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哲学の入門書ばっかり買ってる

 何事につけ入り口というのはあるので、そこを通ってから次へ行きましょうというステップですか、階段を上るみたいなこととして、何かを学ぶというのなら入門書というものがある。

 入門書。まったく罪なものである。わかりやすいですよ、学べますよ、と書店の棚で笑いかけてくるから買うじゃないですか。そうして読もうとするとなかなかわかりにくかったりする。読んで学べるにせよ表層のところをなぞるものであったりと。そうして他の入門書を買っちゃう。だいたい積む。積み上がる。いや何、それらの本が悪いというのではないが、なんか普通に現物に当たったほうが話が早いこともありますよと。

 金井は小説を書くので、かつてアリストテレスの『詩学』は読んだりしていた。あれも岩波の青なんで一応哲学書ですね、世界最古のハウツー本なんですが、悲劇の構造や性質、カタルシス云々に関しては学んだ。学びみ(というの?)が深かった。ちなみに『詩学』の喜劇のパートはほぼ失われているらしく、もう出てこないんじゃないかね、埋もれた秘宝なんだそうで。

 他、現物の哲学書というとプラトンの対話篇を数冊、のちセネカへいったりマルクス・アウレリウスにいったり、四書なら『孟子』以外は読んで、時代を飛ばしてショーペンハウエルの文庫のものは全部と、あとなんだろう、アランとかバタイユとかか。岩波の青には『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』が入ってて、これが旧字だらけだったんで上巻の半ばで心が折れた。古典みたいなもんはそんくらいしか読んでない。カントもヘーゲルもニーチェもハイデッガーも積んでるだけなのだ。こういうのは恥ずかしい話なんですけど、もう最近ではちょっと開き直ってる。

 あとは現代の哲学者によるものが多いですね。そういうののほうがおもしろかったりする。何しろ学びと研究の上で書かれた、まとめられたものだから信頼は置ける。学者だったらもう大抵のものはクリアしてるわけでしょう。その人たちが現代に関する問題を語るのならこんなにおもしろいものはないんですよ。ゴリゴリに堅くても噛み砕けるくらいのものではある。

 哲学とかいってねえで小説を、それも現代小説をもっと読めって話なんだけども、失礼ながら最近はおもしろい小説にあまり当たらんのだ。相応の数をこなしてないから当たりを引けないのかもしれない。でも女流はおもしろいな。川上未映子だったり村田沙耶香だったり本谷有希子だったり。絲山秋子もですね。笙野頼子も簡単なものならおもしろく読める。以上敬称略。

 寝かせている原稿もあと一週間もすれば推敲の作業に入れる。それが済んだら読書の秋としたい。読まないと書けないのは鉄の掟だ。

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