のため、その後の短編を読むかは決めていなかったが、何となくそのまま読み進めた。夏に読むにはちょうど良い感じの、怪談のような話が続き、最後まで読む気になった。

本の中では、漢字の表現や読み方が今とは違う。意味は伝わるので、一つ一つの読み方までは調べずに読み進んだが、読めない漢字はそこそこあった。
以前はそう書いてたのが今はこう書くのか、以前はそう読んだのか、と思う漢字も多かった。
少し古い日本語を知る楽しさもあった本。

どの話も面白く読んだが、私が気に入ったのは幽霊と仲良しな話。
幽霊と仲良しでもいいよねー、と、私のデスクにいる、おばけちゃんの頭を撫でていた。おばけライトのおばけちゃんは、私の大切な冷たい友だち。

面白く読んでいた流れが一転、なぜそんな結末に?と唖然とする話もあった。どこから話が変わってしまったのか、終盤を二度見してしまった。
まさか、ここで気が変わったのか?と思う部分を見つけてから、各短編の前ページにある、ネタバレ気味の紹介文を読んで答え合わせした。
その場所は合っていたらしいが、悩む話ではあった。

時代が違うので、今とは考え方や価値観も違う。ただ、そんな面白さと複雑さを感じる話をいくつも読んでいるうちに…
エレクトーンで弾きたくなったのは、当然のようにYOASOBIの「怪物」。

それも同じジャンルなのか?というツッコミは、受け付けないことに勝手に決めた。

普段は、デフォルト設定テンポから105%に上げて弾いているが、107%へ上げて集中して弾いた。

ついでに、「夜に駆ける」のデフォルトのテンポ120を130に上げた結果は…
何か間違えたような気がした。どことなくノリの良い印象の曲になってしまった。
120は、私の技術的な限界と思っていたテンポなので、あっさり対応できた上達ぶりを喜ぶだけにしておく。

京極夏彦・著「続巷説百物語」にある「死神 或は七人みさき」だと思うが、何だか京極作品を強く連想する短編も収録されていた。小栗虫太郎・著「白蟻」。

分厚い京極作品は、何度も飽きずに読んだが手元にはもうない。なので、どこがどう似ていたから、と具体的には書けないが… あちらこちらに京極作品を連想する言葉や設定があった。
手元にあったなら、すぐに読み始めたのは間違いない。

いろいろなことを面白く思いながら、季節に良く合っている本を読了。

表紙の裏のそでには、横溝正史による紹介文が「怪奇小説の魅力」というタイトルで書かれていた。

怪奇小説について簡潔に表現されていた。時代が違うだけではなく、いろいろと欠けた私の感覚では理解しにくい文だが…

怪奇小説に含まれるのは「残虐、妖美、ユーモア、ペーソス」で、「怪奇小説の中にこそロマンの真髄があるのではないか。」と書かれていた。
「人でなしの恋」も、その説明から怪奇小説に含まれることを感じた。

ペーソスは、私には見慣れない言葉。英語では、人を共感させる力、のようだった。悲しさの方向に共感させる表現のように感じた。日本語では、「哀愁」「悲哀」と表現する様子。

あとがきには、「日本怪奇小説の流れ」とタイトルが付けられていた。怪奇小説について、詳細や歴史が解説されていた。

私が目的にしていた「人でなしの恋」は初めに掲載されていた。が、他の短編を読み進むうちに、違和感がどんどん増していった。他の話と、どう仲間で一緒にこの本に? その理由を理解できたりもした。

続く他の短編を読んでいると、怪談に含まれそうな心霊写真や幽霊の話。それと同じジャンルの話とは予想していなかったので驚いた。

そで・あとがきで、疑問がきれいに解消された。
描かれるその光景・情景の妖しい美しさは、怪奇小説に含まれるのだろう。

百段階段での展示光景の記憶とともに楽しんだ「人でなしの恋」だが、展開については、今の私の感覚からは非常識というか残念というか… 先の読了noteにも書いたが、人でなしって誰のこと!?と思う。

が、当時の感覚を想像しながら読む分には…
主な登場人物だけではなく、ちらりと登場する人も含め、誰もがとても常識的な方向に理性的な判断をしながら、落ち着いて動いていると思っていた。

あとがきの筆者・紀田順一郎は、「乱歩の怪奇小説は合理精神のかたまりのようなもので、怪奇ではあるが神秘ではない」という他の人の表現を引用していた。

そう表現されているなら、私は大間違いな読み方はしていなかったのか、と思えたりもした。

短編集に収録されていることで、思いがけず違った面からも楽しめた「人でなしの恋」。他の話も興味深かった。
見た目の黄ばみや古さを感じるフォント、古い倉庫の匂いを楽しむだけではなかった。

一つ前のnote「三角とダンゴムシ」は、この本を読んでいた中で書いたために、普段より、もう少し古い日本語に寄っている。書きながら気づいたが、直さずそのままにした。

そんな夏の楽しみ方もあるらしい?
とも思った、古く怪しい読書体験。