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「キャラクターを動かすんじゃないの。そこにキャラクターがいるだけなの」

 タイトルの言葉はタモリさんのいったことのパロディです。元の言葉は「ジャズっていうジャンルがあるんじゃないの。そこにジャズな人がいるだけなの」というもの。すごいこというよね。

 でまあこのパロディから創作論をやってみようと。小説を書いているとなぜかそういうのを語りたくなる。たぶん原稿に向かっていて発見があるんだろう。そういうのをいまここに投げ込む。誰の役に立つか知らんけど。

 キャラクター、登場人物に何をさせるのかというのが小説において大事でしょうけども、そのキャラクターが何をするのかはかなり限定されてるんですよね。例えば職業であれば刑事だったり医者だったりする。刑事は刑事という囲いから出ることはない。小学校に通学したりフレンチレストランで仕込みをしたりはしない。刑事だから。囲いから少しはみ出すと意外性や新しさや個性があっていいんでしょうけど、はみ出しすぎるといかんでしょう。医者についても同じ。戦闘機を操縦しないし美術品の修繕作業もしない。医者だから。

 こうやって職業ひとつでも限定はされてくる。あとはそのキャラクターの細部のステータスを決めていけばいい。男なのか女なのかその他なのか、年齢はどんくらいか、仕事や趣味での活動地域は、どういう性格か、どういう喋り方か、好きなものは、嫌いなものはと、そういうもろもろの要素を気が済むまで、というか書き手の頭の中で生き生きとしてくるまで決めていく。細部の限定をしていくことによってキャラクターが像を作る。解像度が上がるというかね、はっきりとしてくるというか。もうちょっというと「存在する」んですけど。そうやって必要な人数をつくってみる。

 それができたら、そのキャラクターたちを舞台に、物語世界に配置する。キャラAはこういう感じだからキャラBに対してはこうするし、キャラCはどうこうなのでキャラDに対してあんな感じ、ただしキャラBがああなのでキャラD的にはこうやるしこう思ってる、みたいなことが自然発生する。よろしいですか。完全に作り込んだキャラクターは勝手に、自動的に何か考えたり喋ったり、行動したりしなかったりする。作者はそれを観察して記録して読者に伝達する。もう小説でやれることなんてせいぜいそんなもんなんじゃないですか。

 舞台、物語世界については、これは状況の話になるんですが、キャラクターをそこに置いたときにそれがどういう状況の場面なのかってことです。キャラクターに状況を掛け合わせていったいどうなったのかを書く。それでストーリーになっていくだけじゃねえの。

 さあ、偉そうに講釈を垂れましたよ。ただやはり誰の役に立つかは知らん。

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金井枢鳴 (カナイスウメイ)
チップありがとうございます!助かります。