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読了「ぎりぎりの本屋さん」
児童文学作家さんたちによる児童書だったらしいが、何の違和感もなく大人の私が楽しんだ本。
子どもの用で行った学校の図書室で、何となくパラパラとめくって気になって借りてきた。「小学上級から」と裏表紙に記載されている。
作家さん5名が表紙にも記載されているし、5名で一話ずつ。だが、ストーリーとしては一つにまとまっている。面白い構成だからということばかりではなく、大人でも問題なく楽しいだろう。
主人公たちは小5なので子どもではある。とはいえ、何て楽しい本なんだろう、と思いながら読んでいた。
何より。その青いエプロンの子がいる古そうな不思議な建物の、面白いことが起きる本屋さんへ行きたい!
子どもの日常と、不思議な本屋さんの関係がとても楽しかった。たくさん笑った。少し泣いた。
ネタバレはしたくないので、楽しかったいろいろは書かない。
この本からも伝わる読書の面白さ、本が持つ力。
私としては最近、身をもって実感していたところだったので、そんな話を書いておくことにする。
この本で良い言葉だと思った箇所はいくつもあった中、一つを挙げて話をスタート。
本のことを「減災」と表現されていた。
本は災いを減らすもの、という話がされていた。
今の私には、身をもって納得な言葉だった。
遠い過去、あるシリーズ小説を読んでいなかったとしたら…
その人のことを信頼することも、信頼していると伝えられることもなかっただろう、という人間関係がある。
シリーズの一冊に詳しかったのか、その人と同じタイプの登場人物を知っていた。そんなタイプの人のあるある、そんなタイプの人のそばにいる人のあるある、どちらも知っていた。
知らなかったら信頼感は持たなかっただろう。そばにいる人あるあるには、不意に大きな不安感に陥ったりする、ということも含まれる。
悪意などで不安感を与えられる訳ではなくても、不安を感じる相手の近くを大丈夫とは、その読書体験がなかったら思えていなかっただろう。
読み直そうかと思うくらいに、その読書体験とその人間関係が繋がっているなと、ここ最近、感じていた。
その人と知り合ってすぐに、その読書体験と繋げられた訳ではない。が、その人への信頼感は持てていた。
災いと表現したくなるような行き違いの事態はあった。その人の思いがどうだったか知らないが、私は自覚以上に大きなトラブル感情を抱えた。
ただ、その行き違う途中で、その読書体験と明確に繋がった。
トラブル感情については、悪意も何もない場所からスタートした話だったので、行き違ってしまったとしか言いようがない。
私の判断ミスなど、私の失敗のせいは確実に大きい。
行き違い、話が詰んでしまいそうなダメな方向を軌道修正もできなかった。
ミスらなくても、その当時では結果は同じだった可能性も感じるが。
関係性は、時間がかかったものの徐々に修復された。
その読書体験と繋げられている今はトラブルのない関係性。
自分の身近にはないことでも読書から体験できるし、それが役立つこともある。読書の面白さ、本が持つ力を実例で感じていたところで読んだ本。
人間関係に災いという表現は合っているのか悩む。ただ、その読書体験のおかげで、無駄なトラブル抜きに信頼できたり、理解できることが増えたりした。
なので、本が減災というのは個人的に納得。
本の選び方は、役に立ちそう、という理由でされることもあるだろうが、そのシリーズ小説は、私が単純に楽しかったから読んでいたもの。
読書の何がどう未来に繋がるかわからないが、忘れかけた頃にも、身についていて役に立ってくれるものらしい。
青いエプロンの子がいる本屋さんは残念ながら実在しなそうでも、読書に限らなくても、いろいろなストーリー・人・考え・感情を知る機会は大切。実例とともに心からそう思う。
おそらく、そのいろいろを簡単に知れるのが本だから、読書は大切だと昔から言うのだろう。今の世の中では、読書の他にも方法はあるかもしれない。
ただ、この本を読むと…
リアルに本屋さんに行って、紙の本を買って読みたくなってしまうかもしれない。